余計なことを言ってしまったのではないかと、気になって仕方ないときがありませんか。
相手はもう、忘れているかもしれないのに。
いつまでも覚えているのは自分だけ。
たいていの人は、他人の話なんて覚えていません。
それなのになぜ、いつまでも自分だけが引きずってしまうのでしょう。
Contents
原因は、「今」にはない
カゲで、悪口を言われてた過去のせい
ずっと気になってしまう原因は、カゲで悪口を言われていた過去のせい。
「人は自分のいないところで、自分の文句を言っているもの」
そう強く信じてしまっているのです。
不思議なことに、たとえカゲで言われていても、必ず耳に入ってくるもの。
個人的な経験としては。
子どもの頃、母が「娘がかわいくない」と言っていた。
兄は、「妹がムカつく」と言っていた。
そして、親戚同士のウワサ話。
学校では、女子にありがちなヒソヒソ話。
その瞬間は、「大丈夫、大丈夫。気にしなくてもいい」と思い、やり過ごせるし。
瞬間的に、ポジティブ思考に切り替えられる。
悪口に限らず。
過去の何かの経験が、いまだに自分の行動を制限していることは、よくあるのです。
ポジティブに考えた結果、ネガティブになった
ポジティブに考えられなくなってしまうのは。
積もり積もった傷が、いつのまにかキャパオーバーしてしまうから。
子どもの頃の暗い記憶があると、ポジティブ思考でいこうって言われても、嫌悪感を抱いてしまう。
血が止まらない状態のとき、「ポジティブに」という精神論が、きくわけがありませんね。
今、目の前のことに対処しても変わらない
どれだけ人に励まされても。
どれだけ「気にしなければいい」と言われても。
原因は、「今」ではなく、「過去」だから。
そもそもの論点が違うのです。
よく、「目の前の問題はダミー」だと言われるのも、「今」が問題なのではなく、「過去」が問題だからです。
きっと、誰もが同じ
他人の言動を見ていて、ふと疑問に思うとき。
- なぜ、そんなことを言うのだろう?
- なぜ、そんな行動をとるのだろう?
その根っこは、「過去」です。
「今」だけを見ていても、決してわかりません。
自分のことも他人のことも、理解するのが難しいのは、その人の原因が「今」ではないから。
エンプティ・チェアとインナーマリッジという方法があります。
エンプティ・チェアとインナーマリッジ
目の前のことに苦しみを感じたとき、過去の自分を思い出し、あの頃の傷を見つめてみること。
傷ついている幼い頃の自分を、なぐさめてあげること。
心理学療法で、「エンプティ・チェア」と呼ばれているものがあります。
エンプティ・チェア:一人二役の対話
- 誰も座っていない椅子を用意する
- 実際に、椅子を用意すると効果的
- 幼い頃の自分が座っているのだと仮定する
- 幼い自分に、やさしく語りかけてみる
どんなに頑張っているかを認め、抱きしめてあげましょう。
相手は、昔の自分じゃなくてもいい
自分で一人二役をやり、他者とも対話をします。
- 本当は言いたかったこと、言えなかったことを、吐き出す
- 次に、相手になりきって、自分に向かってアドバイスする
架空の相手でも、かまいません。
例えば、カウンセラーになったつもりで、自分とカウンセラーとの対話を一人二役でやるのです。
客観的な視点をもてるというメリットがあります。
他に方法はないの?
疑似結婚もいい方法です。インナーマリッジといいます。
インナーマリッジ:自分との和解
自分の中の、感性と理性を和解させること。
自分とつながること。
人はたいてい、何かをやろうとするとき、心の中で葛藤するものです。
相反する意見が、自分の中でこだまする。
その葛藤を、漠然としたままにしない。
ちゃんと言葉にして自分と自分とで対話をして、きちんと手をつなぐ。
相反する2人の自分が、自分の中でつながることができると、心が癒やされていきます。
どんなときも、「つながり」「融合」が、癒やしの力になります。
実際の結婚生活も、うまくいく
人間関係は、自分との関係から始まります。
自分が自分と仲良くできてこそ、他者とも仲良くできる。
自分と結婚できる人は、実際の結婚もうまくいきます。
自分との対話がうまくできるようにれば、変わるのです。
自分が自分に与えてあげる
寂しさや孤独感は「与える」ことでしか癒やせない
寂しい気持ちも、孤独で不安な気持ちも、愛を与えることでしか癒やせません。
だからこそ私たちは、最大のあやまちを犯してしまうのです。
他者から与えてもらおう、と。
親や友人、パートナーに対し、「私に与えてよ」と強要してしまう。
人間関係がギクシャクするのは、「他者から与えてもらうことでしか変われない自分」だと勘違いしているからです。
自分に与えられる人は、自分だけ
エンプティ・チェアも、インナーマリッジも、インナーチャイルドを認め、癒やしてあげるという話です。
- 私は、とっても寂しかった
- 私は、とっても傷ついてきた
- それでも私は、いっぱい頑張ってきた
- せいいっぱいの気持ちで、家族を愛してた
インナーチャイルドを癒やしてあげると、自分と向き合えるようになる。
本当に自分と向き合えたとき、自分に与えることができます。
そして、癒やされていきます。
インナーチャイルドを癒やす能力が、自分にはある
アドラー心理学の目指すところ
アドラーは、私たちの心理面の目標として、「わたしには能力がある、という意識」をもつことだと言っています。
- 心理面の目標
- わたしには能力がある、という意識
- 人々はわたしの仲間である、という意識
なぜなら。
他者から与えられることでしか満足できない自分ではないから。
「自分で自分を癒やす能力がある」
その自分を信じることです。
「自分で自分を癒やす」こと自体に意味があるのではなく。
「癒やせる能力が自分にはある」という、自分を信じる力によって、心が元気になるのでしょう。
自分を癒やしてあげられるのは、自分だけなのです。
孤独感を知っている人は、孤独を癒やす天才になる
孤独感の裏にある情熱を、見つめてみる
孤独感の裏にある感情とは、なんでしょうか。
- 人と、つながりたい
- 居場所を、作りたい
- 愛し、愛されたい
寂しさや孤独感の強い人は、そんな願いを、強くもっているものです。
人一倍、「孤独とつながり」に関する情熱が強いのです。
自分で自分に与えたとき、他人にも与え始める
- 自分で自分と対話する
- 自分で自分に与える
- 自分で自分を癒やす
そのことに成功できた人は、与える天才・癒やす天才になれます。
人とのつながりも、居場所を作ることも、愛も。
自分が与える人になってしまうのです。
それは、「与えなきゃ」というよりも、「気づいたら与えてた」という感覚。
決して、「与えねば成功できない」というものではありません。
心が豊かさで満ちているから、人に分け与えたくなる
たとえば、通帳に1000円しか入ってないとして。
そんなときに他人から、「1000円ほしい」と言われても、ためらってしまいますよね。
自分の生活費もままならないのに、と。
でも、もしも、100万円を持っていたとしたら、「1000円くらいなら、いいよ」と思えるでしょう。
心に余裕があるとは、そういうことです。
他人に、愛がほしいと言われても、自分の中に愛の残高がなければ、与えたくても与えられない状態になります。
でも、愛に満ちているからこそ、いくらでも与えることができる。
自分で自分に与えられると、そういう状態になるのです。
いくら分け与えても、ぜんぜん大丈夫な自分に。
自分には、それだけの能力があるからなのです。
そこに気づけたとき、喜びに変わります。
そして、自分の才能に、目覚めていきます。
他人の抱える、無数の傷ついた過去に想いをはせる
自分の過去を掘り下げることは、他者を理解することにつながる。
自分が、無数の「過去」に傷ついてきたように、他人も、傷ついた「過去」を背負っているから。
人は誰もが、「過去」の経験をとおして、「今」の判断をしている
自覚があるにしろ・ないにしろ、人は皆、「過去の経験」をとおして「今」を判断しています。
他人の言葉が理解できないときは、過去の傷に想いをはせてみる。
今、こういう発言をするのは、過去の何が原因になっているのだろう、と。
自分の過去について、やさしく見てあげることができるようになると、他人に対する視線も、少しずつ、やさしくなっていきます。
土足で踏みにじるのは、失礼なこと。
ただ、「無数の傷があるんだろうな」と、眺めているだけでいい。
人生は、自分自身と踊り尽くすダンス
パーソナリティと幸福度に関する考察をしている、オーウェン・フラナガンという哲学者は、人生は、自分と自分とが踊るダンスのようなものだと言っています。
最後のダンス
親愛なる私へ。最後のダンスは君と踊りたい。うまく踊れなくても気にしなくていいよ。私たちは、今ではお互いのことをとてもよく知っているから。
君と最後に抱き合って踊るときには、人生が有意義だったと感じられるといいな。
ただし、それは単なる陶酔ではなく、本当のダンスだ。人生には必ず意味があるから、一つの人生を2人で分かち合ってダンスがしたいんだ。
そのときには、安らぎ、心地よさ、誠実さ、奮闘の結果を一緒に喜び、分かち合いたい。
一つ覚えておいてほしい。君のことを真に理解し、いつまでも忘れない誰かがいるとすれば、それは私だ。それは私自身のことなんだよ。チャ、チャ、チャ。
まさに、インナーマリッジとは、このような心境。
最後に踊るダンスは、自分と踊るのです。
結局のところ、自分との融合が、私たちにとって一番の幸せなのではないでしょうか。
ということで。
- 過去の、どの傷がうずいているのだろう?
- 自分を叱責せず、和解できているだろうか?
- 自分には、自分を癒やす能力があると思えているだろうか?
- 自分は、実は、才能の宝庫なのでは?
- 自分と、楽しくダンスを踊れているだろうか?
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