「幸せになる勇気」~なぜアドラー心理学は難しいのか?

幸せになる勇気

他者から認められることを手放すことは難しい。

それが、人生がツラくなる理由かもしれません。

 

「嫌われる勇気」を読んで、難しいなと感じました。

また、この本が愛読書だという人が多いことに違和感を抱きました。

嫌われる勇気「嫌われる勇気」とは、他者のなかで生きていく勇気

 

自分勝手でいいという内容ではなかったぞ

 

続編の「幸せになる勇気」を読んで、その違和感が少しほぐれました。

次のようなことが書いてあったからです。

 

もしもアドラーの思想に触れ、即座に感激し、「生きることが楽になった」と言っている人がいれば、その人はアドラーを大きく誤解しています。アドラーがわれわれに要求することの内実を理解すれば、その厳しさに身を震わせることになるはずですから。

 

「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」は、「生きることを楽にすること」ではありません。

むしろ、楽しさよりも厳しさが大きい。

 

難しいと感じるのは、「他者から認められたい」という欲求が、そう簡単には消えてくれないからです。

そして、「共同体感覚」というものに抵抗感が出てきてしまうからです。

 

「嫌われる勇気」まとめ

嫌われる勇気

 

この記事では、「幸せになる勇気」をまとめます。

「幸せになる勇気」by 岸見 一郎,古賀 史健

アドラー心理学の目標とは

アドラー心理学

行動面の目標:自立と調和

  1. 自立すること
  2. 社会と調和して暮らせること

 

「自立」と「調和」とは、「7つの習慣」でいうところの、「自立→相互依存」という流れと同じです。

7つの習慣7つの習慣【自立と相互依存】一流の人が読んでいる、人格形成のための必読書

 

結局のところ、アドラー心理学でも、「7つの習慣」でも、自分で立ったうえで、他者と関わっていくことが説かれているのです。

心理面の目標

  1. わたしには能力がある、という意識
  2. 人々はわたしの仲間である、という意識

 

自分は素晴らしい存在 & 他者も素晴らしい存在ということですね。

人間関係から逃げることではなく。

むしろ、勇気を出して、人と関わっていく勇気。

そのためには、「わたしには能力がある」と、自分で自分を強く信じる勇気が必要。

それが「嫌われる勇気」であり、「幸せになる勇気」。

 

では、なぜ他者と関わることが怖くなってしまうのでしょうか?

アドラー心理学では、人が問題行動を起こす原因には5つあると言われています。

人が問題行動を起こす5つの原因

アドラー心理学

問題行動を起こす5つの原因

  1. 称賛の要求(ほめられたい)
  2. 注目喚起(目立ちたい)
  3. 権力争い(力を誇示したい)
  4. 復讐(愛が憎悪に変わる)
  5. 無能の証明(無気力になる)

 

ほめられたい・目立ちたい・力を誇示したい = 自己アピール

自己アピールがうまくいかないと、憎しみに変わり、復讐劇が始まる

復讐に疲弊して、「どうせ自分は…」と無気力になってしまう

 

納得できる図式ですね。

 

自己アピールまでは、「周囲の努力でどうにかなる」と言われています。

しかし、「憎悪」に変わってからは、「専門家に頼るべき」と。

だから、自己アピールの間に、軌道修正できるかどうかが超重要です。

 

私自身も、憎悪に変わり、無気力になった段階からは、一人で抜け出すことは不可能でした。

積極的に、専門家の力を借りることをオススメします。

自分の力では無理なのだと、ある意味、あきらめてしまったほうが早いです。

自己アピールは、「所属感」に突き動かされる

なぜアピールしたくなるかというと……

 

「所属感」に突き動かされているから

 

自分の存在を知らしめたい。

特別な地位を確保したい。

共同体に所属していたい。

 

そういう欲求が、本然的に備わっているのです。

それが、あらゆる行動の目的になっている。

ということは、「共同体感覚」も、本来備わっていることになります。

 

共同体感覚とは

他者を仲間だとみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること

「人々はわたしの仲間である」という意識

共同体感覚は、自分の中から「掘り起こすもの」

共同体感覚は「身につけるもの」ではなく、己の内から「掘り起こす」ものであり、だからこそ「感覚」として共有できるのです。

 

掘り起こせば、出てきてくれる。

むしろ、強烈に抱いているものであり、既に身についているもの。

誰もが持っているのです。

 

人は皆、共同体に所属したがっている

 

共同体に所属したいのは、人々が「仲間」であるからですよね。

「敵」であるならば、そもそも所属したいとも思いません。

相手が「仲間」であれば、貢献したいと願うものです。

「敵」だと思っている心に、問題がある

【「貢献する」ことは、行動目標ではない】

よく、「成功したいなら、まずは貢献しよう」と言いますが。

それがうまくいかないのは、相手を「敵」だと思っているから

他者が仲間であれば、自然と、貢献したいと思うはずですよね。

あくまでも、「人々はわたしの仲間である」という意識が大事

貢献してるかどうかという表面的な問題ではないのです。

「敵」だと思っている心こそが、問題ですよね。

 

だから、「貢献をすること」は、行動面の目標には入ってない

頑張って行動することではないからでしょう。

 

行動面としては、「自立」と「調和」を目指しています。

「調和」を具体的にいうと、「他者の関心事に関心を持つこと」であり、「共感すること」。

「自立」と「調和」

まずは「自分の関心」に気づく

「自立」とは、最近ハヤリの言葉でいうと「自分軸」。

自分で立つためには、何よりも、自分の本音に気づかなければなりません。

自分の価値観を明確にし、自分の考えで生きていく。

 

そのためには、メモ書きがオススメです。

ゼロ秒思考考える力を鍛える【言語化の効用】モヤモヤを解消し心をコントロールする方法|ゼロ秒思考 by 赤羽雄二

 

そして、「天は自ら助くる者を助く」という言葉で有名な「自助論」。

自分のことは、自分が助ける。

それこそ「自立」ですね。

自助論自助論 by スマイルズ【究極の自己完成】自分を助けられる人は自分しかいない「天は自ら助くる者を助く」

 

とはいえ、「自分の関心」とは、あくまで自分のものであり、他者に強要すると「押しつけ」になってしまいます。

他者からの干渉は押しつけがましい?

【押しつけがましく感じると、他者との関わりがイヤになる】

他者と関わる勇気を失う原因のひとつとして、「押しつけがましい」と思うことも大きいのではないでしょうか。

 

「押しつけがましい」とは、次のような感情。

  • 余計なお世話
  • おせっかい
  • 土足で踏みにじられてる感覚

 

そんなことを思ったり思われたりすると、人間関係が面倒になりますよね。

あまり関わらないほうがいいのでは?とも思ってしまう。

【「自分の関心」を話すから、押しつけがましい】

他者に関わらないほうがいいのではなく、なぜ押しつけがましいと思ってしまうのか?と考えてみるほうがいいでしょう。

押しつけがましくなる原因とは、「自分の関心」を押しつけているからです。

 

「自分は○○がいいと思った。だから、やりなさい」というやり方

 

では、どうしたらいいのでしょう?

それは……

「他者の関心事」に関心を寄せること

「他者の関心事」に関心を寄せる

【相手の関心に関心を持つとき、押しつけではなくなる】

「相手の関心」に関心をもち、寄り添うこと。

押しつけられる側になったときのことを考えれば、納得です。

自分が悩んでいることや、自分が興味のあることを話してくれたら、押しつけがましく感じるどころか、嬉しいもの。

それが、「相手の関心」に関心を持つという姿勢。

そのときのコツは、「共感」することです。

「共感」とは技術であり、誰でも磨くことができる

共感とは、他者に寄り添うときに必要な「技術」

技術だから、誰もが磨けるものだそうです。

共感力を磨けるかどうかが、共同体感覚で生きられるかどうかのポイントになりそうですね。

 

「共感」は技術だから、磨けるんだ?

 

では、共感は、どうしたら磨けるのでしょうか?

それには、想像力を使うことです。

想像力:もし自分が、相手と同じ種類の心と人生を持っていたら?

ただ単に、「わかる!」と言えばいいのではなく。

もし自分が、相手と同じような人生を歩んでいたら何を考えるか?と想像すること。

 

「もしもわたしがこの人と同じ種類の心と人生を持っていたら?」と考える。そうすれば、「きっと自分も、この人と同じような課題に直面するだろう」と理解できるはずだ。さらにそこから、「きっと自分も、この人と同じようなやり方で対応するだろう」と想像することができるはずだ、と。

 

そして、そのためには、「わたしには能力がある」と自分を信じることです。

自己信頼」であり、「自己肯定感」です。

自己信頼自己信頼 by エマーソン【必読】不安になったときの超オススメの一書

「わたしには能力がある」

わたしに能力があるなら、他者からの承認は必要ない

これは疲れる

  • ほめられたいから行動する
  • 怒られたくないから行動しない

 

「ほめられる」「怒られる」を行動の基準にすると、ますます自分の気持ちがわからなくなります。

だから、承認欲求からは解放されたい。

では、「承認」じゃなければ何なのか?

承認の次に浮かぶのは「感謝」ではないでしょうか。

実は、感謝を求めることも、承認欲求と同じ

感謝されると元気になりますよね。

そして、感謝される自分でありたいと願うもの。

 

しかし、感謝にも落とし穴があります。

 

誰も感謝してくれない

 

やはり、「認めてもらえない」という気持ちになって、意欲を失ってしまいます。

承認欲求と同じですね。

「感謝されたい」という生き方は危険なのです。

それは、依存だから。

 

  • 依存 = 自分の価値を、他者に決めてもらう
  • 自立 = 自分の価値を、自らが決定する

 

感謝されることを求めるのは、「自分の価値を自分で決められない」という意味です。

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自分の価値は、自分で決める

自分の価値は、自分で決めていい。

自分の行動も、自分で決めていい。

他者目線をやめる。

他者に喜ばれることに依存しないことです。

自分は他者に、何を与えられるか?

共同体感覚で大事なのは、「他者貢献」。

大事な仲間に貢献していこうということ。

与えられるのを待つのではなく、自分は何を与えられるか?という姿勢です。

ただし、「誰も感謝してくれない」と思ってしまうと、与えても与えても疲弊してしまいますよね。

教師やカウンセラーは、感謝されない

私には大好きな妹がいます。

「目に入れても痛くない」ことを初めて実感し、妹が幸せになるためなら何でもしていました。

 

それなのに・・・

 

妹が幸せになった結果、なぜだか寂しい。感謝もされない。

そんな自分に気づきました。

共同体感覚を持つことが難しくなってしまったのです。

どれだけ相手を応援しても、最後は自分が寂しくなってしまう。

やはり、依存だったのかもしれません。

妹がいることで、自分の存在価値を感じようとしていた。

感謝されたかったのだと思います。

教師やカウンセラーの役割とは、感謝されることではないそうです。

相手の自立を応援してあげる。

自立に貢献する。

そして、本当に相手が自立したときは、感謝されるものではない。

なぜなら、自立とは「自分で立つ」ことだから。

感謝されることを求めている時点で、相手の自立を応援していないことになります。

「私のおかげでしょ?」と言いたいだけ。

 

では、どうしたらいいのか?

 

自分で決めること

 

それが自立。

 

つまり、「自分は相手に貢献できた」と自分で決める。

その主観的な感覚が、「貢献感」です。

「貢献」できていると、自分で「感」じる

役に立っているかどうかは、他者に決めてもらうのではなく、自分で決める。

それが「貢献感」。

「所属感」が本来備わっているものなら、「役に立ちたい」という気持ちも本来備わっているもの。

「どうせ役に立ってない」と、他者からの評価を基準にするのではなく。

 

自分で決める。

主体的に生きる。

自分の価値は自分で決める。

 

それが、承認も感謝も求めず、主体的に生きる生き方です。

依存とは逆方向なのですね。

そして、そのために必要なものは、「尊敬」と「愛」。

「尊敬」と「愛」

「幸せになる勇気」では、「尊敬」と「愛」を自らもつことを強調しています。

それこそが、他者と関わるうえで大事なところです。

恐怖からは、尊敬は生まれない

この世界には、いかなる権力者であろうと強要しえないものが、ふたつだけあります。

「尊敬」と「愛」です。たとえば、会社組織のトップに立つ人間が強権的な独裁者だったとしましょう。たしかに従業員たちは、なんでも命令に従います。従順な素振りを見せるでしょう。しかし、それは恐怖に基づく服従であり、そこに「尊敬」はひと欠片(かけら)もありません。「俺を尊敬しろ」と叫んでも、誰も従いません。ますます心が離れていくだけです。

 

恐怖からは、尊敬は生まれない。

だから大事なことは、自分から相手に、「尊敬」と「愛」を向けること。

「尊敬」とは、相手を唯一無二の存在であると知ること

「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである」

「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである」(社会心理学者/エーリッヒ・フロム)

 

  • 相手を唯一無二の存在であると知ること
  • 相手が成長発展していけるよう、気づかうこと

 

そのような気持ちを持って、他者と関わっていくことが、共同体感覚を育むポイントですね。

「愛」とは、主語を「わたし」ではなく「わたしたち」に変えること

利己的に「わたしの幸せ」を求めるのではなく、利他的に「あなたの幸せ」を願うのでもなく、不可分なる「わたしたちの幸せ」を築き上げること。それが愛なのです。

 

幸せになるためには、「わたし」を消すこと。

代わりに、「わたしたち」で生きていく。

 

自立とは、「わたし」からの脱却

 

「自分を見つめる」ことは大事ですが、「自分だけ」を見つめすぎていると、他者の気持ちがわからなくなります。

 

  • 子どもは、愛されるために生きている
  • 他者を愛することによって、大人になる

 

そして大人への変化とは、待っていては訪れないそうです。

 

あなたは自分の隠し持つ子ども時代のライフスタイルを直視し、刷新しなければならない。愛してくれる誰かが現れるのを待っていてはいけません。

 

「誰かを愛するということはたんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である」(エーリッヒ・フロム)

 

自分で決断しなければならない

まとめ:自分は何も知らないことを知ることから始める

アドラー心理学

 

アドラー心理学

 

幸せになる勇気

 

「他者」と関わるとは、なかなか難しい。

とても勇気のいることです。

くじけそうになるたびに思い出したいことは、「自分は何も知らない」という感覚です。

 

ソクラテスは、知者を名乗る人々(ソフィスト)との対話を通じて、ひとつの結論に達しました。わたし(ソクラテス)は「自分の知識が完全でないこと」を知っている。自分が無知であることを知っている。しかし、彼らソフィスト、つまり知者を自称する者たちは「すべて」をわかったつもりになっており、自らの無知についてなにも知らない。この一点、すなわち「自らの無知」を知っている、という一点において、わたしは彼らよりも知者である。

 

ソクラテスでさえも、「自分の知識は完全でない」と言っているのです。

ならば私たちは、本当に何も知らないのが当たり前。

「できている」ことは、死ぬまでないのだと自覚し、知らないからこそ努力をしていく。

そんな姿勢を持てばいいのだと思えば、少しは勇気が出るのではないでしょうか。

 

あなたはただ「変えられないもの」ばかりに注目して「だから無理だ」と嘆いている。「変えられないもの」に執着するのではなく、眼前の「変えられるもの」を直視するのです。

「神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」(ニーバーの祈り)

その言葉を噛みしめて、もう一度「これからどうするか」を考えるのです。

 

「変えられないもの」への執着を捨てる。

「変えられるもの」を直視する。

「変わること」は難しいですが、どこから・何を変えられるか、そこを自分で考えていきたいですね。

考えるときには、メモ書きがオススメです。

ゼロ秒思考考える力を鍛える【言語化の効用】モヤモヤを解消し心をコントロールする方法|ゼロ秒思考 by 赤羽雄二

 

ということで。

 

memo

承認も感謝も求めない生き方だからこそ、難しい。

貢献できていることは自分で決めよう。

20226

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