余計なことを言ってしまったのではないかと、気になって仕方ないときがありませんか。
相手はもう、忘れているかもしれないのに。
いつまでも覚えているのは自分だけ。
たいていの人は、他人の話なんて覚えていません。
それなのになぜ、いつまでも自分だけが引きずってしまうのでしょう。
実は、自意識過剰でもなく、目の前のことが原因なのでもありません。
過去の古傷がうずいているだけ。
エンプティ・チェアとインナーマリッジを、試してみてくださいね。
Contents
エンプティ・チェアとインナーマリッジ
目の前のことに苦しみを感じたとき、過去の自分を思い出し、あの頃の傷を見つめてみること。
傷ついている幼い頃の自分を、なぐさめてあげること。
なぜなら。
私たちは常に、過去を思い出して傷ついているから。
目の前のことが原因なのではありません。
でも、どうしたらいいんだ?
心理学療法で、「エンプティ・チェア」と呼ばれるものがあります。
エンプティ・チェア:一人二役の対話
- 誰も座っていない椅子を用意する
- 実際に、椅子を用意すると効果的
- 幼い頃の自分が座っているのだと仮定する
- 幼い自分に、やさしく語りかけてみる
とても頑張っていることを認め、抱きしめてあげましょう。
相手は、昔の自分じゃなくてもいい
自分で一人二役をやり、他者とも対話をします。
- 本当は言いたかったこと、言えなかったことを、吐き出す
- 次に、相手になりきって、自分に向かってアドバイスする
架空の相手でも、かまいません。
例えば、カウンセラーになったつもりで、自分とカウンセラーとの対話を一人二役でやるのです。
客観的な視点をもてるというメリットがあります。
他に方法はないの?
疑似結婚もいい方法です。インナーマリッジといいます。
インナーマリッジ:自分との和解
自分の中の、感性と理性を和解させること。
自分とつながること。
人はたいてい、何かをやろうとするとき、心の中で葛藤するものです。
自分の中で、相反する意見がこだまする。
葛藤を、放置しないこと
ちゃんと言葉にして自分と自分とで対話をして、きちんと手をつなぐ。
相反する2人の自分が、自分の中でつながる、それがインナーマリッジです。
「つながり」「融合」が、癒やしの力になるんですね。
実際の結婚生活も、うまくいく
自分と結婚できる人は、実際の結婚もうまくいくと言われています。
つまり。
人生は、自分自身と踊り尽くすダンス
オーウェン・フラナガンという哲学者は、人生は、自分と自分とが踊るダンスのようなものだと言っています。
最後のダンス
親愛なる私へ。最後のダンスは君と踊りたい。うまく踊れなくても気にしなくていいよ。私たちは、今ではお互いのことをとてもよく知っているから。
君と最後に抱き合って踊るときには、人生が有意義だったと感じられるといいな。
ただし、それは単なる陶酔ではなく、本当のダンスだ。人生には必ず意味があるから、一つの人生を2人で分かち合ってダンスがしたいんだ。
そのときには、安らぎ、心地よさ、誠実さ、奮闘の結果を一緒に喜び、分かち合いたい。
一つ覚えておいてほしい。君のことを真に理解し、いつまでも忘れない誰かがいるとすれば、それは私だ。それは私自身のことなんだよ。チャ、チャ、チャ。
まさに、インナーマリッジとは、このような心境。
最後に踊るダンスは、自分と踊る。
いつまでも忘れない誰かは、自分。
結局のところ、自分との融合が、私たちにとって一番の幸せなのかもしれません。
寂しいどころか、むしろ心強いことなんです。
自分を癒やす能力が、自分にはある
癒やされれば、与えられる
エンプティ・チェアも、インナーマリッジも、自分自身を認め、癒やすプロセスです。
- 私は、とっても寂しかった
- 私は、とっても傷ついてきた
- それでも私は、いっぱい頑張ってきた
- せいいっぱいの気持ちで、家族を愛してた
本当に自分と向き合えたときに、自分に与えることができるようになります。
癒やしの源泉は、「わたしには能力がある」という意識
アドラー哲学では、「わたしには能力がある、という意識」をもつことが、目標だと言っています。
- 心理面の目標
- わたしには能力がある、という意識
- 人々はわたしの仲間である、という意識
なぜなら。
他者から与えられることでしか癒されない自分では、決して満足できないから。
それを信じたとき、自分が開花する。
「自分を癒やす」こと自体に意味があるのではなく。
「癒やせる能力が自分にはある」という自信が、元気を与えてくれるのです。
自分を癒やしてあげられるのは、自分だけ。
それは、寂しいことではなく、うれしいこと。
孤独を知っている人は、孤独を癒やせる
孤独感の裏には、情熱があるから
孤独感の裏にある感情とは、なんでしょうか。
- 人と、つながりたい
- 居場所を、作りたい
- 愛し、愛されたい
孤独が強いということは、欲求も強いということですよね。
そもそも無関心であれば、「孤独」さえも感じないはず。
自分で自分に与えたとき、他人にも与え始める
自分で自分と対話をし、自分で自分を癒やし始めたら……
他人にも癒やしを与えられるようになります。
もともと情熱と欲求が強いですから。
気づけば自分が与える人になってしまいますよ。
それは、「与えなきゃ」というより、「気づいたら与えてた」という感覚。
決して、「与えねば成功できない」というわけではないんですよね。
まとめ
- 人は、目の前の出来事では傷つかない
- 昔の古傷がうずいているだけ
- エンプティ・チェア
- 一人二役となって、自分や他人と対話してみる
- インナーマリッジ
- 自分の中の、相反する自分と融合する
- 自分と融合できる人は、他人とも融合できる
- 自分で自分を癒やす能力がある
- 能力があるという自信が、自分を癒やしていく
- 孤独感の強い人は、情熱の強い人
- 「つながり」や「居場所」を作れる人になる
人生は、自分と踊り尽くすダンスのようなもの
人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。そしてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。
(by 嫌われる勇気)
それが、ダンスするように生きること。
自分を癒やしてあげたら、自分と踊ってみましょう。
君と最後に抱き合って踊るときには、人生が有意義だったと感じられるといいな。
(by オーウェン・フラナガン)
自分がいるだけで有意義だった、と。
そんなふうに感じてみたいな。






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