「見せかけの成功」ではなく、本当の意味で成功するには、日々の「習慣」を変えること。
どう見せかけるかではなく、本当のところ、あなたはどうあるかを常に周りに発信し続けているのだ。
(ウィリアム・ジョージ・ジョーダン)
「どう見せかけるか」ではなく、「どうあるか」を磨くのが、「7つの習慣」。
「人格」を深めて、「見せかけではない自分」になろうってことです。
それにしても、「人格」とか、「見せかけではない自分」って、どういう意味なのでしょうか。
抽象的でわかりづらいので、「7つの習慣」は難しいのです。
7つの習慣の「7つ」って?
- 【真の自立】主体性を発揮する
- 【真の自立】目的をもって始める
- 【真の自立】重要事項を優先する
- 【相互依存】Win-Winを考える
- 【相互依存】理解してから理解される
- 【相互依存】相乗効果を発揮する
- 【自分磨き】刃を研ぐ
7つの習慣は、大きく3つにわかれます。
- 「真の自立」の習慣
- 「相互依存」の習慣
- 「自分磨き」の習慣
それぞれについて、ひとことでまとめると。
- 真の自立
- 自分を好きになること
- 相互依存
- 他者を好きになること
- 自分磨き
- スキルを磨き続けること
- 「自立と相互依存」の土台の上に、スキルがある
つまり。
7つの習慣とは……
自分を好きになり、相手を好きになるための習慣
自分を好きになる?
成功本ではなかったんだ?
「人格」とか、「見せかけではない自分」とか、「自分を好きになる」とか。
いったい、どういうことなのでしょうか。
中身を見てみましょう。
「人格」とは、自分の行動で人を勇気づけること
あらゆる人の手の中に、善または悪を行なう巨大な力がゆだねられている。
それは、その人の人生そのものが周りに与える影響である。
どう見せかけるかではなく、あなたはどうあるかを常に周りに発信し続けているのだ。
(ウィリアム・ジョージ・ジョーダン)
「7つの習慣」の最大の特徴は、「人格主義」
- どう振る舞うか
- どう内面を変えるか
- 謙虚さ、誠実さ、勇気、正義、忍耐などを説く
7つの習慣とは
- 人格主義
- 「人格」を内面化する
- 「原則」中心のパラダイム
- 繰り返される習慣の結果
- 代表的な本
- 「フランクリン自伝」
- 教える内容
- 自分はどう振る舞うか
- 原則
- 誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、節制など
- 特徴
- P/PCバランス(効果性)
- パラダイム転換
「人格を深める」って、何?
何千年も前からある啓蒙書は、「自分自身を高めるうえで最も大切なこととは、自分の行動で人をいかに勇気づけられるかということである」と繰り返し説いている。
それが、「善の影響」ってことか。
「勇気づけ」とは、「嫌われる勇気」で有名なアドラー心理学でも説かれています。
要するに、他人に「善の影響」を与えることこそ、自分の幸せなのだ、と。
アドラー心理学【嫌われる勇気とは?】人間関係は自分を好きになるための課題
「自分の日々の行動で、人をいかに勇気づけられるか」が尺度
「善の影響」って、何?
モラハラ・パワハラと比べると、わかりやすくなると思います。
モラハラやパワハラは、悪の影響
モラハラやパワハラをする人は、ある意味で、ものすごいエネルギーを持っています。
「イライラする」とは、「自分のやりたいことができていない」という苦しみ。
つまり。
「自分のやりたいこと」を明確に、しかも情熱的に抱いている人。
無気力とは正反対です。
それは、素晴らしいエネルギー源。
けれども、「やりたいこと」が、実現しない。
その憤りが「怒り」や「イライラ」となって、他人に不快感を与えてしまうわけです。
それが、「悪の影響」。
「やりたいこと」を、善の影響に変える
「怒り」や「イライラ」や「悲しみ」がわくとは、「やりたいことがある」ということ。
であるならば。
それを、悪ではなく、「善の影響」になるように使っていく。
その力が、「自立」。
- 自分の持っているエネルギーを、「善の影響」に使うこと
- 人を勇気づける力
- 充実・幸せがあり、自尊心が満たされる
「7つの習慣」が人格主義であるのに対し、通常の自己啓発は「個性主義」と呼ばれ、スキル・テクニック重視です。
通常の自己啓発は、「個性主義」
「機械的な振る舞い方」というスキル
- 他人に、どう思われるか
- 他人に、どう見せるか
通常の自己啓発
- 個性主義
- 「性格」を身につける
- スキル重視、テクニック中心
- 代表的な本
- 「人を動かす」
- 教える内容
- 自分をどう見せるか
- 人間関係の改善法、自己PR法
- 積極的・前向きな姿勢、プラス思考
- 個性、イメージ、行動、態度、スキル
- よく聞くフレーズ
- 成功は態度で決まる
- 笑顔は友だちを作る
- 念ずれば道は開かれる
- 特徴
- 応急処置的な手法
- その場しのぎの表面的で薄っぺらなもの
- 問題のもとにある慢性的な原因には触れない
もちろん、スキル・テクニックがないと、何もできない。
ただし、「人格」という土台がないところに、スキルを積み上げようとすることに問題があるのです。
そのことをエーリッヒ・フロムは、「機械的な振る舞い」だと言っています。
個性主義は、ロボットを作り出す
現代社会で出会う多くの人々は、まるでロボットのように機械的に振る舞い、自分のことを知りもせず理解することもない。唯一知っているのは、社会が要求しているイメージだけである。真のコミュニケーションをもたらす語らいの代わりに意味のないおしゃべりを繰り返し、心からの笑いの代わりに見せかけだけの笑顔をつくり、心底からの痛みの代わりに鈍い絶望感しか味わっていない。こうした人間について言えることが二つある。ひとつは、彼らが治療の施しようがないほど自発性と自分らしさの欠乏に悩んでいるということであり、もうひとつは、実質的にほとんど私たちと変わりようがないということだ。
(エーリッヒ・フロム)
個性主義に偏ると、どうなるか
- 振る舞い
- ロボットのように機械的
- 知っていること
- 社会が自分に要求するイメージ
- コミュニケーション
- 意味のないおしゃべり
- 笑顔
- 見せかけだけの笑顔
- 心から笑ってない
- 心
- 絶望感
- 悩み
- 自発性がない
- 自分らしさがない
これでは、幸せじゃないですね。
まさに、日本の義務教育がもたらしているのも、このような結果だけのような気がします。
簡単・早い・効率いい
個性主義によると、人の気持ちを湧き立たせる方法を教えてくれる新しい書物やセミナーを利用することによって、妻との理解を深めることができるようになるという。いや、あるいは、必要としている愛を得るには、新しい相手や新しい関係が必要なのかもしれない。
しかし、本当に問題なのは妻だけだろうか。妻の欠点に対して過剰に反応し、自分の生活や幸せをすべて彼女の行動に依存させてはいないだろうか。妻とは、結婚とは、愛とは何なのか、ということに対する基本的なパラダイムが、問題を肥大化させてしまってはいないだろうか。
要するに、個性主義とは、枯れた葉っぱをどうするかということであって。
「種まき」は教えないのです。
その場だけは、人の気持ちを奮い立たせてくれる。
なんだか「やる気」が出てきたような、「何かが変わった」ような錯覚を起こさせる。
けれども、時間がたてば、元どおり。
やはり、簡単に得たものは、簡単に失ってしまいやすいですよね。
応急処置としては役立つ
短期間においては、とりあえず教えてもらった解決方法やスキルあるいはテクニックも効き目があるように見えるだろう。(中略)
急性の問題や痛みに対して応急処置ばかりを続けていれば、やがてはその対応策自体が表面下に隠れている慢性的な問題をかえって悪化させる結果になる。
つまり、問題の見方が問題なのだ。
「今すぐ、どうにかしたい」という悩みもあるもの。
病院でいえば、緊急外来であり、応急処置です。
痛みが広がらないようにするには、必要ですね。
でも、あくまでも一時的なもの。
スキルを否定するのではなく、スキルを生かすことが大事なのです。
スキルは持たなければならない
スキルがすべての習慣の大切な一要素だからである。スキル自体は持たなければならない。しかし、繰り返し言いたいのは、スキルは誠心誠意理解したいという気持ちに基づいていなければ効果を上げない、ということである。
習慣を身につけるのに必要なものは3つ
- 知識
- 何をするか(What)
- なぜ、するか(Why)
- スキル
- どうやってするか(How)
- やる気
- 実行したい気持ち
スキルは、習慣のためのツール。
手段であって目的ではないということですね。
なお、一番大事なスキルは、「話を聴くスキル」。
「相互依存の習慣」のためのスキルこそ、重要だといいます。
- スキルを目的にすると、ロボットのような人間になる
- でも、スキルがないと習慣は身につかない
でも、習慣って、何なの?
「頑張ってやること」ではなく、日常の所作として定着することです。
繰り返される習慣
私たちの人格は、繰り返される習慣の結果として育成されるものである。
習慣とは「自然の法則」のこと
冬に畑を耕し、春に種を撒いて、夏に雑草を除いてやってはじめて、秋に収穫ができる。秋に収穫がほしいからといって、秋に種を撒いても、収穫はできない。
「習慣」とは、「春に種まき」をしたら、「秋に実る」というような、自然の法則のこと。
人間が頑張れば「秋が来る」のではない。
時が経てば「秋」はやってきますね。
そして、やることをやっていれば、「種」は必ず「実」になる。
そのような自然の法則が、人間の生き方にも、ある。
- 自立は「種まき」
- 相互依存は「収穫」
原則中心の、効果性の習慣
「7つの習慣」は、効果性の習慣である。これは原則に基づいた、長期的に最大の有益な結果をもたらすものである。そして、この「7つの習慣」は、人格の土台となり、効果的に問題解決を図り、機会を最大限に活かし、かつ、ほかの原則を常に学び、それを生活の中に取り入れるための正確な地図(パラダイム)とよりどころを与えてくれる。
効果性の反対は、「効率性」。
効率よく、要領よく、その場だけを変えるのではなく。
長期的に、効果的に、問題を解決すること。
そのための習慣です。
習慣とは、「頑張ってやる」のではなく、「気づいたら」やっていたというレベルですよね。
無理することとは違うのです。
習慣には強い引力がある
習慣も極めて強い引力を持っている。それはたいていの人が考えている以上のものである。後まわし、短気、批判、わがままなど、生活を支える原則に反する深く根づいた癖を捨てることは、弱い意志とわずかな努力だけでできるものではない。しかし、その引力からいったん脱出すれば、全く新しい次元の自由を手に入れることができる。
短気や批判も、習慣です。
つい文句を言ってしまうクセがある。
変えられないからこそ習慣なのですが。
強い意志と、繰り返しの努力で、必ず変えられるともいいます。
私は、習慣は断ち切れるということを確信しているからだ。習慣は学ぶことも、変えることも、捨てることもできる。しかし、それは応急処置だけでできるものではない。きちんとしたプロセスと強い決意が必要なのだ。
習慣を変えるには
- 古い習慣を捨てる
- 新しい習慣を身につける
それにはプロセスがあり、強い決意が必要。
それは、自分を好きになり、他者を好きになるというプロセス。
【自立の習慣】真の自立によって、本当に自分を好きになれる
- 第1.主体性を発揮する
- 第2.目的をもって始める
- 第3.重要事項を優先する
自立とは、感情をコントロールし、自己肯定感を高めること
真の自尊心は、自らを支配する力、真の自立からくるものである。それは、第一、第二、第三の習慣の目的である。
- 自立とは
- 善の影響を与え、人を勇気づける力のこと
- = 人格を深めること
- 自立の目的とは
- 自分をコントロール(支配)する力
- 真の自尊心(自己肯定感)をもつこと
つまり。
感情や思考に振り回されるのではなく、コントロールできてこそ、自尊心が芽生える
自尊心とは「自分を尊重する心」、つまり「自己肯定感」です。
「自立」とは、「自分を好き」という状態
自分のことを知らなければ、そして自分のことをコントロール、あるいは自制できなければ、自分のことを好きになるのは極めて難しい。もし、好きになれたとしても、それは上辺だけの短期的な思い込みにすぎないことだろう。
自立ができない = 自分を好きになれない
「自立」と「自分を好き」とは、常にイコール。
- 自分を知っている
- 自分をコントロールできる
- 自制できる
自立ができていない状態で「自分が好き」というのは……
ただの思いこみ
ドキッとしますね。
だから、「見せかけ」なのです。
本当に自分を好きになるためには、「自立」の力を高めるしかありません。
自立の精神は、4つの力を発揮し、刺激に対する反応をコントロールすることで身につくといわれます。
その続きはコチラで。
7つの習慣で最も重要なことは【心の声に従うこと】自覚・良心・想像力・自由意志の4つの力
- 自分を知っていますか?
- 自分の感情をコントロールできていますか?
- 自制できていますか?
できていないなら、「自分を好き」といっても「思い込み」にすぎない。
ただし、注意点!
自分だけを見つめていては、ただの自己満足です。
自分を超えなければならない
私たちは、自分のことに焦点を合わせること(自己尊重・自己啓発・自己向上)に意義があるとする幻想的な社会に甘んじて生きている。
それは「私はこれを望みます」「私のやり方でさせて」「私のやり方でしました」という生き方である。
しかし、何千年も前からある啓蒙書は、「自分自身を高めるうえで最も大切なこととは、自分の行動が人をいかに勇気づけられるか、ということである」と繰り返し説いている。質の高い生活は、インサイド・アウト(内から外へ。自分の内面から変えていくという考え方)である。貢献すること、つまり自分自身のことよりもっと高い次元に目的を置いて生きることに意義があるのである。幻想に溺れた生活と原則に基づく生活の違いは、結果において、出口のないよどんだ「死海」と、流れがあり豊かな「紅海」ほどの大きな違いを招くだろう。
ここは陥りがちなワナなので、本当に気をつけなければなりません。
依存状態から、自立をしていくにあたっては、自分を見つめることが必要なんですが。
見つめ続けてるだけでいい、わけではないんです。
「内から外へ」とは、「自分のためから他者のためへ」
自分を超えていかなければ、本当の人生の意義は味わえないといいます。
マズローの欲求五段階説も、実は六番目が追加されています。
六番目こそ、「自己超越」。
自分を超えることは、本当に自分の人生を生きるには、やはり必要なのでしょう。
相互依存に踏み出すことです。
【自立から相互依存へ】良好な人間関係は、自立からあふれ出るもの
人間関係に大きな力を発揮するテクニックが本当にあるとすれば、それは真に自立した人格から自然にあふれ出るものでなければならない。
自立の習慣は、人間関係へと向かうプロセス
自立の習慣をまとめると。
- 主体的になること
- 良心に基づくこと
- 自分の価値観を行動の基準とすること
まずは自分を理解する
- 自分は、自分をどう見ているか
- 自分は、他人をどう見ているか
すると、他人を理解できる
- 他人が、自分をどう見ているかが、わかる
- 他人が、世界をどう見ているかが、わかる
自己理解があってこそ、他人のことが見えてくる。
自分との関係(自立)こそが、他者との関係(相互依存)を深める土台
だから、まずは「自立」。
その次に、相互依存を目指す、という流れ。
「嫌われる勇気」でいうと、まず「自己受容」、次に「他者貢献」という流れと同じです。
相手を理解するほど、相手を大切に思うようになる
相手を深く理解すればするほど、相手を大切に思い、相手に対して敬虔な気持ちを抱くようになる。ほかの人間の魂に触れることは、聖地に立つことである。
ほかの人間の魂に触れることは、聖地に立つこと
これは、すごい境地ですね。
こんな気持ちで、人と接することができるのか。
人間関係がうまくいかないのは、ここができないからでしょう。
相手を理解し、大切に思い、敬虔な気持ちを抱く
つまり。
相手を好きになること
自分を好きになり、相手を好きになる。
自立から相互依存へのプロセスをたどると、自然と、リーダーシップを引き受けることになるそうです。
必然的に、リーダーシップを引き受ける
自立から相互依存状態の領域に足を踏み入れる瞬間、必然的にリーダーシップの役割を引き受けることになる。なぜなら、それはほかの人に影響を及ぼす立場に立つからである。
「リーダーシップのため」ではない。
自立と相互依存を心がけると、必然的に、リーダーシップになるもの。
だから、「見せかけ」ではないわけです。
「無理して」「頑張って」リーダーになるわけではない。
では、相互依存の習慣とは、どのような習慣をいうのでしょうか。
基本は、他者とのコミュニケーションを変えることです。
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