劣等感は、誰もが抱えているもの。
「自分だけ」では、ありません。
最終的には、笑ってしまえれば解消します。
荘子の言葉。
「ハーバードの人生が変わる東洋哲学」より
結局のところ。
要するに。
「嫌われる勇気」の主人公(青年)も、劣等感のかたまり。
青年は幼いころから自分に自信が持てず、出自や学歴、さらには容姿についても強い劣等感を持っていた。そのおかげだろう、過剰なほど他者の視線を気にしてしまうところがあった。そして他者の幸福を心から祝福することができず、いつも自己嫌悪に陥っていた。
主人公の青年は、容姿・出自・学歴、すべてにおいて強い劣等感を抱いている。
だから、他者の目が気になる。
他者の幸福を喜ぶことができない。
いつも自己嫌悪。
さて、この劣等感に対して、アドラーは、どのような答えを出してくれるのでしょうか。
Contents
「劣等感」と「劣等コンプレックス」を区別する
健全な「劣等感」は、成長の促進剤
アドラーは「優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激である」と語っています。劣等感も、使い方さえ間違えなければ、努力や成長の促進剤となるのです。
- 「できないこと」を、「できるようになりたい」と追求すること
- 「理想の自分」になること
「理想の自分」になりたいからこそ、目標を掲げる。
理想に向かって頑張ることは、いいことですよね。
つまり。
「理想の自分」と「今の自分」を比較するのが、健全な劣等感
劣等感を持つことは、向上心につながるから、いい。
よくないのは、他者との比較です。
- 健全な「劣等感」
- 理想の自分と今の自分との比較
- 不健全な「劣等コンプレックス」
- 他者との比較・競争
- 劣等感を「道具」にする
- 「Aだから、Bできない」
- いわゆる「不幸自慢」
不健全な「劣等コンプレックス」は、不幸自慢をする
「わたしは学歴が低いから、
成功できない」と考える。あるいは「わたしは器量が悪いから、 結婚できない」と考える。このように日常生活のなかで「 Aであるから、Bできない」という論理を振りかざすのは、 もはや劣等感の範疇に収まりません。
たとえば。
- 容姿が悪いから、恋愛ができない
- 両親が離婚したから、自分も結婚できない
- いじめられた経験があるから、人を信じられない
「Aだから、Bできない」と言う人は。
「Aさえなければ、Bできる」と思っている。
実は、「Bできない」状態でいたい
通常なら、どんな条件であろうとも、「Bできる」ように努力する。
けれども。
「Aがある」ことを言い訳にして、努力を放棄するのです。
なぜか?
「Aがある自分」を特別視すれば、人の上に立てるから。
劣等感を利用して、人の上に立とうとしているのです。
弱さを武器にして。
「自分を特別視する」というのが、ポイントですね。
特別でいたいからこそ、劣等感を手放せないのです。
やはり。
「劣等感」は、自ら積極的に持っているのです。
「劣等感」は、主観である
客観的な「劣等性」ではなく、主観的な「劣等感」
「嫌われる勇気」では、哲人も若い頃、「身長が低いことが劣等感」だったと語ります。
わたしが自分の身長に感じていたのは、あくまでも他者との比較――つまりは対人関係――のなかで生まれた、主観的な「劣等感」だったのです。もしも比べるべき他者が存在しなければ、わたしは自分の身長が低いなどと思いもしなかったはずですから。あなたもいま、さまざまな劣等感を抱え、苦しめられているのでしょう。しかし、それは客観的な「劣等性」ではなく、主観的な「劣等感」であることを理解してください。
つまり。
誰かと比べて、「背の低い自分はダメだ」と、自分で解釈した。
自分一人だけなら、劣等感は抱かないはずなんです。
常に、他者との比較・競争。
劣等感の目的を、改めて考え直してみるといいと思います。
「劣等」だと、自分で主観的に「感」じている。
すべては「主観」です。
「劣等感」は、主観的な解釈であり、勝手な思い込みである
自分の身長も「人をくつろがせる」とか「他者を威圧しない」という観点から見ると、それなりの長所になりうるのだ、と。もちろん、これは主観的な解釈です。もっといえば勝手な思い込みです。
「劣等感」が「主観的な解釈」であるならば。
自分の解釈を変えてしまえばいいことになります。
なぜなら。
「主観的な解釈」とは、自分で決めたことだから。
自分で決めたことだからこそ、自分で変えられるのです。
何を選びたいのか?
主観にはひとつだけいいところがあります。それは、自分の手で選択可能だということです。自分の身長について長所と見るのか、それとも短所と見るのか。いずれも主観に委ねられているからこそ、わたしはどちらを選ぶこともできます。
長所と見るのも、短所と見るのも、自分の選択によること。
ならば。
どっちを選びたい?
「自分にとって大切なものは何か?」という見きわめと選択が、重要になってきます。
「他者の期待を満たす生き方」を捨ててみましょう。
「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない
「わたし」のことを考えて生きてていい
あなたは、あなただけの人生を生きています。誰のために生きているのかといえば、無論あなたのためです。そしてもし、自分のために生きていないのだとすれば、いったい誰があなたの人生を生きてくれるのでしょうか。われわれは、究極的には「わたし」のことを考えて生きている。そう考えてはいけない理由はありません。
アドラー心理学では、「承認欲求の否定」を重視します。
「承認されるため」とは、言いかえれば、「他者の期待を満たすため」。
そこにこそ、苦しみの根源がある。
「劣等感」で悩んでしまうのも、他者の視線を気にするからですよね。
他者の視線から解放されることができれば、悩むことはなくなるわけです。
仕事も、他者の期待を満たすためではない
たとえば仕事の主眼が「他者の期待を満たすこと」になってしまったら、その仕事は相当に苦しいものになるでしょう。なぜなら、いつも他者の視線を気にして、他者からの評価に怯え、自分が「わたし」であることを抑えているわけですから。
仕事でさえも。
他者の期待を満たすことを考え始めたら、承認欲求でガチガチになってしまう。
では、「何のために」行動したらいいのか?
健全な「劣等感」とは何であったかを思い出しましょう。
他者との競争ではなく、理想の自分になるため
他者との競争ではなく。
他者の期待を満たすことでもなく。
理想の自分を目指し、理想の自分と比較する
そうすれば、劣等感は成長へのバネになるというのです。
劣等感を抱くのは周囲の責任、抜け出すのは自分の責任
「自分は何も悪くない」と思うことがポイント
「世界一シンプルなこころの整理法」の著者・赤羽雄二さんは、次のように語っています。
- easy-goingでいけ!
- あなたは何も悪くない。周囲が悪い
- 本人にそういう思いをさせ、悪循環に陥らせた周囲の責任のほうが大きい
- 性格的に劣等感を刺激されやすい人はいるけれど、過度に刺激しなければ問題は起きなかった
- 自分で自分を褒めるのではなく、他者から褒めてもらいなさい
- 自分を否定する人はスルーしなさい
- 自分に劣等感があると、スルーできない
- なんにも気にしなくていい
「気にしない」境地になることが、とっても重要。
「自分が弱いから悪い」は、ウソ
- 自分が、敏感すぎるから
- 自分が、気にしすぎるから
- 自分が弱いから、こうなってしまったんだ
そんな思いを抱くこともあります。
でも。
劣等感をもってしまったのは、周囲の責任が大きいのです。
- 劣等感をもつように、仕向けられている
- 「出る杭は打たれる」社会だから
- どうしても足を引っ張ろうとする
これは、古来から変わらない、日本人のクセ。
自分のせいではない。環境のせい。
そこを自覚するだけで、落ち着きを取り戻すことができます。
「劣等感をもってしまう自分は、弱くてダメな人間なんだ」という思いが、ますます自分の行動をさまたげるのです。
でも、刺激を受けやすい性格ならば、刺激を避ければいい。
「あえて谷底に突き落とされる」意味も、ない。
あなたは、何も悪くない。
自己嫌悪を抱かせるほうが悪い。
大人になったら、自分で劣等感から卒業しよう
周囲が悪いとはいえ。
いつまでも周囲のせいには、できないですよね。
自分が成長しなければなりません。
まずは、自分の劣等感を、明確に把握することをオススメします。
すべて書き出す
- 自分が気にしていることを全部書く
- 文章にしないと考えられないから、書き出してみよう
- 人がどう思っているかを書く
- 想像しながら、書いてみる
- それは直接言われたのか? どうなのか?
- どれが、「思い込み」なのか?
- 自分にとって何が大切なのかを書く
- 自分が本当に大切にしたいことは、何?
- 劣等感と、大切にしたいこと、どっち選ぶ?
- 周りの人がもっている劣等感を書く
- 「自分だけ」は思い込み?
- 自分の劣等感を誰が気にしているのかを書く
- 誰が気にしていたっけ?
- 劣等感は、自分の心の持ちようにすぎないことを理解する
- 劣等感以上に大切にしたいものがある
- 自分だけではなく、周囲の誰もが劣等感をもっている
- しかも、自分の劣等感を誰も気にしていない
- 笑っちゃったほうがいいのでは?
書く(考える)ポイント
- どういう時、特に劣等感を感じるか
- いつから、劣等感を感じるようになったか
- 劣等感のある自分は、周囲にどう見えているか
- 劣等感を隠すことができたら、周囲にはどう見えるか
- 劣等感がなさそうな人は、本当に劣等感がないのか
- 劣等感がなさそうな人は、どうやって元気を出しているのか
- 劣等感を持たずにすむ相手がいるか
- 特に強い劣等感を感じる相手は誰か、どうしてか
- 自分にとって劣等感とは何なのか
- 劣等感を無視することはできないか
- 自分の劣等感を誰が気にしているか
- 自分にとって何が大切なのか
- 劣等感とは、心の持ちようなのか
いろいろ考えた結果、笑えるようになったら、いいなと思います。
しょせんは、自分の思い込みですから。
まとめ
- 自分が気にしていることを全部書く
- 人がどう思っているかを書く
- 自分にとって何が大切なのかを書く
- 周りの人がもっている劣等感を書く
- 自分の劣等感を誰が気にしているのかを書く
- 劣等感は、自分の心の持ちようにすぎないことを理解する
私自身もたくさんの劣等感を抱えていますが、人に話すと、「え? なんで?」と驚かれたりして、逆に自分でも驚いてしまいます。
自分にとっては大きいものでも、「客観的に見ると大したことではない」というのが、劣等感の真実。
すべては「主観」だからです。
「バカにされている」と思うから、苦しいんですよね。
でも。
「バカにされている」と思うのも、自分の主観。
であるならば。
「うらやましがられている」と決めてしまえばいいことになります。
心が小さくなり、行動も小さくなる方向へと解釈するのではなく。
心が大らかに、行動も大らかになる方向へと解釈すればいい。
そして、スルースキルで、なんにも気にしない境地を身につけたい。
劣等感に悩むたびに、「思い込みにすぎない」ことを、何度も何度も確認してみましょう。
ということで。
他者との競争をストップしよう。
他者の期待を満たすために生きてはいけない!
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