夢を持とうと言われても、疲れてしまう。
目標も、一貫性も、ビジョンも、ときには放り投げてみよう。
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「仕事は楽しいかね」(by デイル・ドーテン)
長期目標は、必要ない!
「仕事は楽しいかね」という本に書いてあった次の一節が、個人的にはとても心に響いています。
きみは、最初に陸にあがった魚は長期にわたる目標を持っていたと思うかね
人類の歴史に、長期目標なんてあったのだろうか
言われてみればたしかに、人類の歴史にとって、長期目標なんてなかったのではないでしょうか。
アフリカで誕生したとされる人類が、何万年もかけて「グレートジャーニー」と呼ばれる大陸移動をした。
火を使うようになり、都市を築き、文明を作り上げていった。
けれども、それは、ただ目の前のことを追い続けた結果であって。
文明を築くために「グレートジャーニー」をしたわけでは、ないのではないか。
だからこそ。
目の前のことに、楽しく取り組む
これだけで十分なんだという考え方も、出てくるのです。
遊び感覚で見守るほうが大事
成功する人たちはね、自分がどこへ向かっているかということはわかってない──ただ、遊び感覚でいろいろやって、成り行きを見守ろうと思っている。実をいうと、 これは僕の大好きな言葉の一つなんだ。
〝遊び感覚でいろいろやって、成り行きを見守る〟
自分がどこへ向かっているかはわかっていない
最初に陸にあがった魚もそうだし。
グレートジャーニーを続けた人類の祖先もそう。
IT関連の会社の創業者たちも、よく言いますよね。
パソコンで遊んでいただけだった、と。
どこへ向かっているかなんて、実は、わかっていない。
むしろ、わからないからこそ楽しいことも。
冒険を楽しむように、人生を旅する
「理想を持ちつつも、遊び感覚で楽しく取り組む」という姿勢で、幸せになれる人もいるのです。
大陸移動していた私たちの祖先たちも、きっと冒険のような感覚だったのではないでしょうか。
しかも恐ろしいことに……
真面目すぎてしまう人は、成功しても幸せではない場合が、よくあるそうなのです。
やりたいことをやっても、なぜか幸せじゃない人たち
アメリカの至るところで、人々は精神分析医のところへ詰めかけ、こうぼやいてる、『〈ずっとしたいと思っていた〉仕事をしているのに、なぜか〈やっぱり幸せじゃない〉んです』そういう人は、計画を立てることに依存しすぎてる。僕が〈目標の弊害〉と呼んでいる状態に陥ってるんだ。
ずっと願っていたことが、叶った。
やりたいことが、できるようになった。
その結果……
精神分析医のお世話になる!
……という人が、いるのだそう。
もちろん、全員ではありませんが。
ただ、真面目に取り組みすぎて、「遊び」や「楽しさ」を後回しにしてしまう場合も、多々あるのかもしれません。
だから、目標を立てることには、弊害もあるというのです。
目標を立てるよりも、大事なこと
この本では、次の3点を強調していました。
- 明日は今日と違う自分になる
- 遊び感覚でいろいろやって、成り行きを見守る
- 成功とは、右に倣えをしないこと
「仕事は楽しいかね」というタイトルどおり……
とにかく楽しく!
この気持ちを失っては、本末転倒なのでしょう。
楽しむ気持ちを大事にできているだろうか?
「自己信頼」(by ラルフ・ウォルドー・エマソン)
一貫性は、必要ない!
夢を叶えた人の特徴って?
- ひたむきに、ひとつのことを続けた
- あきらめずに、夢を追い続けた
- 夢が叶うことを、信じてやまなかった
つまり。
一貫性が大事!
……ということが、よく言われますね。
たとえば、さかなクンのように。
子どもの頃から、「魚」一筋に生きていたり。

けれども。
一貫性なんて必要ない!
……とは、エマソンの主張。
仮に矛盾したからといって、それが何?
今心の中にあることを、断固として口に出したまえ。そして明日は、明日考えたことを口にするのだ。それがたとえ、今日言ったことと矛盾していても。
昨日の発言と、今日の発言が、たとえ違っていたとしても。
そんなことは気にせずに、「今日思ったことを言え!」というのです。
しかも……
仮に矛盾したからといって、それが何なのだ?
そこまで強く思えたら、スカッとしますね。
なぜ、そこまで強く言えるのか……?
すべては、誤差の範囲だから!
アンデスやヒマラヤの突出が、地球全体の曲率から見ればどうということはないように、自分の考えの凸凹も、その人の存在全体から見れば誤差の範囲だ。それに、他人が自分をどう評価し、どう裁こうが、どうでもいいことではないか。
アンデスやヒマラヤでさえも、はるか宇宙から見下ろせば、大したことがない。
ヒマラヤの凹凸が大したことがないなら、私たちの発言なんて、本当に取るに足りないくらいの、どうでもいい誤差ですね。
すべては、「誤差の範囲」。
しかも、よく見てみれば、本当は一直線。
ジグザグに進んでいるようでも、一直線になっている
どんなによい船でも、何百もの航跡を描いてジグザグに進んでいく。だが、距離を取って眺めてみるといい。船は目的地に向かって真っすぐ進んでいる。
船がジグザグ進んでいても、はるか上空から見れば、やはり一直線。
だから、ちょっとくらいの蛇行は、有り。
たとえば……
何度も、転職を重ねたり。
何度も、やりたいことが変わったり。
自分は遠回りしているのではないか?
ムダなことをしているのではないか?
そんなふうに不安になったとしても。
すべて、「誤差の範囲」ととらえる。
実は一直線に進んでいることを自覚する。
だから、どんな選択をしたとしても、自信をもっていいのです。
自分の意志から出たものなら、調和がとれている
どんなにちぐはぐに見える行動であっても、そのときどきに誠実に自然に行われたものならば、そこには何か共通するものがある。ひとつの意志から出たものなら、どんなに違って見えようと、調和が取れているはずだからだ。少し距離を置いて、高い視点で眺めてみれば、その違いなど見えなくなる。
最初に陸にあがった魚のように。
数々の失敗があったとしても、長期目標がなかったとしても。
陸で生活をすることは、間違いではなかったのです。
好奇心によって、選択してみたこと。
楽しそうだと思って、始めてみたこと。
「一貫性」という言葉に振り回されずに、自信をもって取り組めばいいのかもしれません。
- 今、心の中にあることを、堂々と口に出せているだろうか?
- 一貫性にとらわれていないだろうか?
「シンプルに考える」(by 森川亮)
ビジョンは、必要ない!
誰にも「未来」のことはわかりません。だから、わからないものを明文化するのは難しいと思うのです。
LINEの元社長、森川さんは、「シンプルに考える」ことに徹したそうです。
その一部を挙げると……
- ビジョンはいらない
- 計画はいらない
- 戦わない
まさに、常識とは真逆!
では、なぜビジョンはいらないのでしょう?
未来のことは、誰にもわからないから!
未来のことは、わかりません。
誰にも、「こうだ」とは決められない。
特に今のように、どんどん変化していく時代には、「こうだと決める」ことよりも、柔軟に対応していくことが求められる。
だから、ビジョンはいらないそうです。
科学的にも、ビジョンの不明瞭さは証明されている
「ビジョンがいらない」ことは、森川さん特有の考えではなく。
実は、科学的にも証明されていることのようです。
「ビジョンを立てる企業ほどダメになる」という意見さえあるほど。
今の時代に必要なのは、固定されたビジョンではなく、変化できる自分!
変化の時代を生き抜くには、自分が変化すること
わかるはずもない「未来」を予測するなどという作業は、会社にとって余計なことなのです。それよりも、「目の前」のニーズに答えることに集中する。そして、常にそのニーズに変化の兆しはないかと、神経を鋭敏にしておくことのほうが重要だと思うのです。
ビジョンはときに、言い訳に使われることもあります。
一度決めたことに、こりかたまってしまい、身動きができなくなることも。
それよりも、「不確実」な状況に適応し、変化できる自分になっていくことのほうが大事だといいます。
「目の前」のことに集中する。
それは、「今を生きる」ことでもあり。
陸に上がった魚のように、起こる変化に、柔軟に対応しながら進んでいくことなのかもしれません。
夢や目標が、変化したくないための言い訳になってないだろうか?
- 「ビジョンや情熱がないとダメ」というのは思い込みではないか?
- 目の前のことを楽しみ、集中できているか?
- 目標が、ただの言い訳になっていないか?
- 状況にあわせて、自分を変化させる柔軟性はあるだろうか?
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