【アドラー心理学】「課題の分離」がわかれば、人間関係はラクになる!

嫌われる勇気

人間関係の入り口は、「自分の課題」と「他者の課題」とを分離すること。

自分の課題に、他者を介入させてはいけないし。

他者の課題に、自分が介入してはいけない。

 

すなわち。

自分は、誰かに文句を言われ、傷つけられる自分ではないし。

同じように他者も、文句を言われる存在ではない。

お互いに、土足で踏み込む権利はない、というのです。

 

あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと—— あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること—— によって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。

 

課題の分離ができれば、対人関係は激変する!

 

いったい、どういうことなのでしょう?

続きは本文で。

 

嫌われる勇気

 

「嫌われる勇気」のポイント

  1. 人生のタスク(人間関係)
  2. 目的論
  3. ライフスタイル(パラダイム)
  4. 自己受容
  5. 課題の分離
  6. 他者信頼と他者貢献
  7. 共同体感覚
  8. 承認欲求ではなく貢献感→見返りを捨てる

 

「嫌われる勇気」by 岸見 一郎,古賀 史健

なぜ、他者からの評価が気になるのか?

承認を求めてやまない

あなたは、他者の視線が気になっている。他者からの評価が気になっている。だからこそ、他者からの承認を求めてやまない。

 

  • 人の目が気になる
  • 人からの評価が気になる
  • だから、「承認」を求める

 

人の目って、気になりますよね。

自分はどう思われているのか、気になって仕方ない。

悪く思われているのか? よく思われているのか?

どうせなら、よく思われたいですよね。

 

だから、人の目を気にすれば気にするほど、承認を求めたくなるのです。

「悪く思われたい」と願いながら、人の目を気にする人は、いないはず。

人の目が気になる = 「よく思われているか?」が気になる

どうせなら、よく思われたい。

それが承認欲求ですね。

 

でも、どう思われてるかを気にすれば気にするほど……

自由な振る舞いができなくなっていきますよね。

「悪く思われるかも?」と不安になったら、怖くて行動ができません。

行動できなくなるのは、やはり人の目を気にするからでしょう。

 

では、なぜ、こんなにも気になってしまうのでしょうか。

「課題の分離」ができないから、他者の視線が気になる

なぜ、他者の視線が気になるのか? アドラー心理学の答えは簡単です。あなたはまだ、課題の分離ができていない。本来は他者の課題であるはずのことまで、「自分の課題」だと思い込んでいる。

 

  • 「課題の分離」ができていないから、他者の視線が気になる
  • 本来は他者の課題なのに、「自分の課題」だと思い込んでいる

 

さて、どういうことでしょうか。

わかりやすい例で、「馬に水を飲ませる」という話があります。

 

  • 自分の課題:馬を水辺に連れていく
  • 相手の課題:水を飲む

 

私の課題としては、水辺に連れていくところまで。

それを、「なんで飲まないの!」と怒るのは、相手の課題に介入することです。

 

「せっかく、やってあげたのに」とか。

「私の好意を無視した」とか。

「どうして野んでくれないの!」とか。

 

相手が思ったとおりの行動をしてくれないからと、怒ったり、悲しくなったり、つらくなったり、してませんか?

だけど……

それは相手の課題なので、悩む必要はない、悩むだけムダなのです。

あるいは、「自分のせいだ」と思って、自分を責めてしまいませんか?

「自分のせい」というのは思い込み

なぜなら、「相手の課題」だからです。

 

「自分の課題」だと思い込む = 「すべて自分のせい」と思い込む

 

すべてが自分のせいなら、怖くて仕方ないですよね。

何もヤル気が起きなくなってしまうのは当然。

 

でも、「本来は他者の課題なのに」というのは、どういう意味なのでしょうか。

他者の課題に介入するとは、「見返り」を求めること

他者は自分を好きになるべきなのか?

「よく思われているか」が気になるとは、すなわち、「好かれているかどうかが気になる」ということですね。

 

他者が自分を嫌いなら、落ち込むし。

他者が自分を好きなら、安心する。

 

さて、ここで疑問が生じます。

他者は、自分を好きになる「べき」なのでしょうか?

全員に好かれることは、ありえない

よく言われますよね。

「全員に好かれることは、ありえない」と。

「好いてくれる人もいれば、嫌ってくる人もいる」と。

 

でも、そんなことは誰だって承知ですよね。

「全員に好かれたい」とは、誰も本気では思っていないはずです。

自分を嫌いな人がいても当然。

頭ではわかっているのです。

それでも、嫌われると落ち込む

「嫌われることもある」と、頭ではわかってるし。

「全員に好かれたい」と、心から願っているわけでもない。

 

それでも、やっぱり……

「嫌われる」と落ち込みますよ!

 

不思議なことに、嫌いな人から嫌われても、落ち込みます。

自分を否定された気分になるからですね。

「全員に好かれなくてもいい」は、励ましにならない

「全員に好かれなくてもいい」という言葉は、何の励ましにもならないと個人的には思っています。

「そんなことは、わかっている!」と、言いたくなりますよね。

 

では、いったい、どうしたらいいのでしょうか。

それが、「課題の分離」です。

課題を分離しよう

課題を分離するのです。あなたのことをよく思わない人がいても、それはあなたの課題ではない。そしてまた、「自分のことを好きになるべきだ」「これだけ尽くしているのだから、好きにならないのはおかしい」と考えるのも、相手の課題に介入した見返り的な発想です。

 

自分の課題、相手の課題って、何?

自分の課題
  • 「相手のために、やってあげたい」という気持ち
  • 「相手のために、尽くしたい」という気持ち

やってあげるかどうかは、自分が決めること

 

相手の課題
  • 受け取る・受け取らない
  • 好きになる・嫌いになる

「受け取る」「好きになる」は、相手が決めること

 

つまり、やってあげたからといって、相手が自分を好きになるかどうかは、相手次第。

相手の心・行動をコントロールすることは、自分には「できない」のです。

自分を好きになるべき? 自分を嫌うなんておかしい?

「自分を好きになるべきだ」という気持ちも。

「自分を嫌うなんておかしい」という気持ちも。

ついつい、抱きがちなのですが。

 

  • 自分を好きになるのは、相手の課題
  • 自分を嫌いになるのも、相手の課題

 

相手の課題だからこそ……

介入してはいけない! 

そもそも介入できない!

 

では、なぜ、介入したくなるのでしょうか?

やはり、「見返り」を求める気持ちがあるからですよね。

相手の課題に介入する = 「見返り」を求める

「やったんだから、返してほしい」

「こんなに好きなんだから、あなたも私を好きになってほしい」

 

これは、「見返り」ですよね。

「相手の課題に介入すること」=「見返りを求めること」

 

「見返り」的な発想を捨てることが、相手の課題に介入しないことなのです。

「これは誰の課題なのか?」を考える

まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きするのです。

 

「自分の課題」なのか、「相手の課題」なのか。

区別がつかなくなるから、悩んでしまうのです。

だから、まずやるべきことは、「冷静な線引き」

 

そして、「相手の課題」だとわかったら、「介入しない」と決めることです。

できる・できないを分類する

誰の課題かを考えるときは、「できる・できない」で分類すると、わかりやすくなります。

自己受容

 

  1. できるし、やりたい
    • すでに愛! 理由は考えずに無心でやろう
  2. できないけど、やりたい
    • 努力・挑戦あるのみ!
  3. できるけど、やりたくない
    • 誰かに、きちんとお願いしよう!
  4. できないし、やりたくない
    • そもそも視野にないから問題外!

 

自分に「できる」ことなのか、「できない」ことなのか?

きちんと分類できるようになると、課題が明確になります。

間違った努力をしてないか?

ひとつ注意点。

相手の気持ちをコントロールすることは、「できない」ことです。

 

でも、「できないけど、やりたい!」と思って、努力してしまうことも、ありますよね?

 

要するに……

 

人間関係に疲弊するときとは、間違った努力をしているとき!

 

それは、「努力」ではなく「自己犠牲」です

「燃え尽き症候群」になったり、「ウツ」になったりする危険性もあります。

間違った努力は、すべきではありません。

 

「できないし、やらない」と、決めなければならないときが、あるんですよね。

 

正確に見きわめられるかが、ポイントです。

 

「できる・できない」を、正確に分類することこそ、「自己受容」

「できる自分」「できない自分」を受け入れる。

「できない」ことに関しては、スルーするか、努力する価値のあるものなら、努力する。

「できる・できない」の見きわめこそ、「自己受容」なのです。

それが、前回記事「自己受容」の話です。

他者と、どう接したらいいのか?

理不尽な態度をとられても、スルーする

上司がどれだけ理不尽な怒りをぶつけてこようと、それは「わたし」の課題ではない。理不尽なる感情は、上司自身が始末するべき課題である。すり寄る必要もないし、自分を曲げてまで頭を下げる必要はない。

 

理不尽な態度をとられても気にしなくていいのは、うれしいですよね。

 

相手がヒドい態度をとってきたときは……

  • すり寄る必要はない
  • 自分を曲げる必要はない
  • 頭を下げる必要はない

 

なぜなら、「自分の課題」ではないから!

スルーできないのは、「課題の分離」ができてないからだったのです。

自分が変わるのは、自分のため。他者を操作するためではない

変わるのは「私」だけ

わたしが変わったところで、変わるのは「わたし」だけです。その結果として相手がどうなるかはわからないし、自分の関与できるところではない。これも課題の分離ですね。

 

よく言いますよね。

「自分が変われば、相手も変わる」と。

 

でも……

「相手を変えるために、自分を変えなきゃいけない」と、思っていませんか?

 

だから、葛藤してしまうわけです。

「なぜ、私だけが!」と。

 

そもそも、目的が間違ってるのです。

自分の課題は、自分が成長すること。

相手が成長するのは、相手の課題なのです。

 

  • 自分の成長:自分の課題(相手の課題ではない)
  • 相手の成長:相手の課題(自分の課題ではない)

 

課題を分離しよう

 

「自分の成長」に集中することです。

 

自分が変われば、相手は変わらざるをえなくなる

もちろん、わたしの変化に伴って——わたしの変化によって、ではありません——相手が変わることはあります。多くの場合、変わらざるをえないでしょう。でも、それが目的ではないし、変わらない可能性だってある。

 

「自分が変われば、相手も変わる」というのは、たしかに真実。

ただ、それは結果としてついてくるものであって。

自分の成長による、オマケのようなものですね。

 

この発想は、相手の課題への介入
  • なぜ、私だけが変わらなきゃいけないの?
  • なぜ、私は変わったのに、相手は変わらないの?
  • 相手の気持ち・態度を変えるために、私の言動を変える

 

自分の言動を変えることを、他者を操作する手段にしてはいけない

他者の気持ち・態度・行動は、自分にはコントロール「できない」もの。

だから、コントロールしようとしては、いけないのです。

それは、「他者の課題」への介入。

 

ということは……

 

人の目を気にして自分の言動を変えるのも間違い!

 

……ということに、なりますよね。

 

「嫌われないように、こうしよう」とか。

「文句言われるから、やめておこう」とか。

 

もちろん、自分の成長を考えてのことならOKですが。

「嫌われないために」だとしたら……?

 

「課題の分離」ができてないってことか!

 

つまりは、他者を信頼することもできなくなるし、つきつめると、自分を本当に好きになることも、できなくなります。

 

だからこそ、「嫌われる勇気」!

なんですね。

自分を生きる

自分の人生に嘘をつかず、自分の課題に立ち向かう

わたしのなすべきことは、自らの人生に嘘をつくことなく、自らの課題に立ち向かうことなのだ――。

 

やるべきことは2つ

  • 自分に嘘をつかない
  • 自分の課題に立ち向かう(他者の課題に介入しない)

 

「自分に嘘をつかない」とは……

自分の意志で生きること。

 

「嫌われない」ことを目的に、自分の言動を変えたりは、しないのです。

 

そして。

自分を受け入れ、課題の分離ができるようになれば……

「他者信頼」ができるようになるのです。

それが、次の話

 

続きはコチラから。

  1. 人生のタスク(人間関係)
  2. 目的論
  3. ライフスタイル(パラダイム)
  4. 自己受容
  5. 課題の分離
  6. 他者信頼と他者貢献
  7. 共同体感覚
  8. 承認欲求ではなく貢献感→見返りを捨てる

まとめ

自己受容

 

「できる自分」「できない自分」を受け入れる

  1. できるし、やりたい
    • すでに愛! 理由は考えずに無心でやろう
  2. できないけど、やりたい
    • 努力・挑戦あるのみ!
  3. できるけど、やりたくない
    • 誰かに、きちんとお願いしよう!
  4. できないし、やりたくない
    • そもそも視野にないから問題外!

 

「できない自分」を受け入れることが、「自己受容」。

「できる・できない」を明確に分類できると、「課題の分離」ができるようになる。

「課題の分離」ができれば、何を言われてもスルーできる!

スルーできれば、人間関係で傷つくことはない!

傷つくことがなければ、人間関係に踏み出すことができる!

 

さらに!

 

相手の言動を変えるため(=嫌われないため)に、自分の言動を変えるならば……

それは、「他者の課題」への介入である!

 

目的は、「嫌われないため」ではない

 

だから「嫌われる勇気」なのか!

 

さて、どうでしょう。

「課題の分離」と「嫌われる勇気」が、つながりましたか?

 

今まで、「嫌われる勇気」という意味も、「課題の分離」という概念も、わからずにいたのですが。

「できる・できない」の分類だと考えたら、勇気が出せそうな気がしてきました。

 

しかも。

 

「できる・できない」が明確になれば、そのあとは、自然に流れてくれるのです。

思ったほど、難しくも、苦しくも、なさそうな感じがしてきますね。

 

ということで。

 

memo
相手が自分を好きになるか、嫌いになるかは、「相手の課題」。

「相手の課題」は、相手にまかせよう!

「私のことを好きになるべき!」と言う権利は、ないんだ。

 

参考図書

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