相手の課題(=問題)に踏み込むと、人間関係は苦しくなる。
自分と相手の課題を切り離すことで、人間関係がラクになる。
それが、アドラーの考え方。
課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。
(by 嫌われる勇気)
課題の分離ができてないときとは、こんなとき
- 嫌われてるかもしれない
- 裏切られて、ツラい
- 全部、私のせいだ
- 私が悪いことをしてしまったんだ
- アイツにひとこと言ってやらなきゃ
- 上司のやり方が気に入らない
- パートナーが自分勝手すぎる
- 私のことを全然わかってくれない
- こんなに頑張ってるのに、なんで?
- もっと感謝してくれてもいいのに
- 本当に必要とされているんだろうか?
自然だと思って、やっている。
それが、人間関係を複雑にしているのです。
「課題の分離」のための3つのコツ
1:平静さ、2:勇気、3:知恵
有名な、「ニーバーの祈り」というものがあります。
神よ、我に与えたまえ、
変えられないことを受け入れる心の平静と、
変えられることを変えていく勇気と、
それらを区別する叡智とを。
要約すると、次の3点。
- 「解決不可能な問題」を受け入れる平静な心
- 「解決可能な問題」を解決する勇気の心
- 平静さと勇気を使い分ける知恵
つまり。
自分の直面する状況は、大きく2通りに分かれる。
- 解決不可能なこと
- 受け入れる平静さをもつ
- 相手の課題&自分の課題のコントロールできない部分
- 解決可能なこと
- 変える勇気をもつ
- 自分の課題のコントロールできる部分
そして、その2つを見極める知恵。
それを見極めるのが、自分の知恵?
課題を、4つに分類してみる
- 自分の課題&コントロールできること
- 解決可能
- 自分の課題&コントロールできないこと
- 解決不可能
- 受け入れる
- 相手の課題&コントロールできること
- できない
- 相手の課題&コントロールできないこと
- 解決不可能
- 受け入れる、相手にゆだねる
悩みが深くなってるとき、努力が実らないとき、やってもやっても疲れてしまうとき。
そんなときは「解決不可能な」状況に対して、努力をしているのかもしれません。
「解決可能か・不可能かを見極める知恵」がない状態です。
「解決可能」とは、自分で変えられる領域
- 解決可能=自分の課題
- 自分でコントロールできること
- 自分に変えられること
- 自分にできること
↓「自分の課題&自分でコントロールできること」が努力領域
目標や夢が全然かなわないときも
不可能領域を目標にしているのかもしれません。
そうではなく、「自分にできること」に集中する。
人間関係でも、目標を追うときでも、いつでも大切にしたいポイントです。
「この問題は、解決可能か? 不可能か?」を口癖にしてみよう。
「相手の気持ち」はコントロールできない
↓こういうことは、相手の課題。
- 相手が、自分をどう思うか
- 評価してくれるのか
- 感謝してくれるのか
- わかってくれるのか
- 丁重に扱ってくれるのか
- 相手が、自分を好きになるかどうか
- 好きなのか? 嫌いなのか?
だから。
こんなことで悩んだときは、努力の方向が間違っている。
↓
- こんなに、やってるのに……
- なんで、わかってくれないの?
- こんなに尽くしても、誰も好きになってくれない
- もう自分はダメなんだ
「解決不可能な領域」で自信を失うのは、もったいない
もはや、「自信」の問題ではありません。
「解決不可能だ」ということをわかっていない、「知恵」の問題なのです。
努力すべきは「解決可能なこと」
私たちが努力すべきは……
「解決可能なこと」「コントロールできること」「自分の課題」
苦しくなってきたら、「あ、これは解決不可能な領域だった」と思い出してみてくださいね。
相手のことは、すべてあきらめるってこと?
自分にできることは、「信じること」
たとえば、「言い方を変えてみる」とか。
「笑顔で言ってみる」とか。
コミュニケーションスキルを磨くことは、「自分の課題」ですね。
けれども、その結果、相手がどう受け止めるかは、「相手の課題」なわけです。
「こんなに努力してるのに……」は、NG。
寂しく感じることもあると思います。
でも、最終的に自分にできることは、「相手を信じる」ことしかない。
「自分の課題」から逃げたとき、相手をコントロールしたくなる
「自分の課題」が「信じること」ならば。
「信じる」という「自分の課題」に向き合えないとき、「相手をコントロール」し始める。
コントロールすることのほうが、無能なのですね。
だからこそ、それが「自分の課題」なんだな。
「自分の課題」という的(まと)を明確にする
「自分を見失う」とよく言いますが。
正確には、「自分の課題を」見失っている状態。
「相手の課題」めがけて突っ走っているから。
だから、空虚になったり、無気力になったりするんです。
自分はいま、本当に「自分の課題」に向かっているのか、毎日チェックする時間を是非つくってみてくださいね。
「成功」を再定義する
私は新しい定義を提唱したい。それは、「人生の成功は自分の価値に沿って生きること」だ。
この定義に従えば、自分の目標を達成していようがいまいが、あなたはすぐに成功できる。価値に従ってさえいれば、満足は今この場所、この瞬間に与えられる。そして他の人々からの承認を求める必要もない。誰かに「やり遂げたね」あるいは「君のやってることは正しいよ」と言ってもらわなくてもよいのだ。
(by 幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない)
私たちが掲げる目標は、世間体に左右されている部分がほとんどです。
- 皆から、うらやましがられたい
- 自分の正しさを見せつけてやりたい
- 「すごいね」って言われたい
でも、これを目標にしている限り、どんどん疲れていってしまいますよね。
それは、「相手の課題」だからです。
これが「相手の課題」
- 相手が自分を
- 「うらやましい」と思うかどうか
- 「すごいね」と思うかどうか
仕事や人間関係の悩みを、考え直してみる
「いい職業につきたい」のも、「いい家に住みたい」のも、本当に、「自分の課題」だと心から言えるでしょうか?
自分が心から望むことならばOK。
それが、「自分の価値観に沿って生きる道」です。
でも。
そうじゃないとしたら……
「相手の課題」に向かって突き進んでいます。
「相手の課題」に踏み込むのが、無意識のクセ
私たち自身も、踏み込まれて生きてきたので。
相手にも、つい踏み込んでしまう。
無意識の部分も大きいので、常にチェックが必要です。
本当に自分が望んでいることなのか、周囲に見せつけたいだけなのか。
自分の価値観を何度も思い出す
「相手の課題に踏み込まない」「自分の課題に集中する」とは、「自分の価値観を明確にすること」でもあります。
まずはそこからだな。
心は、私たちが欠点を補完するために、裕福で有名で成功すべきだと語りかけてくる。そうすれば私たちは受け入れられ、好かれ、愛されるのだ。愚かなことに、私たちはその声に耳を傾けてしまう。
(中略)
自分に尋ねてみよう。「本当の自分に少しでも近づくための言動や行動が何かできないだろうか?」
(by 幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない)
さて。
本当に、裕福で有名で成功すべきでしょうか?
自信をもってYesと言えることだけを、選びたいですよね。
集中するべきは、そこだけです。
まとめ
「課題の分離」とは、自分の状況を4つに分類する知恵をもつこと。
人生を変えるために必要なもの
- 解決不可能なこと
- 受け入れる平静さをもつ
- 解決可能なこと
- 変える勇気をもつ
- 「受け入れ」か「勇気」か
- みきわめる知恵をもつ
- 人生の成功とは
- 自分の価値に沿って生きること
- 相手の課題に踏み込むことではない
- これは、相手の課題への介入
- うらやましがられたい
- 自分の正しさを証明したい
- すごいねって言われたい
- 成功しなきゃ認めてもらえない
自分の価値観を再確認したい人には、次の本を読んでみると役立つと思いますよ。