やる気が出ない原因は、意外と単純。
やる気が出ない原因……
それは。
「自分は何でもできる」という万能感
自信があってよさそうだけれども。
その一方で、私たちの気力を奪っていきます。
特に次のような悩みのある人は、万能感を持っている可能性があります。
- 生真面目すぎて、やる気がなくなっちゃう
- 完璧主義で、「◯◯しなきゃ」と思いすぎちゃう
- 少しの失敗で「自分はもうダメだ」と思ってしまう
- 自分の考えていることがわからない
- 自分は何が好きなのかがわからない
- 結果的に何もできなくなる
合う合わないはあると思いますので、合わない人はスルーしてくださいね。
Contents
人を無気力にさせる原因は、「万能感」
「自分はスーパーヒーロー」という幻想が強すぎる
万能感の特徴(心の中で感じていること)
- 「自分は何でもできる」
- すべては自分の思いどおりになる
- だから、自分で何とかしなきゃ
- 「自分は何でも知っている」
- 何が正しいのか、知っている
- どうすればうまくいくか、知っている
- だから、すべて自分でジャッジしなきゃ
万能感をもつ人の特徴
- 「間違い探し」「犯人探し」がクセになる
- 「正しいかどうか」「善か悪か」で判断する
- 「好きかどうか」の判断はできない
万能感をもつ人のセルフ・イメージ
- 自分は、何でもできるスーパーヒーロー
- 自分は、何でも知っている正義の味方
- 自分こそが神である
いいことのようにも思えますが、一方で無気力を引き起こしてしまう。
なぜならば。
- すべてが正しくないと、許せないから
- すべてが思いどおりにならないと、許せないから
万能感が働いていると、どんどん自分が偉い人間・仕事ができる人間であるように感じ、たとえば目上の人や偉い相手に対しても、「〇〇さんは自分の思い通りに動いてくれない」とか「私が望むように優しくしてくれない」という感情が湧きやすくなります。そうして相手の気に入らないところがどんどん目につき、増えていくのです。
(by 「やる気が出ない」が一瞬で消える方法)
ここまでのまとめ
「気に入らないこと」だらけで不安が強くなる
何でもできる自分でいたいから
- すべてを知っているかのように振る舞う
- 知らないなんて、ありえない
- 自分は偉い、自分は正しい
万能感をもつ人の不安感
- 自分のせいかもしれない
- 自分が、間違っているかもしれない
- 自分は、何もできていない
- 思いどおりに、うまくいくはず
- 努力した分、見返りがないとオカシイ
- 理想と現実のギャップに落ち込む
- ○○しなければ
- 前向きにならなければ
- ポジティブにならなければ
- 常に戦っていなきゃいけない
- 自分で判断しなければ
万能感をもつ人の口グセ
- 今の言い方、間違ってたかな?
- この選択、間違いかな?
- 私の何が悪かったのだろう?
- いったい、誰が悪いんだろう?
思いどおりにならない他人が気に入らない
- なぜ、私(スーパーヒーロー)の言うことを聞けないの?
- なぜ、こんなこともできないの?
- 相手は、私の話を聞かない、頑固な人だ
- 相手は、正しいことができない、ダメな人だ
夢も気力も、もてなくなる
- 正しさばかりを追い求めるから
- 謙虚さ・感謝を忘れるから
- 正解か不正解かだけの、とても味けない世界
- 思いどおりになるはずなのに、ならないイラだち
なぜ、そうなるかといえば。
実際に、ホルモンのバランスが崩れているようなのです。
だから、対策の1つ目は、とにかく休むことです。
やる気を取り戻す5つの対策
対策1:とにかく休む
闘争と安心のホルモンバランスが崩れている
- 闘争ホルモンの「ノルアドレナリン」
- 戦っていたい
- 安心ホルモンの「セロトニン」
- 休んでいたい
「闘争 V.S. 安心」の闘いが終わらないと、ホルモンの量がアンバランスになるんです。
ホルモンを抑えるためには、待つしかない
安心ホルモンって、いいもののように思えますが。
出すぎると、やはり、やる気がなくなるんです。
何もしたくなくなってしまうからですね。
そして、なんと。
安心ホルモンを抑えるためには、待つしかない
けれども。
万能感があると、休んでも疲れがとれません。
寝ても覚めても万能感を持ち続けているから、脳が休んでないんですね。
物理的な休みだけではなく、精神的にも休む必要がある
いま考えていること、すべてを手放して、とにかく精神的にも休むことが一番。
「瞑想」もいいかもしれません。
一番手放したほうがいいのは、「善悪」「正誤」での判断。
対策2:「善悪」「正誤」を手放す
万能感を持ってる人は
- 本当は「快」なのに
- 無理して、嫌いなフリをする
- 本当は「不快」なのに
- 我慢して、頑張り続けてしまう
- 常にジャッジしている
- 何が「いいか・悪いか」
- 誰が「正しいか・間違っているか」
ひとことで言うと。
- 犯人探し
- 正解を求める
このやり方が、不協和音を起こすのです。
不協和音とは、黒板を爪でキーっとひっかいたときのような、気持ちの悪い音。
気持ちの悪い音を聞き続けてるから、体調不良になるのも当たり前。
だから。
こんな気持ちは、いったん手放してみましょう。
- 正しいのは、どっちだろう
- 自分の何が悪いんだろう
- どうすれば「善い」んだろう
- あいつは間違っている
「選択の基準」は、「善悪」「正誤」ではなく、「快・不快」にしてみること。
対策3:「快・不快」で決める
「快・不快」のリズムを大切にする
快・不快・快・不快・快・不快
ただただ、快か不快かだけ。
不快と感じたものは避けていいですし、快ばかりを感じようとしていいのです。おいしいと感じるものを食べ、まずいものは避けていい、ということです。
(by 「やる気が出ない」が一瞬で消える方法)
万能感を抱いている人は、こんなふうに思いがち。
- 「快感」を求めちゃいけない
- 人生、楽しいことだけじゃない
- 「好き」だけで選んだら怒られそう
けれども。
ぜんぶ「快」でいい
マジメすぎちゃう場合は、「快」を極端に避けてしまう傾向があります。
すると、自分の「好きなこと」がわからなくなるんですよね。
極端なくらい、「快」だけで選んでみるくらいで、ちょうどよくなります。
とにかく、「万能感を捨てる」と決めてみましょう。
対策4:「万能感を捨てる」と決める
捨てるものリスト
- 「自分のせいだ」という思い
- 「正しさ」
- 「うまくいくはず」という期待感
- 「何もできていない」という焦り
- 「理想と現実のギャップ」に苦しむこと
- 「常に戦い続けなきゃいけない」というプレッシャー
これらはすべて、万能感。
そもそも、人間は万能ではないから
やるだけのことをやったら、あとは、「神のみぞ知る」領域だということを知ることです。
「神のみぞ知る」という「無力感」を持つ
自分には何もわからない。
これ以上は神の領域だと心得る。
それが、無力感。
神様を信じようという話ではなく、「謙虚さ」の話です。
大いなるものへの畏敬の念、謙虚さ
たとえば、大自然を前にしたとき。
人間の、最も謙虚な気持ちが引き出されます。
「人間は、自然の前に無力である」と。
「畏(おそ)れ」が人を成長させる
「おそれ」とは、もともとは、「畏れ」。
「畏敬の念」というときの「畏」、つまり「尊敬」という意味。
「尊敬する」ことが、「おそれる」なのです。
かつて人々は、森林をおそれていました。
「おそれ」は、人間を成長させるもの。
今でも、「恐れ多い」「恐縮」という言葉を使いますね。
恐れることは、実は「尊敬」なのです。
自分の無力さを知るとは、自分の価値を下げることではない。
万能感を捨てると、謙虚さが手に入る
一人では何もできない、力のない自分。
だから、謙虚にもなるし素直にもなる。
人とも助け合えるようになります。
無力な自分を受け入れることが、本当の自己受容
- こんな自分じゃないのに
- もっとできるはずなのに
無力感を持てないと、悩み・苦しみが大きくなりますね。
でも、「無力さ」を受け入れれば……
- 「自分が生かされている」ことが見える
- 「自分のために世界がある」ことが見える
すると、感謝に満ちてくるはず。
- 自分は、無力である
- 自分は、責められる存在ではない
- 自分は、何もコントロールできない
これが、立ち返るべき原点。
他者に対しても同じ。
- 相手は、無力である
- 相手は、責められる存在ではない
- 相手は、コントロールできる存在ではない
「万能感」は、ちょくちょく顔を出します。
そんなときは……
何もしないこと。
対策5:万能感に気づいたら、何もしない
何もしないのが、一番いい
「あとはもう、神の領域」。
そう思って、あきらめることです。
無力さを受け入れたときにこそ、万能感は消えるから。
考えてみたら、それしかありませんね。
無力を受け入れることが、万能感を捨てることなのです。
つまりは、「感情を、そのまま受け入れること」。
「何とかしなきゃ」というのは、また「万能感」だから
- 自分のこの感情、何とかしなきゃ
- あの人のあの行動、何とかしなきゃ
それは、万能感に支配された考え方。
「自分で何とかできる」と思っているわけですね。
だからこそ。
何かに気づいたときには、何もしない
- 「何とかしなきゃ」という「万能感」が、悩みを引き起こす
- 「何もできない」ことを受け入れると、「何でもできるようになる」
まとめ
これは、万能感
- 本当は「快」なのに
- 我慢して、好きじゃないフリをする
- 本当は「不快」なのに
- 我慢して、頑張り続けてしまう
- 常にジャッジしている
- 何が「いいか・悪いか」
- 誰が「正しいか・間違っているか」
万能感の基準は、すべて「正しさ」
- ◯◯したほうがいい
- ◯◯しなきゃ
- ◯◯しておかないと困るだろうな
もう、「万能感」は捨てよう。
捨てるもの
- 自分のせい
- 正しさ
- 「うまくいくはず」という期待感
- 「何もできていない」という焦り
- 「理想と現実のギャップ」に苦しむこと
- 「常に戦い続けなきゃいけない」というプレッシャー
でも、万能感に気づいたら……
- 何もしない
これはまた、「万能感」の悪循環。
- 自分のこの感情、何とかしなきゃ
- あの人のあの行動、何とかしなきゃ
もう、何とかはできないから。
ただただ、受け入れるのみ。
- 自分は、無力である
- 自分は、責められる存在ではない
- 自分は、何もコントロールできない
だって、あとは、「神の領域」だから。
自分では、どうしようもない部分だから。
万能感を捨て去り、無力な自分を受け入れよう
「万能感」という概念を知ったとき、衝撃でした。
つらいとき、苦しいとき、「自分で何とかしなければ」と思っていたからです。
でも、それは、「自分で何とかできる」という気持ちの裏返しだったんですね。
「自分はできる」と思えば思うほど、無気力になるようです。
「自分は万能だ」と思うからこそ、「自信のない自分」を受け入れることができないからです。
万能感とは、とても傲慢なもの。
それでも、ふと気づくと、「何とかしようと」しています。
正しさを求めようとしてしまう。
そんなときも、「何もしない」のが一番だということです。
しょうがないなぁと、「無力な自分」を受け入れること。
そして。
向かう方向は常に、「快」を感じるほうへ。
判断を差し挟まずに、コツコツと我が身を経過観察し、ある日心にストンと落とし込まれた風景は、その人にとっての全データになっていきます。それはその人にしかわからないデータだからこそ、その風景によって「私」は何のために生きているのか、ということも見えてくるのです。
(by 「やる気が出ない」が一瞬で消える方法)
なお、「判断を挟まずに」とは、「マインドフルネス」(=瞑想の技術)にも通じます。
「評価や判断をする」という「万能感」を捨てることは、瞑想の境地でもありますね。
「万能感」ということを知りたければ、この本は、とても参考になります。





