誰かの期待に応えるのはもうやめよう【罪悪感の解放】ゲシュタルトの祈り

ゲシュタルトの祈り

自分の人生が、他人の「気分」に左右されている。

そんなふうに感じることは、ありませんか。

 

そんなあなたは、きっと、他人の期待に応えるために必死に頑張ってきたのでしょう。

 

他人の顔色をうかがいながら生きていくのは、もう疲れた……

 

そろそろ、「自分が幸せになるため」に生きていきたいですよね。

「他人の期待に応える」ことをやめるのです。

 

しかも、衝撃の真実がもうひとつ!

 

期待に応えようとする人は、実はとても自分勝手である

 

さて、どういうことでしょうか。

 

ゲシュタルトの祈り
 

私は私のことをする、

あなたはあなたのことをする。

私はあなたのために生きているわけではないし、

あなたも私のために生きているわけではない。

あなたはあなた、

私は私。

もしも、お互い出会うことができたら、それはすばらしいこと。

もし出会えなくても、それはしかたのないこと。

誰の人生を生きていきたいの?

誰かの期待に応えるために、必死になってませんか

こんな気持ちになるなら、自分の人生を生きてない

  • 誰かが不機嫌になると、自分のせいだと思う
  • 誰かといるときは、相手を楽しませなきゃと思う
  • 相手が喜んでくれたとき、「うれしい」というより、ホッとする
  • 人付き合いは、絆が深まるよりも、消耗する感覚が強い

 

この場合、「誰かの期待に応える」ことが、人生の目的になってしまっています。

誰のための人生なのかを、立ち止まって考えてみましょう。

 

誰の期待に応えようとしていた?

  • 親を助けたかった
  • (昔の)恋人を助けたかった

 

たいていは、親や恋人、家族である場合が多いですね。

誰かの期待に応えたくて、誰かを喜ばせたくて、一生懸命に生きてきた。

 

進学も、就職も、結婚も。

すべては、親の期待に応えるため。

そんな思いは、ないでしょうか。

 

期待に応えないと、どうなるの?

ほとんどすべての人が、口をそろえて言うこと。

 

それは……

 

他人の期待に応えないと、ダメ人間になってしまうのではないか

 

応えられない自分は、ダメな人間だという恐怖心。

応えられないと、不安で仕方なくなる。

だから、必死になって応えようとするのです。

 

誰の期待にも応えられなかった。

そんな自分はダメだという気持ちとは……

「罪悪感」

 

「期待」と「罪悪感」は、常にペア

期待に応えようと思うと、必ず出現するのが……

 

「期待に応えられなかった罪悪感」

 

期待と罪悪感は、常にペア、常にセット。

言葉にできない苦しみや寂しさは、「罪悪感」である場合が多いのです。

 

「罪悪感」は、ひたすら自分を苦しめる

なぜなら。

文字どおり、自分は「罪人」であるから。

「罪を背負って生きている」とは、「執行猶予」や「仮釈放」のようなイメージ。

何かいいことをしなければ、すぐに牢屋に入れられてしまうのです。

 

罪を犯してないかどうかが、いつも気になる

そんな気持ちで生きているなら、何をしてても楽しくないのは、当たり前ですよね。

「自分は期待に応えられているだろうか」「罪を作ってないだろうか」という、恐怖心の中で過ごしています。

 

でも、期待に応えられないのは、やっぱり自分が無能だからじゃないのか……

 

期待に応える必要はないのです。

自分は、自分のために生きていっていい。

誰かの人生を生きることを、やめてみましょう。

自分を無罪放免にしてあげよう

自分は無罪である

無罪です。

なんの罪も背負っていません。

あなたに罪を背負わせることができる人も、一人もいないのです。

 

他人には、我慢するか黙るかしてもらう

史上最強の人生戦略」という本には、面白いことが書いてありました。

これからの人生、あなたがどんな感情を抱いているとか、あなたのものの見方は間違っているといったことを、他の誰かに言わせてはいけない。他の人には、我慢するか黙るかしてもらわなければならない。

 

「自分の見方が間違っている」ことを、他人に言わせてはいけない、というのです。

 

心にもなく愛情をかけるのは、やめる

エマソンの「自己信頼」では、次のようにあります。

思ったままを口にすればよい。心にもなく歓待したり、心にもなく愛情をかけたりすることをやめるのだ。欺(あざむ)き欺かれながら付き合っている人たちの期待に応えて生きるのをやめるのだ。

 

他人には黙ってもらう、心にもなく歓待したりしない。

このような生き方で、いいのです。

 

いっぱい頑張ってきた自分を認める勇気をもつ

「自分は何もできていない」というのは思い込み。

十分すぎるくらい頑張っている。

「頑張ってきた自分」を認める勇気が必要です。

 

努力は、表面の姿ではわからないもの

努力は、表面の姿だけでは、わかりません。

そして他人は、表面の姿しか見ていません。

だから仮に、「何もできてないよね」と誰かに言われたとしても、「あなたこそ、何も知らない人だよね」と思っておけばいいのです。

 

つまり。

自分の努力は、自分で認めるしかない

論理的に考えてみても、そうだとしか言えません。

だって、誰もわからないことだから。

中身までを見すかす、エスパーのような人はいないのです。

 

「十分に頑張ってきた」とは、自分にしか言えない

だからもう、自分で認めませんか。

頑張ってきたのだ、と。

自分は無罪なのだ、と。

 

それでも、「自分のせい」としか思えないよ……

 

自分が考える「自分の罪」については、忘れてしまうのも方法です。

悩まない・忘れる・まかせる

道は開ける」より、参考になりそうな名言をご紹介します。

 

どうにもならないことは悩まない

あるチェーン店の創立者、J・C・ペニー氏の言葉。

私は一文なしになっても悩みはしないだろう。悩んだところで、何の益もないからだ。私は最善を尽くして、あとの結果は神におまかせする。

 

古代ローマのエピクテトスの言葉。

幸福への道はただ一つしかない。それは、意志の力でどうにもならない物事は悩んだりしないことである。

 

できることがなければ、忘れる

クライスラー・コーポレーションの社長K・T・ケラー氏の言葉。

苦境に立って万事休した時には、できることがあれば、それをやる。できることがなければ、あとは忘れるだけだ。私は未来について決して心配しない。未来にどんなことが起きるかを予想できる人などいないからだ。未来に影響を及ぼす力は実にたくさんある! それらの力を動かすものが何であるのか誰も知らないし、その力自体も理解できない。なのに、どうして悩むのだ?

 

成り行きにまかせる

ヘンリー・フォードの言葉

もはや手の施しようのない事態になったら、事態の成り行きにまかせるだけだ。

 

忘れてしまいましょう。

自分の罪や、期待に応えられなかったことなんて。

 

しかも、「期待に応える」という考え自体が、とても自分勝手なのです。

なぜなら、期待の中身については、誰も知らないから。

そしてお互いに、「共依存」「共犯」である可能性が高いです。

「期待」の中身を、聞こうとしない人と、言おうとしない人の共犯

相手の「期待」が何かを、そもそも知らない

「期待に応えたい」とは言いますが。

じゃあ、「期待って何?」と聞かれたとき、「期待」の内容を、具体的に言えるでしょうか。

ほとんどの場合、言えないはずです。

 

なぜ?

「期待」の内容は、勝手に解釈しているだけだから

 

勝手に解釈して、勝手にグチを言う

勝手に解釈して、勝手に頑張る人は、きまって次のようなグチをためこみます。

  • こんなに頑張っているのに、なんで?
  • 誰もわかってくれない
  • 自分だけが損してる気がする
  • 私の期待には、なぜ誰も応えてくれないの
  • いつまで頑張ればいいの

 

理由は簡単。

 

相手が求めてもいないことを、必死にやっているから

 

いわゆる余計なお世話です。

 

なぜ?

 

相手の期待を知らないから

 

勝手に解釈し、勝手にやって、勝手に怒っている。

これが実情なのです。

 

つまり。

期待に応えようとしている人は、ものすごく自分勝手

 

このことを、しっかりと自覚したほうがいい。

そうすれば、「さっさと捨てなければ」という気持ちになってきますよね。

 

いや、それよりも、自分が悪いのかと思ったら、ますます罪悪感が強くなってきた……

 

自分勝手に解釈してしまうのは、決してあなたのせいではありません。

周りが悪いのです。

 

なぜなら。

「察する文化」だから。

 

「察する」ことを、誰もが望む

「勝手にやるな」と言う一方で。

「それくらい察しろ」とも言う。

 

非常に矛盾した文化の中で、私たちは生きています。

だから、何も聞かずにそっと、「察して動こう」とするのは、当たり前。

誰もが、「少しは察してほしい」と望んでいるからなのです。

 

察することを望んだのに、「頼んでない」と言う

「察してほしい」と言われたから、察して動く。

すると今度は、こう言われませんか?

「そんなこと、頼んでない」と。

 

もちろん、察し方が未熟だったともいえますが。

とはいえ、やはり、「完全に察する」なんて、難しいですよね。

 

なんかバカバカしいぞ……

 

「期待」なんて、妄想のようなもの。

 

「期待に応える」ことはバカバカしい

ここで言いたいのは、「期待に応えるなんてバカバカしい」と感じることができたら、期待を手放しやすくなるのではないか、ということ。

 

次の3点を考えてみたら、期待を手放したくなりませんか。

  • 自分は無罪である
  • 勝手に解釈して勝手にやって、勝手に被害妄想を抱いている
  • そもそも期待の中身を誰も知らない

 

勝手に苦しくなって、勝手に罪を背負う。

そして勝手に、「誰もわかってくれない」と嘆く。

それをやめることがダメ人間なのだとしたら、それこそバカバカしいことです。

 

それでもまだ、「ダメ人間になりそう」という不安が強いのなら、すべての発想を逆にしてみることをオススメします。

期待に応えない生き方こそ、ギブの生き方である

自分が思う「ワガママ」は、他人にとっての「ギブ」

「期待に応える生き方が自分勝手」なのだとしたら、「逆もまた真なり」。

「期待に応えない」を選んだら、どれだけ人に貢献できるだろうかと考えてみましょう。

 

自分の考え方は、常に正反対

期待に応えようと思うと、自分勝手になる。

期待に応えないと思うと、人のためになる。

 

なぜなら。

自分の考えは常に、思い込みや偏見で満ちているから

「ワガママに生きるほど幸せになる」と言っている人がいるのは、このことがわかっている人なのだと思います。

「ワガママ」とは、自分が勝手に思いこんでいるだけで、他人から見れば、「貢献(=ギブ)」なのだ、と。

 

なんとなくわかってきたけど、でもやっぱり、苦しいよ。

 

そんなときは、アファメーション!

「洗脳」のようなもので、毎日、唱えてみると、だんだんと意識が変わっていきます。

おすすめのアファメーション

罪悪感を向けている相手に対して

具体的な誰かを思い浮かべて、次のセリフを唱えてみましょう。

相手に対し、負けを認めてしまうのがポイントです。

  • ○○さん、私の負けです。あなたの勝ちです。
  • ○○さん、あなたの……が素晴らしいです。
  • ○○さん、……してくれてありがとう。
  • ○○さん、私はあなたから……を学びました。ありがとう。

 

勝とうとしない。

負ける。

だから、期待にも応えない。

罪悪感を向けるよりも、感謝を向けてみましょう。

罪悪感を抱く自分に対して

素直に生きることも、無罪であることも、自分が決めること。

誰の許可も必要ありません。

だから、自分に向かって唱えてみましょう。

 

素直に生きるアファメーション
 

私はいつも誰かのために頑張ってきました。

誰かを笑顔にするためにずっと頑張ってきました。

でも、私は強がって頑張ってきましたが、もう限界です。

私は全然大丈夫ではありません。

私はもう素直に生きます。

私は弱さを隠さず、素直に表現します。

私はありのままの私で生きていきます。

 

無罪のアファメーション
 

私は無罪です。

私の罪はすべて許されました。

私は今、牢屋を開け放ち、自由の身になりました。

私はどこにでも行くことができます。

私は自分自身の人生を生きていきます。

私は無罪です。

 

ゲシュタルトの祈り

「私は私、あなたはあなた」

別々の人間だということ。

相手の課題には介入できないということ。

それを知ることです。

 

ゲシュタルトの祈り
 

私は私のことをする、

あなたはあなたのことをする。

私はあなたのために生きているわけではないし、

あなたも私のために生きているわけではない。

あなたはあなた、

私は私。

もしも、お互い出会うことができたら、それはすばらしいこと。

もし出会えなくても、それはしかたのないこと。

まとめ

何かを選択することが難しく感じるとき。

理由はわからないけれど、なんとなく苦しいとき。

そんなときは、「罪悪感」が原因かもしれません。

 

自分はいったい、誰の期待に応えようとしているのだろうかと、問いかけてみるといいと思います。

普段は気づいてなかったけれど、やっぱり応えようとしていた。

そんなことが、よくあるのです。

 

そして、期待に応えようと思うと、「選択」「決断」が怖くなります。

なぜなら、「なんて言われるだろうか」と気になってしまうから。

 

これをやることで、あの人は本当に喜んでくれるのか。

あの人の期待を満たすことはできるのか。

いつも、「応えたいあの人」の顔色をうかがってしまう。

だから、前に進むのが怖い。

 

特に、「なぜ、できないの?」と誰かに言われたら、まずは自分に対して思いやりの視線を向けましょう。

 

「アファメーション」の内容を見ると、決して自分を責めてないですよね。

むしろ、自分はよく頑張ってきたと、自分をいたわり、ほめています。

自分が前進するためには、そのプロセスが大事なのです。

 

罪悪感や自責からは、選択も決断も前進も、決してできません。

 

だから。

選択ができない、前進ができないと感じたら。

自分を、許す。

そして、自分のために生きてみる。

それを実践するときなのです。

 

ということで。

 

今日の問いかけ
  • 誰の期待に応えようとしているの?
  • 相手の「期待」は何か、具体的に言える?
  • 私は本当に、罪を背負っているの?
  • 期待に応えないほうが、「ギブ」できるのではないか?

 

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