貢献と自己犠牲とはどう違うのでしょうか。
貢献が大事とはいっても、尽くしすぎると疲れてしまいますよね。
尽くすことは、必ずしも貢献とはいえない。
次の本から、「貢献しないギブ」を考えてみます。
「尽くす喜びをあげる」ことが、ギブ
自分の面倒を見させてあげる
一度面倒を見てくれた人は進んでまた面倒を見てくれる。こっちが恩を施した相手はそうはいかない。
フランクリン自伝
アメリカ建国の父と呼ばれるベンジャミン・フランクリンは、気難しい相手には、お願い事をするようにしたそうです。
頼まれごとをされると、人は喜ぶ。
そして、何かを「してあげた」事実によって、「してあげた」相手のことを好きになるようです。
経験的にも、次のようなことに心当たりはあると思います。
- 一度、面倒を見てくれた人は
- 進んで、何度も面倒を見てくれる
- こちらが面倒を見てあげた人は
- 何もしなくなる
だから本当は。
自分が尽くす側になると、人間関係は、うまくいかなくなるようです。
- 尽くしてあげる
- 相手は、こちらを軽く見るようになる
- 尽くさせてあげる
- 相手は、こちらを丁重に扱うようになる
- ちょっとしたお願い事をするのがコツ
「役に立ちたい」という相手の願いを叶えてあげる
人は誰しも、「誰かの役に立ちたい」と思っています。
「役に立つ自分」でありたいと願っている。
だから。
差し伸ばされた手を払いのけることは、相手を「ダメ人間」扱いすることにもなります。
「役に立つ人間」だということを否定してしまうから。
だからこそ。
一番の貢献は、「あなたは役に立つ人だ」と感じさせてあげること。
だから、「私に尽くしていいよ」という意識でいることは、「相手のため」になるようです。
自分が与えたいときは、何を与えればいいんだ?
効果的な3つのギブがあるようです。
1.自分の表現を与える
喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなどの表現を与えること
自分自身を、自分のいちばん大切なものを、自分の生命を、与えるのだ。
by エーリッヒ・フロム
自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ。このように自分の生命を与えることによって、人は他人を豊かにし、自分自身の生命感を高めることによって、他人の生命感を高める。
by エーリッヒ・フロム
実は、自分の気持ちを話すことが最大のギブだといいます。
今、感じていることを話すだけでも、立派なギブ。
逆の立場になったら、わかりますよね。
何も言ってくれない人よりも、たくさん語ってくれる人のほうが、好感がもてる。
リアクションが大きいと、うれしくなる。
だからこそ。
「自分の表現を与える」
そんな気持ちで、相手と向き合い、語り合ってみるといいのかもしれません。
「表現を与える」という発想はなかった。
でも、話し下手な人は、どうしたらいい?
2.自分の注意を与える
マインドフル・リスニングで聴く
自分の注意は、私たちが他人に与えることのできる最も価値ある贈り物だ。誰かに注意をすべて向けると、その瞬間、この世界で私たちが気にかけているのは唯一その人だけであり、ほかのことはいっさい関係なくなる。私たちの意識の領域内で、相手ほど強いものは何ひとつないからだ。それ以上に価値のある贈り物がありうるだろうか?
by サーチ・インサイド・ユアセルフ
自分の話をじっくりと聞いてもらえるって、うれしいですよね。
「相手の話に耳を傾ける」とは、「自分の注意」を相手に与えることだったのです。
評価や判断をせず、ただ、今に注意を払うこと
評価も判断もせず、ただただ、相手の話を受け止める。
これこそ、最高のギブです。
これが、「マインドフル・リスニング」
「アクティブ・リスニング」ともいいます。
話を聞くのも苦手なんだけど。
3.自分の存在を与える
生きているだけで、貢献している
「他人に差し出せる最も貴重な贈り物は、私たちの存在だ。愛する者たちをマインドフルネスが抱き締めたとき、彼らは花のように咲き誇るだろう」
あなたの人生で気にかけている人がいたら、毎日かならず数分間でも注意をすべて彼らに向けてほしい。彼らも花のように咲き誇るだろう。
by サーチ・インサイド・ユアセルフ
アドラー心理学でも、最大の貢献は「存在」にある、と説いています。
人は、究極的には、「いてくれるだけ」でうれしい。
そのことは、誰かを失ったときに、よくわかります。
失恋、別離、大切な人の死。
そんなときにこそ、思うもの。
「いてくれるだけで、よかった」と。
だからこそ。
何ができるとか、できないとかではなく、「自分の存在を」与えてみる。
私たちはみんな、生きているだけで貢献しているのです。
本当に、いるだけでいいの?
最終的には、主観での「貢献感」
感謝するのは、相手の課題
アドラー心理学では、貢献感は主観でいいといわれています。
自分は「貢献」できていると、自分が「感」じていれば、それでいい。
なぜなら。
本当に役立っているかどうかなんて、わからないから。
本当に役に立っていて、感謝を感じるのは、相手の課題。
自分には、「もっと感謝しなさいよ」と、相手の課題に介入する権利はないのです。
だから。
自分にできることは、たった一つ。
「自分は貢献できているんだ」と、自分の主観で感じること。
それだけです。
「役に立ってない」と不安になるのは、承認欲求でしかない
- 自分は、何の役にも立っていないのではないか
- 貢献なんて、自分にはできない
悩んでしまうのは、「他人にどう見られているか」を気にしているからですね。
「見られている自分」を意識しなければ満足できないのであれば、それは主観ではありません。
他人の評価を求めるのは、「承認欲求」です。
他人がどう言おうと、自分が「貢献しているんだ」と思うことが、貢献の本質です。
「貢献したい」のではなく、「承認されたい」だけかも。
まとめ
ギブのステップ
自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなどの表現を与える
- 自分の注意を、すべて相手に向ける
- 気にかける
- じっくりと話を聞く
自分は「いるだけで」いい
「自分は貢献できている」と自分が感じていればいい
人付き合いを頑張っていると、やけに疲れてしまうことがあります。
「これは、ただの我慢なのでは?」と。
そんなときは、「実はやりたくないことだった」ことに気づけるかもしれません。
また、罪悪感の正体は、「助けたいのに助けられなかった」という思い。
つまり、人が願っているときはこれ。
「自分には、親を助ける力がない」という思い。
あのときは助けられなかった。
でも今の自分なら助けられる、ってことを証明したくて頑張っているということが多々あります。
ということは。
自分があのとき、してほしかったことって何だったっけ??
そう、これ。
「私にも、あなたを助けさせてほしい」
であるならば。
「助けさせてあげる」
「尽くさせてあげる」
これは、立派な貢献。
自分だって、役に立たせてほしいって思ってる。
でも、自分が役立たずになると、みじめすぎてしまい、他人のことも役立たずにしてしまいたくなる。
だから、差し出された手を拒否したくなるのです。
相手が自分に尽くすことを、許せなくなるから。
かわりに自分が尽くしすぎて、「やっぱり人ってこんなもの」と決めてしまう。
それが、自己犠牲になりがちな人のパターンですね。
結局は、自分が自分を許せてないのです。
- 私は何もしなくても、いい
- 助けさせてあげれば、いい
そして。
- 表現を与える
- 注意を与える
- 存在を与える
モノを与えることでも、技術を与えることでも、ないのかもしれません。