他人の顔色を気にしてばかりで、疲れる
自分の人生が、他人の「気分」に左右される。
そんなふうに感じること、ありますよね。
疲れ果ててしまったなら。
他人の期待に応えるために必死に頑張ってきた のかもしれません。
でももう、誰の期待にも応えなくていい。
しかも、衝撃の真実がもうひとつ。
期待に応えようとする人は、意外と自分勝手である
え? 自分勝手じゃいけないと思ってるから、顔色を気にしちゃうんだけど
ゲシュタルトの祈り
私は私、あなたはあなた
私は私のことをする
あなたはあなたのことをする
私はあなたのために生きているわけではないし
あなたも私のために生きているわけではない
あなたはあなた
私は私
もしも、お互い出会うことができたら
それはすばらしいこと
もし出会えなくても
それはしかたのないこと
そんなふうには思ったことない
「私は私」と思うためには
「負け」を認める
実を言うと。
「期待に応える」とは、「勝つ」ことを目指している。
「こんなに頑張ってるんだから、もうOKでしょう? 私の勝ちでしょう?」と言いたいから。
だからこそ、「負け」を認めてしまえば、期待に応える必要がなくなるのです。
負けを認めるって、どういうこと?
負けを認める言葉:アファメーション
つらくなったときは、こんな言葉を口にしてみるといいかもしれません。
- ○○さん、私の負けです。あなたの勝ちです。
- ○○さん、あなたの……が素晴らしいです。
- ○○さん、……してくれてありがとう。
- ○○さん、私はあなたから……を学びました。ありがとう。
私はいつも誰かのために頑張ってきました。
誰かを笑顔にするためにずっと頑張ってきました。
でも、私は強がって頑張ってきましたが、もう限界です。
私は全然大丈夫ではありません。
私はもう素直に生きます。
私は弱さを隠さず、素直に表現します。
私はありのままの私で生きていきます。
私は無罪です。
私の罪はすべて許されました。
私は今、牢屋を開け放ち、自由の身になりました。
私はどこにでも行くことができます。
私は自分自身の人生を生きていきます。
私は無罪です。
頭の中にこだまする言葉を少し変えてみる
アファメーションとは「肯定的な自己宣言」と定義されています。
ただし、実際には効果がないという説もあります。
ただ、自分の頭の中の言葉を少し変えてみるというのはいいと思います。
罪悪感を抱きやすい人は、こんな言葉が頭にこだまする
- 申し訳ない
- 自分が悪いんだ
- 迷惑かけている
ずっとこんな言葉を使っていたら、行動が小さくなってしまいますよね。
古来から「お祈り」や「お経」があるのも、言葉を変えたいという意味なのかな
他人の言葉は忘れてもいい
悩まない・忘れる・まかせる
いろんな言葉を集めてみます。
読むだけでも、少しは気がラクになるかもしれません。
他人には、我慢するか黙るかしてもらう
これからの人生、あなたがどんな感情を抱いているとか、あなたのものの見方は間違っているといったことを、他の誰かに言わせてはいけない。他の人には、我慢するか黙るかしてもらわなければならない。
「史上最強の人生戦略」
心にもない愛情は、かけなくていい
思ったままを口にすればよい。心にもなく歓待したり、心にもなく愛情をかけたりすることをやめるのだ。欺(あざむ)き欺かれながら付き合っている人たちの期待に応えて生きるのをやめるのだ。
エマソン
どうにもならないことは悩まない
私は一文なしになっても悩みはしないだろう。悩んだところで、何の益もないからだ。私は最善を尽くして、あとの結果は神におまかせする。
あるチェーン店の創立者、J・C・ペニー氏
幸福への道はただ一つしかない。それは、意志の力でどうにもならない物事は悩んだりしないことである。
古代ローマの哲学者・エピクテトス
できることがなければ、忘れる
苦境に立って万事休した時には、できることがあれば、それをやる。できることがなければ、あとは忘れるだけだ。私は未来について決して心配しない。未来にどんなことが起きるかを予想できる人などいないからだ。未来に影響を及ぼす力は実にたくさんある! それらの力を動かすものが何であるのか誰も知らないし、その力自体も理解できない。なのに、どうして悩むのだ?
クライスラー・コーポレーションの社長K・T・ケラー氏
成り行きにまかせる
もはや手の施しようのない事態になったら、事態の成り行きにまかせるだけだ。
ヘンリー・フォード
忘れちゃっていいのかもしれません。
自分の罪や、期待に応えられなかったことなんて。
でも、期待に応えられないのは、やっぱり自分が無能だからじゃないの?
そもそも、期待の中身を理解できてないかもしれません。
相手の「期待」が何かを、そもそも知らない
「期待に応えたい」とは言うけれど。
「期待」の内容を、勝手に解釈し、勝手にやって、勝手に怒っている
という場合があります。
なぜなら。
相手の「期待」の内容を知らないから。
「そんなことは求めてない」って言われることもあるよ
「ワガママ」とは、勝手な解釈のこと
ワガママになりたくなくて期待に応えようとしている。
でも実は、それこそが勝手な解釈でワガママだった、というのもありえます。
自分が常に、「正しい解釈ができている」とは言えないし、確認しようともしてないかもしれません。
なので。
期待に応えようとしている人は、意外と自分勝手である
自分の考えは、思い込みや偏見だらけ
実は正反対なのかもしれない
- ワガママだと思うことは、相手にとってはワガママじゃない
- 礼儀正しいと思うことは、相手にとってはワガママである
- 期待に応えようとすると、自分勝手になる
- 期待に応えないと思うと、人のためになる
「勝手な思い込み」ってこと?
しかも。
期待に応えようとすればするほど、愚痴が増えていきます。
- こんなに頑張っているのに、なんで?
- 誰もわかってくれない
- 自分だけが損してる気がする
- 私の期待には、なぜ誰も応えてくれないの
- いつまで頑張ればいいの
期待に応えること自体が、自分勝手だった
- 勝手に解釈する
- 勝手にやる
- 勝手に被害妄想を抱く
期待の中身を知らないのだから、勝手です。
だから、期待には応えないほうが自分勝手にならずに済むのかもしれません。
本当に、期待に応えなくてもいいの?
期待に応えないほうが、give(ギブ)になる
「期待」と「罪悪感」はセットでやってくるから
こんな気持ちになっていたら、黄色信号。
- 誰かが不機嫌になると、自分のせいだと思う
- 誰かといるときは、相手を楽しませなきゃと思う
- 相手が喜んでくれたとき、「うれしい」というより、ホッとする
- 人付き合いは、絆が深まるよりも、消耗する感覚が強い
罪悪感の強い人が、口をそろえて言うこと。
それは……
他人の期待に応えないと、ダメ人間になってしまう
応えられない自分は、ダメ人間だという恐怖心。
応えられない自分は、罪人だという思い込み。
「期待に応える」→「罪悪感」の順。
そもそも「期待に応える」って何?
- 親を助けたかった
- 恋人を助けたかった
- 上司や同僚を助けたかった
進学も、就職も、結婚も。
すべては、親の期待に応えるため=親を助けるため。
誰かの期待に応えるため=誰かを助けるため。
やっぱり助けたかった
「期待に応える」とは、「誰かを助けたい」という思い
思いやりがある証拠なので、悩む必要はないですね。
しかも「応えようとしない」ほうが、喜ばれたりする。
「思いやり」が「罪悪感」に変わってしまうのかな
だからこそ。
勝とうとしない。
負けてみる。
期待にも応えない。
このほうが、うまくいくのかもしれません。
まとめ
(そもそも相手は、「こちらが思ったような期待」はしていない)
思いやりがあることは事実だから、心配しなくていい
私は私のことをする
あなたはあなたのことをする
私はあなたのために生きているわけではないし
あなたも私のために生きているわけではない
あなたはあなた
私は私
もしも、お互い出会うことができたら
それはすばらしいこと
もし出会えなくても
それはしかたのないこと
「私は私のことをする」ってけっこう難しい。実は、逃げてるだけなのかもしれない。
参考図書