「幸せになる勇気」~なぜアドラー心理学は難しいのか?

幸せになる勇気

他者から認められることを手放すことは難しい。それが、人生が困難である理由かもしれません。

 

「嫌われる勇気」を読んで、難しいなと感じました。

また、この本が愛読書だという人が多いことに違和感を抱きました。

嫌われる勇気「嫌われる勇気」とは、他者のなかで生きていく勇気

 

自分勝手でいいという内容ではなかったぞ

 

続編の「幸せになる勇気」を読んで、その違和感が少しほぐれました。次のようなことが書いてあったからです。

 

もしもアドラーの思想に触れ、即座に感激し、「生きることが楽になった」と言っている人がいれば、その人はアドラーを大きく誤解しています。アドラーがわれわれに要求することの内実を理解すれば、その厳しさに身を震わせることになるはずですから。

 

難しいと感じるのは、「他者から認められたい」という欲求が、そう簡単には消えてくれないからです。

そして、「共同体感覚」というものに抵抗感が出てきてしまうからです。

 

「幸せになる勇気」by 岸見 一郎,古賀 史健

共同体感覚に必要な技術は、「共感」

アドラー心理学では、「共同体感覚」を提唱しています。

それは、他者を仲間だと見なし、他者に貢献していくというもの。

不信になっている人には、ちょっと難しい。

 

では、共同体感覚に踏み出す第一歩とは何か?

 

「他者の関心事」に関心を寄せること。

 

他者からの干渉に、「押しつけがましい」と感じてしまうことがあります。

 

  • 余計なお世話
  • おせっかい
  • 土足で踏みにじる

 

そんなことを言ったり言われたりすると、共同体感覚って持ちづらくなりますね。

あまり関わらないほうがいいのではないか?と思う。

 

だけど、関わらないほうがいいのではなく、なぜ押しつけがましいのかという原因を探ることのほうが大事。

その原因とは、文字通り、「自分の関心」を押しつけていることです。

「自分は○○がいいと思った。だから、やりなさい」というやり方。

共同体感覚の第一歩は、それとは逆方向です。

すなわち、「相手の関心」に関心をもち、寄り添うこと。

押しつけられる側になったときのことを考えれば、納得です。

 

自分が悩んでいること、自分が考えていること、自分が興味のあること、そこに寄り添って話をされたら、押しつけがましく感じるどころか、嬉しいもの。

それが、「相手の関心」に関心を持つという姿勢。

そのときのコツは、「共感」することです。

ただ単に、「わかる!」と言えばいいのではなく。

もし自分が、相手と同じような人生を歩んでいたら何を考えるか?と想像するのです。

 

「もしもわたしがこの人と同じ種類の心と人生を持っていたら?」と考える。そうすれば、「きっと自分も、この人と同じような課題に直面するだろう」と理解できるはずだ。さらにそこから、「きっと自分も、この人と同じようなやり方で対応するだろう」と想像することができるはずだ、と。

 

共感とは、他者に寄り添うときに必要な「技術」

技術だから、誰もが磨けるものだそうです。

共感力を磨けるかどうかが、共同体感覚で生きられるかどうかのポイントになりそうですね。

 

「共感」という技術を磨こう

共同体感覚は、本来もっているもの

共同体感覚というと難しく感じてしまいますが、人が問題行動を起こすときの原因を考えると、わかりやすくなります。

 

問題行動を起こす5つの原因

  1. 称賛の要求(ほめられたい)
  2. 注目喚起(目立ちたい)
  3. 権力争い(力を誇示したい)
  4. 復讐(愛が憎悪に変わる)
  5. 無能の証明(無気力になる)

 

このうち、1~3までは、周囲の努力でどうにかなるもの。

4~5になってしまうと、専門家に頼らないと難しくなるそうです。

だから、3までの間に、軌道修正できるかどうかが重要です。

 

ほめられたい・目立ちたい・力を誇示したいとは、つまり、自己アピールですね。

すべての悩みは、そこに帰結するのでしょうか。

自己アピールがうまくいかないと、憎しみに変わり、復讐劇が始まる。

それが進化すると、「どうせ自分は…」と何事においても無気力になってしまうというわけです。

 

では、なぜアピールしたくなるのかというと……

 

「所属感」に突き動かされているから

 

自分の存在を知らしめたい。特別な地位を確保したい。共同体に所属していたい。

そういう欲求が、本然的に備わっているのです。

それが、あらゆる行動の目的になっている。

ということは、「共同体感覚」も、本来備わっていることになります。

 

共同体感覚は「身につけるもの」ではなく、己の内から「掘り起こす」ものであり、だからこそ「感覚」として共有できるのです。

 

掘り起こせば、出てきてくれる。

いえ、むしろ、強烈に抱いているものだと言えそうです。

 

人は皆、共同体に所属したがっている

承認を求めないけど、感謝も求めない

「承認欲求の否定」には納得です。

ほめられるために行動するのも、怒られるから行動しないのも、どちらも疲れてしまいますよね。

 

「ほめられる」「怒られる」を行動の基準にすると、「自分って何なのだろう?」という気分になってきます。

だから、承認欲求からは解放されたいものです。

 

では、「承認」じゃなければ何か?

承認の次に浮かぶのは「感謝」ではないでしょうか。

 

  • 感謝されると元気になる
  • 人に感謝される自分になりたい

 

しかし、感謝にも落とし穴があります。

 

誰も感謝してくれない

 

やはり、「認めてもらえない」という気持ちになって、意欲を失ってしまいます。

「感謝されたい」という生き方は危険なのです。それは、依存だから。

 

  • 依存 = 自分の価値を、他者に決めてもらう
  • 自立 = 自分の価値を、自らが決定する

 

感謝されることを目的とする限り、真の「自立」はできません。

まず自立。そして、他者の自立も応援する

自分の価値は、自分で決めていい。

自分の行動も、自分で決めていい。

他者目線をやめること。他者に喜ばれることに依存しないことです。

 

私には大好きな妹がいます。

「目に入れても痛くない」ことを初めて実感し、妹が幸せになるためなら何でもしていました。

 

それなのに・・・

 

妹が幸せになった結果、なぜだか寂しい。感謝もされない。

そんな自分に気づきました。

共同体感覚を持つことが難しくなってしまったのです。

どれだけ相手を応援しても、最後は自分が寂しくなってしまう。

やはり、依存だったのかもしれません。

妹がいることで、自分の存在価値を感じようとしていた。感謝されたかったのです。

 

教師やカウンセラーの役割とは、感謝されることではないそうです。

相手の自立を応援してあげる。自立に貢献する。

そして、本当に相手が自立したときは、感謝されるものではない。なぜなら、自立とは「自分で立つ」ことだから。

感謝されることを求めている時点で、相手の自立を応援していないことになります。

「私のおかげでしょ?」と言いたいだけ。

 

では、どうしたらいいのか?

 

自分で決めること

 

それが自立。

 

つまり、「自分は相手に貢献できた」と自分で決める。

その主観的な感覚が、「貢献感」というものだそうです。

貢献感のなかに幸せを見出そう

共同体感覚で大事なのは、「他者貢献」です。

大事な仲間に貢献していこうということ。

与えられるのを待つのではなく、自分は何を与えられるか?という姿勢。

ただし、「誰も感謝してくれない」と思ってしまうと、与えても与えても疲弊してしまいますよね。

 

感謝されるために貢献するのではなく、貢献すること自体に喜びを見出すことが大事

 

役に立っているかどうかは、他者に決めてもらうのではなく、自分で決める。

それが「貢献感」。

「所属感」が本来備わっているものなら、「役に立ちたい」という気持ちも本来備わっているもの。

「どうせ役に立ってない」と、他者からの評価を基準にするのではなく。

 

自分で決める。

主体的に生きる。

自分の価値は自分で決める。

 

それが、承認も感謝も求めず、主体的に生きる生き方です。

依存とは逆方向ですね。

まとめ

他者にゆだねるのではない。

どこまでも自分。

「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」を持って、自分の人生を生きていくことです。

常に思い出していきたいですね。

 

ということで。

 

memo

承認も感謝も求めない生き方だからこそ、難しい。

貢献できていることは自分で決めよう。

自立が大事。

 

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