働きたくないあなたへ。それでも10年後の生き方を、自分で考えねばならない【やりたいことを見つける】書いて整理する方法

10年後

AI技術により、かつてないほどの勢いで社会は変化している。

危機的な状況のなか、「働きたくない」とのんびり言っている暇はありません。

 

でも、仕事なんてつまらないし、できれば働きたくないよ?

 

「働きたくない」と思うのは、なぜでしょうか?

「働く意味」を、どうとらえていますか?

まずは自分の本当の思いを、掘り下げる必要があります。

次に、今の社会情勢を知ること。

そして、自分の[3年後→5年後→10年後]の姿を、しっかりと考える。

 

「わからなくても考え続けていく」ことが必要です。

人生100年時代、働きたくなくても、働かざるを得なくなるのです。

 

次の2冊を参考に、働くことを考えてみましょう。

「『働きたくない』というあなたへ」 by 山田ズーニー

「3年後に結果を出すための最速成長」 by 赤羽雄二

Contents

働く意味って何?|「『働きたくない』というあなたへ」(by 山田ズーニー)から考える

何よりも優先すべきは考える力を取り戻すこと

【「働きたくない」のは、自己表現を放棄してきたから】

「働きたくない」とは、つまり、「働く意味がわからない」ということです。

それは、自分で考えることを放棄してしまったがゆえに、自分の気持ちが見えなくなっている状態。

だから何よりも優先すべきは、自分の頭で考える力を取り戻すこと。

そして、考える力を取り戻す一番いい方法は、文章を書くことです。

 

【「文章の書き方」は、「生き方」と同じ】

一見、仕事の話からは離れるように感じますが、「文章の書き方」が意外と重要。

遠回りのようですが、自分のやりたい仕事を考えるうえで、文章の書き方を学ぶことはとても有効なのです。

履歴書などで自分をPRする際にも、「書く」技術は必要ですよね。

そんなことを、山田ズーニーさんの著書を参考に、考えてみましょう。

 

こちらも、あわせてどうぞ。

働き方の哲学働き方の哲学 by 村山昇【なぜ目標疲れが起きる?】人生100年時代、働く意味を考えないと生き残れない

働くとは、「居場所」を作ること

生きていくためには「行く場所」が要る

人には『行く場所』と『帰る場所』が必要だ。だが、いまの自分には『行く場所』がない。なら、『行きたい場所』を『行く場所』にしよう。

 

人には、「居場所」が必要です。

そして、自分の居場所がないと感じるとき、人は苦しみ、生きる希望を失ってしまうもの。

居場所を作ることの大切さは、誰もが感じることではないでしょうか。

ズーニーさんは、居場所には、2種類あると言います。

 

居場所とは
  1. 行く場所
  2. 帰る場所

 

ザックリと言えば、こうなります。

「行く場所」とは、職場。

「帰る場所」とは、家庭。

「行く場所」である「働き場」を作らねばならない

「サードプレイス」という言葉が流行しているように、行く場所と帰る場所の間に、3つ目の場所も必要ですね。

3つどころか、4つでも5つでも、自分の居場所は多ければ多いほど、安心するし満たされます。

でもやはり、その基本は、「行く場所」と「帰る場所」。

「行く場所」と「帰る場所」がなければ、3つ目も4つ目もあり得ないのです。

その「行く場所」と「帰る場所」を、自分でどう心地いいものに築き上げていくか。

「帰る場所」をどうするかは、また別の問題として。

ここで取り上げるのは、「行く場所」。

 

「仕事=居場所作り」

 

そうとらえてみると、やはり自分にも必要だと思えてきませんか。

自分の「へその緒」を、仕事とつなげる

生きるために必要な栄養は「へその緒」から与えられる

社会からの信頼であったり、社会からの愛情であったり、必要とされている感だったり、役立ち感だったり、役に立つ情報だったり、知恵だったり、自分の能力の発露だったり、充実感だったり、歓びだったり……。収入を代表に、生きるために必要な栄養が「へその緒」を通じて、激しく、自分と社会を行き来している。

 

まとめると、こうなります。

 

「生きるために必要な栄養=『へその緒』から得られるもの」は、次のもの。

  • 社会からの信頼
  • 社会からの愛情
  • 必要とされている感
  • 役立ち感
  • 役に立つ情報
  • 知恵
  • 自分の能力の発露
  • 充実感
  • 歓び
  • 収入

 

私たちが胎児の頃は、「へその緒」で母親とつながることによって、生きるために必要な栄養を得ていました。

母親が、自分と社会とを中継してくれていたのですね。

母親の存在が大きいのは、そのためではないでしょうか。

お腹の中は、とても気持ちいい。

自分が何もしなくても、栄養は母親が運んでくれます。

社会との関わりも、母親が代わりにやってくれるため、とても安心・安全ですね。

 

ただし!

 

生きるとは、母親のお腹の中から出てくること

いつまでも守られたままで生きていくことはできません。

生きる勇気を持たねばならないのです。

生きていくとは、自分で仕事をすることではないか?

何もやりたくなくて引きこもるとき。

ずっと布団にくるまれて寝ていたいと思うとき。

それは、胎児に戻りたいという欲求かもしれません。

安心・安全で、自分が傷つくことのなかった、お腹の中。

でも、生きていくためには、母親とつながっていた「へその緒」を断ち切らなければならないのです。

そして今度は自分で、新しいものとつながる必要があります。

 

「生きる勇気」とは、「自分で仕事をして、社会とつながっていくこと」

 

そう言えるのではないでしょうか。

「へその緒」でつながるものこそ、「仕事」である

外へ出てきた以上は、もう母親ではなく、自分で社会とつながらなければなりません。

では、「へその緒」はどこにつなぐのがいいか?

 

それこそ、「仕事」。

 

「へその緒」を「仕事」とつなぎ、「仕事」を中継として、生きるために必要な栄養を得ていく。

それが、生きること、すなわち仕事をすることの意義。

 

「へその緒」を、どこかへつなげないと生きてはいけない

 

もちろんそれが、「仕事ではない」という人もいるでしょう。

自分で考えて、自分で決めた選択なら、それでもいいのです。

どんな「へその緒」のつなぎ方が、自分は気持ちがいいのか?

どんな「へその緒」のつなぎ方が、自分は気持ちがいいのか?

 

お腹の中にいた頃は、自分で考える必要がありませんでした。

どこへ行って何をするかは、母親が代わりに考えてくれたのです。

でも自分で生きていくためには、自分の頭で考え、自分で決め、自分で選択しなければなりません。

大事なことは、自分で考えているか?ということ。

「やりたいことが見つからない」のは、自分で考えることを放棄してしまったからではないでしょうか?

なぜ、やりたいことが見つからないのか

自己表現から逃げてきたからではないか?

なんとなく自己表現せず、なんとなく遠慮して、あるいは、なんとなく怖くて一歩引いてしまった。なんとなくおとなの言うことにしたがって、なんとなくみんなについていって、自己表現をひかえ、一歩引き、二歩引き、自分が引いていることにさえ無自覚にきてしまった人が、ある日気づいたら、日々、失っていたということもあるんじゃないだろうか。

 

まとめると、こうなります。

自分を見失う原因とは……

  • なんとなく自己表現しなかった
  • なんとなく遠慮してしまった
  • なんとなく怖くて一歩引いてしまった
  • なんとなく周りの言うことに従っていた
  • なんとなく周りについてきた
  • 自己表現を控えてきた
  • 自分が引いていることにさえ自覚がない

 

つまり。

 

自己表現していないから

 

自分は何が欲しいのか。

自分はどうしたいのか。

自分は何を考えているのか。

 

自分の想いを語ることをせず、無難に周囲の言うことを聞いてしまった。

 

「なんとなく」「無難に」生きてきてしまったのではないでしょうか?

「表現されない自己」は無に等しい

「透明な存在」である自己を、わかってほしい、認めてほしい、と強く欲求したとき、自己表現の手段を持っていなかったら? 生まれてこのかた自己表現の場もなく、力も鍛えていなかったら? 行き場のないマグマはどうなるのか?

 

無難に生きてきてしまった結果、自己表現する手段を捨ててしまった。

そうすると、自己表現をしたいと思ったときには、サッパリとできなくなってしまいます。

自己表現する場を、持とうともしなかったし、力を鍛えてもこなかった。

そして、社会に対して不満を抱いてしまう。

「なぜ自分だけが?」という気持ちに襲われやすい。

だから、犯罪を犯してしまったり、心を壊してウツになってしまったりするのでしょう。

怖いことです。

本当は、社会が悪いわけじゃない。

自分で考える力を、自分が放棄してしまった結果ですよね。

 

人についていくから、いつまでたっても自分のものにならない。

無難に他人に従っていると、「自分のやりたいこと」も他人に預けることになる

なんとなくまわりの、なんとなくメディアの言うことにさからわず、ただ、これといって自己主張しないことで、知らずに、人生旅行の下駄を他人にあずけてしまっている。

 

自己主張しない。

自己表現しない。

周りにさからわず、無難についていく。

 

「やりたいことがわからない」のは、その選択の結果です。

他人に預けてしまったのです。

「自分のやりたいこと」も。

「自分を発揮する機会」も。

 

自分の価値がわからないのは、自己を表現していないからなのです。

 

だからこそ!

 

今、求められるのは、自分で考えて自分で決める力!

自分で考えて自分で決める

わからないのではなく、考えていないだけ

「やりたいことがわからない」のではなく。

自分で考えてこなかっただけ。

だから、大人になってから迷ってしまうのですよね。

私自身も、ずっとそうでした。

父親と母親の意見がいつも食い違うため、なんとかやり過ごそうと、愛想笑いばかりしていました。

また、兄が2人いるため、私の順番は常に最後。

先に兄がやってから、長い長い時間を待って、やっと私の番。

そうしてどんどんと、「自分が考える」「自分がやりたいことを先にやる」という習慣を放棄してしまったのです。

自分が考えるのではなく、周囲の考えをどう丸くおさめるか。

自分のやりたいことは真っ先にやってはいけない。

それが、子どもの頃に身につけてしまったクセ。

「自分は傷ついている」とずっと思っていたけれど、傷をつけていたのは、ほかでもない、自分だったのです。

それは、「自分で考えない」という傷。

考えないという傷は、「自分と自分が通じていない傷」

考えるとは、「自分に問う」ことだ。考えることを通して、自分と交信し、自分という氷山の奥底にある、自分の想いを汲みあげ、言葉にし、表現する。考えることを通して、自分らしい言葉・行動が生まれ、自分らしい選択ができるようになり、選択が意志になり、進路になる。

 

「自分で考えない」でいると、自分を傷つけることになります。

それは、「自分と自分が通じていない傷」

自分で考えようとしなければ、自分が何を考えているかは、わかりません。

自分が何を考えているかがわからないということは、自分と通じ合えないということです。

だから、常に「自分に問う」のです。

自分の考えを、自分に聞いてみなければなりません。

 

考える力をつけるために、メモ書きがオススメ。

ゼロ秒思考考える力を鍛える【言語化の効用】モヤモヤを解消し心をコントロールする方法|ゼロ秒思考 by 赤羽雄二

 

では、考えた次は、何をすればいいのでしょうか?

考えたら出すことだ!

アウトプットをしなければ、自己理解はできない

【自分を取り戻す唯一の道】決めたら、出す

決めたら、言葉にして、行動として、「出す」。周囲とぶつかってみる。失敗を引き受ける。

唯一それだけが、勉強のために今を犠牲にしてきた生き方から、仕事のために今を犠牲にしていく生き方への連鎖を断ち、自分の時間を取り戻す道ではないか。たったいま、この瞬間から。

 

勇気を出して、自分で考え、自分で決めて、自分で出さなければなりません。

それが、自分を取り戻す道。

たったいま、この瞬間からです。

大勢の意見に、無難に従ってきてしまった自分を、変えなければならないのです。

「仕事をする」とは、自分に生きる道ともいえそうですね。

 

本当に自分がやりたいことは何なのか?

本当に自分が望むことは何なのか?

 

本来の自分に立ち返り、考えて、決めて、出していく必要があります。

それが、「働く」ことを考える第一歩!

自分の想いを言葉や行動にして「外に出す」

「出す」ということが、自分のまわりにあるものに気づく道だと思う。自分の想いを言葉や行動にして外に「出す」。どんなに自分のまわりに、いい食べ物があったとしても、自らつかんで、口に入れ、噛んで、消化しなければ、自分のものにはできない。「出そう」とすれば、必ず、入る。まわりのものを、取り込み、咀嚼(そしゃく)し、消化しようとする。一気に取り込める。

 

出さなければ、入らない。

出すために、入れる。

「出そう」という意志こそが、周囲のものを自分の中に取り込むことになるのですね。

だから、自分を知るためにも、アウトプット重視にするのです。

アウトプット大全アウトプット大全 by 樺沢紫苑【学びを成長に変える3つの秘訣】すべての行動にフィードバックの習慣を パラダイム転換パラダイム転換とは【アウトプットすると成長と変化が加速する】日々の意識改革を自ら起こす方法

 

そうすると、自分の価値観も、自分の意見も、どんどん見えてくるし、どんどん変わっていく。

出し惜しみからは何も生まれないのです。

自分らしく生きる機会は、「出す意志」によって得られる

「なんとなく」怖くて自己表現せずにきてしまい、なぜか「奪われた」感がある人も、まわりからの愛も、自分らしく生きられる機会も、気づけばすぐそこにあったのに、ずっとあることに、気づかない、気づけない、噛めない、消化できない、取り込めない、状態なのではないだろうか?

 

出し惜しみをしてしまうと、周囲にたくさんのものが存在していても、自分の中に入れられない。

 

  • まわりからの愛
  • 自分らしく生きられる機会

 

それを奪われると感じているのは、自分が出そうとしないから。

アウトプットをしないから。

自己表現をしないから。

 

そして、アウトプットも、自己表現も、他者がいないことには成り立ちません。

結局は、「人のために」おこなうものではないでしょうか。

「積極的に仕事をしよう」という意志こそが、自分の意見を育てる。

その結果として、愛も機会も得られるのです。

アウトプットをする=仕事をする

自分らしく生きるために、働く

「自分らしく生きる」ことを考えるならば、やはり仕事と向き合わざるを得ません。

 

次のような関係になるからです。

  • 自分で考える・決める・意見を出す = アウトプットする
  • アウトプットする = 仕事をする

 

自分の意見を出すのは、人の役に立ちたいから。

人の役に立つことで、自分の価値が感じられ、歓びが得られますよね。

それこそが、「仕事」のとらえ方ではないでしょうか。

 

私にはどうしても、

「玉の輿に乗って、旦那さんの稼いだお金で好きなことをしたい」というのが、

あなたらしい意見だとは思えない。

婚活ブームに便乗して、一儲けしようとしている誰かの、

まやかしのパッケージツアーになんとなくのっかっておこうとしているだけじゃないか。

そんなものに下駄をあずけちゃダメだ。

大企業に入れなくてもいい、好きな仕事に就けなくてもいい。

自分で考えて、自分で決めた、

「自分らしい」就職活動をしてほしい。

仕事を通して栄養を得るほうが、驚くほど成長できる

どんな選択をするのも自由。

働かないのも自由。

ただし、複業研究家西村創一朗さんと、Outlook研究家森 新さんは、言っていました。

 

ボランティアよりも、「収入を頂く仕事」のほうが、驚くほど成長できる。

Outlook副業するべき?【Outlook研究家・森 新さんに聞いた】こんなに成長できる機会はない! 複業、副業複業(副業)で大切なこととは?【HowよりもWhy】ヴィジョンなき複業は失敗する|複業研究家の西村創一朗さん

 

仕事は、自分を成長させてくれる、絶好の機会。

せっかくなら、自己成長できるほうを選ぶほうが、いいのではないでしょうか。

そして、仕事をするということは、他者に伝わる、他者から選ばれるということです。

つまり、自分で考えること。

自分で考えたことしか伝わらないし、自分の考えでしか選ばれないからです。

仕事をするためには、「伝わる・選ばれる」表現をしなければならない

【考えなくても生きられるけれど、伝わらないし選ばれない】

考えなくたって生きられる。

ただし、「浅くて表面的」。

仕事をするには、他者に伝わり、他者から選ばれなければいけない。

ならば、考え方・書き方・伝え方・選ばれ方を鍛えなければなりませんね。

やはり自分で考えなくては、生きていけないのです。

 

そして、考えるためには、「書く」ことが必須!

このことは、マコなり社長も言っています。

ゼロ秒思考マコなり社長も認める、「ゼロ秒思考」のメモ書きの効果

 

だから、「考える力をつける」「仕事をする」ことを思うとき、「伝わる文章を書く」ことが必須になります。

ほんとうのことを書く人は、世界に対してひらいている

訓練すれば必ず、伝わる文章を書けるようになる

浅い・表面的なところから、文章を書いている人も、ていねいに問いを立てて、自分の中にあるものを引き出す。整理して、人前でアウトプットする。聞いた人の反応をじかに受ける。ほかの多様な就活生の考えに触れる。ということを繰り返しているうち、しだいに、深みと実感のある文章が書けるようになる。

 

ほとんどの人は、考えることができません。

つまり、「浅い考え」「表面的な考え」で生きています。

だから文章も、浅く・表面的になるのです。

文章には生き方が出る。

深く・本質を見る生き方をしたいならば、書く連取雨をするのが一番です。

そのための手順は、今まで見てきたとおりのことです。

  • 自分に問いを立てる
  • 自分の中にあるものを出して表現する
  • 他者の前でアウトプットする
  • 反応を見る=フィードバックを受ける
  • いろいろな考えに触れてみる

 

これを繰り返していくことで、必ず「深く考える」ことができるようになります。

結果として、伝わる文章が書けるようになるのです。

 

「浅い」から、一歩ずつ深みのある言葉へ、

表面的な文章から、一歩ずつ実感のある文章へ、

自分の表現を磨いていこう!

できるから!

 

では、どうしたらできるのでしょうか?

そのポイントとなるのは、世界に対して自分を「ひらく」こと

面白い文章は、世界に対してひらいている

文章表現インストラクターである私が、もてる経験と能力の限りをつくして、生徒さんの文章を読み、結果的に、いま、「面白い!」と感じる文章は、やっぱり、世界に対して「ひらいて」いる人の文章なのだ。

 

山田ズーニーさんは、「文章表現インストラクター」として、たくさんの人に文章指導をされている方です。

そのズーニーさんが、面白いと感じる文章とは……

 

世界に対して「ひらいて」いる人の文章

 

さて、世界に対して「ひらく」とは、どういうことなのでしょうか?

「ひらく」とは、真実と向き合うこと

「世界はいつもそこにあり」

世界は、小さな自分の都合なんかおかまいなしに、常に、そういうカタチで、そこにある。

世界に対して、自分を「ひらく」か? 閉じるか? 「ひらく」にしても、どの程度、どんな方面に、どんな観点でひらいているか? あるいは全開なのか?

そのピント合わせをするのが「意志」だ。同じ世界に接していても、意志の持ち方ひとつで、ひとりひとり、入ってくる情報と、進む先はまったく異なる。

 

【閉じる = やらせ】

よく、テレビ番組などで「やらせ」が問題になりますが。

ズーニーさんの表現でいうと、こうなります。

 

「やらせ」 = 世界に対して「閉じている」状態

 

つまり、現実がどうかは関係ない。

自分の望むストーリーを、現実に当てはめ、現実にない場合は、無理やり作ってしまうこと。

それが「閉じる」という意味。

視聴者を感動させるために、わざと感動ストーリーを仕立て上げることですね。

つまらない文章には、そういう無理やり感がある。

わざと「泣かせようとする」「感動させようとする」。

きわめて不自然な、「お涙ちょうだい物語」をイメージすると、わかりやすい。

一方、「ひらく」とは、何でしょうか。

「やらせ」の逆だと考えればいいですね。

【ひらく = ほんとうの世界】

世界に対して、自分を「ひらく」とは……

 

現実をあるがままに見ること

 

自分の解釈を含めない。

自分の好きなストーリーを作らない。

それが、「世界はいつもそこにあり」という言葉の意味です。

世界はあるのです。

それを、不自然な解釈を含めずに、そのまま表現してみること。

 

ほんとうのことを書くこと

 

そういう文章のほうが面白い、と。

「やらせ」満載のテレビ番組よりも、個人の本当の感想であるブログのほうが面白かったりしますよね。

自分を世界に「ひらく」ほうが、苦しい

自分のほうを、現実世界に対して「ひらく」人は、ある種、現実にされるがままになって苦しむ。「自分が、ある体験から人間の美しさを学んだ」という文章を書こうと出発するも、その体験を、正直にたどってみると、人の美しさも見たが、ついでに、すごく醜い部分も見てしまった。

 

美しいストーリーを描きたいのに、醜い部分が見えてしまった場合。

醜い部分を消してしまえば簡単です。

そういう意味で、作り話のほうがラクに書ける。

見せたい部分だけを見せられるからですね。

でも、現実はそうではない。

そんなとき、どうするか?

「やらせ」にするか?

「ほんとうのことを書く」か?

「ひらく」人は、「ほんとうのこと」を書こうと決める

「これをこのまま文章に書いても、感動のストーリーにはならない、どうしよう?」と、もがく。そのときに、現実を都合よく切り刻んだり、文章にあわせて、ある側面だけ切り取ろうとはせず、それでも、「ほんとうのことを書こう」と苦しむ人が、世界に対して、自分をひらく人だ。

 

現実を都合よく切り刻む。

それが、閉じた状態。

自分が世界に合わせるのではなく、世界を自分に合わせようとする。

嘘っぽい文章になるのは、自分が「閉じているから」ですね。

ほんとうのことを書いている文章が、伝わる・選ばれる

結果、そういう人の文章は、次の展開が読めない、スリリングで、ついつい引き込まれて、終わりまで一気に読んでしまう。完成度やまとまり、オチには欠けるのかもしれない。へたすると、最後まで読んだ人が、「だからどうなんだ?」ということにもなりかねないようなあぶなさもはらんで展開する。でも、文章が小さい完成品としてまとまらず、不完全でも、おどろくべきスケール感で、私たちをとりまくこの世界のほんとうを突き刺していたりする。

「世界は、つねにそこにあり」

だって世界はそういうものだ。

 

つたない文章であっても、やはり、ほんとうのことを語っている人の文章は面白いですよね。

自分の本当の思い。

実際に経験したこと。

赤裸々に、ありのままに書いている文章を、人は望むのです。

「伝わる・選ばれる文章」とは、「ほんとうのこと」を書いている文章なのです。

世界に対して、ひらきたいか? 閉じたいか?

世界をうまく牛耳って、おとなしく自分の文章に納め込むか? それとも、世界のほうに自分をひらいて、自分の文章力には納まりきらないほどのスケールの世界の、それでも「ほんとう」を書こうとするか? 良いか悪いかではなく、ひらいている人の文章は面白い。予定不調和だからだ。

 

ここからは自分の選択。

ひらいている人の文章のほうが面白い。

では、自分は、どちらの文章を書きたいか?

 

ひらいた文章なのか?

閉じた文章なのか?

 

書き方とは、生き方です。

ひらく文章を書こうと思ったら、ひらく生き方をすることですね。

ひらく生き方をしたいか?

なじみのない、自分のやり方・考え方が通用しない世界は、不安だし、不快だ。

そこで、「閉じる」か? 「ひらく」か?

 

人間関係の悩みや、社会で直面する問題も、すべては同じですね。

自分が閉じるのか? ひらくのか?

 

自分が現実に合わせようと、挑戦するか?

 

現実に苦しむのは、「現実を自分に合わせたい」という、わがままな思いのせいなのかもしれません。

傷つかないように、予定調和のストーリーにしたい?

楽しく生きる。自分の思い描いた、玉の輿というオチに向かって、都合よく、社会のほうを切り貼りして取り込み、都合の悪い部分は見ずに、「閉じて」、なるたけ早く、なるたけ傷つかずに、予定調和のストーリーを歩んでいきたいか?

 

楽しく生きたい。

ラクして生きたい。

傷つきたくない。

それは、「現実を自分に合わせたい」だけであって、自分から逃げているのかもしれません。

無難で、安全で、傷つかない。

いざとなったら、嘘で作り変えてしまう。

そのような人生が面白いでしょうか? 幸せでしょうか?

潔くひらいて、傷つきながらも予定不調和のストーリーにできるか?

潔いまでの「ひらきっぷり」で、別世界に、翻弄されたり、あざわらわれたり、ふいに助けられたり、思わぬものが見つかったり、傷つきながらも、「自分の枠組み」を超えたスケールの、予定不調和の社会人生活を楽しむか?

 

「ほんとうのこと」と向き合おうとしたら、傷つくこともあります。

振り回されたり、他人から笑われたり。

でも、そのなかで、助けられて感謝することもある。

思いがけない宝を見つけることもある。

そして、本当に面白い人生になる。

 

それが予定不調和のストーリー!

 

勇気を出して、世界に対してひらいてみたく、なってきませんか?

ノウハウがなくても、誰にでもできる

その道に対する、歴史もノウハウもなくても、いや、ないからこそ、なおさら、「ひらく」ことはできる。

 

ここは、いろいろな意味にとらえられると思います。

何かを始めようと思ったとき、こんなふうに思って、ためらってしまうことはないでしょうか。

 

経験がない……

実績がない……

知識がない……

人脈がない……

 

それでも、やると決めれば、絶対にできる!

何もなくても、いや、何もないからこそ、「ひらいてみよう」と決めてみては、いかがでしょうか。

そして、「ひらく」とは、自分に合った答えを、自分の力で考えることです。

自分に合った答えを探す

どの答えが欲しい?
  1. まっとうな答え
  2. 絶対的な答え
  3. 自分に合った答え

 

私たちは、学校教育の影響で、また職場環境の影響で、どうしても「正解」を求めてしまうクセがあります。

間違えたら恥ずかしいから。

間違えて失敗したくないから。

でも、「正解探し」を追求していると、自分の意見を出すことが怖くなってしまいますよね。

そうやって、自己表現の道を放棄してしまったのです。

今、探すべきなのは、「正解」ではなく、「自分に合った答え」です。

自分は例外かもしれないと疑ってみる

たとえば、女の幸せというものを、脳の科学からみたらこうですよ、心理学からみたらこうですよ、こうしたら10人中9人の女性が安定しましたよ、という結果が出たとしても、それが妥当でまっとうな答えであればあるほど、自分自身が10人のうち1人の例外である可能性がぬぐえない。

 

データや数値に振り回されることがありますね。

または、マニュアルを重視しすぎてしまったり。

 

「こういうときは、こう」

「こういう人は、こう」

「これを選ぶ人のほうが多い」

 

でも、「10人中9人は○○だ」と言われても、自分が例外の1人である可能性は、大いにありますよね。

そして、例外だっていいじゃないかと思えるかどうか?

少数意見だったとしても、自分の意見を語るべきなのです。

自分の意見を書くために、先に正論を読まない

書くときの、大切な手順。

これは、本当に心していきたいところです。

 

  1. 先に立派な人の正論を読まない
  2. まず問題指摘を含んだ本気の自分の意見を書く
  3. いろいろな意見に触れてみる

 

「まず調べる」のではなく、「まず考える」

まずは自分の答えを先に出してみる。

それから調べるという姿勢です。

そうしないと、面白い意見は出てきませんね。

 

ズーニーさんも、いつもそのような姿勢で、文章を書いているそうです。

これは、かなり真剣に、見習いたい部分です。

自分の意見を、たたき台にする

立派などでなくていい、でも1人の人間の本気ある切実な意見をはっきりと見せる必要がある。

私がこのコラムにつたなくてもテーマに対する自分の見方をまずはっきり打ち出すのは、そこが理由になっている。偉い先生などではないため、いろいろと不備のある、しかし1人の本気ある意見というものは、切実な問題提起を孕(はら)んでいる。それに共感したり、反発したり、たたき台にしたりした人のいろんな意見を導き出す。私がここに示す、自分にとって切実な意見は、踏み台であり、たたき台である。

その上で、「多様な意見」を示すこと。

 

まずは、自分の意見をハッキリと表明する。

間違っているかもしれないし、反論されるかもしれない。

それでもいい。

なぜなら、ひとつの意見は、「踏み台であり、たたき台」にすぎないから。

とっても大切なことです。

自分の意見を出すといっても、「これが自分の意見だ!」と、傲慢な態度で自己主張をすることではありません。

あくまでも、「ひとつのたたき台」という意識。

だから、いろいろな意見にも触れて、意見を磨いていく。

自分で書くという作業は、とても怖いもので、ついつい無難な書き方になってしまうことがあります。

逃げ道を作ってしまったりとか。

でもそれでは、「無難な道を選ぶ」という、今までのクセから抜け出すことはできないですね。

勇気を出して、自分の意見を書く。

これが自分を変える、一番の方法。

さて、仕事を考えよう

ここまでは、自分で考える力を鍛え、文章を書くコツを確認してきました。

仕事といっても結局は、「考える」「書く」力になるからです。

その点を踏まえたうえで、ここからは、いよいよ具体的に仕事について考えていきます。

仕事を考える3ステップ

  1. 自己理解:まず、自分という氷山にもぐって自分と通じる
  2. 仕事理解:目指す仕事について掘り下げる
  3. 社会認識:業界をめぐる社会背景やお客さんについて理解する

 

仕事を考えるために、理解すべきものは3つ。

 

自分・仕事・社会

 

これを知らずして、自分のやりたい仕事は見つかりません。

  • 自分のやりたい気持ちだけなら、趣味の範囲。
  • 仕事だけを優先するなら、自己満足がない。
  • 社会を知らずしては、ニーズがわからない。

 

自分がどうかだけではなく、仕事・社会とは何なのかという視点は必ず必要です。

それこそ、「仕事だから」です。

自己・仕事・社会が結びついてこそ、将来の展望になる

ここからが肝心で、「自己理解」と「仕事理解」と「社会認識」をつなげて、「将来の展望」、つまり、「その仕事に就いたら、私がやりたいこと」を打ち出す。

 

仕事である以上、自分の希望だけでは通らないことです。

仕事・社会がどうなのか。

報酬が発生することですから、やはり、独りよがりでは通用しないですよね。

 

仕事・社会を見たうえで、自分がやりたいことを考える。

 

このスタンスが必要です。

他者と社会を理解し、関係づける

「社会と通じる」は、自己理解にとどまらず、そこに、将来顧客になる「他者」や、「社会」への理解が加わるし、「自分と仕事と社会」をつなげて語るという、「関係づけ」の作業も加わる。

 

仕事とは、「他者」「社会」を理解し、通じること。

仕事がイヤになる原因は、「他者と関わるのがイヤだから」という気持ちが大きいですよね。

他者と社会を理解しないことには、仕事に歓びを感じることができません。

自己・他者・社会を関係づけていくのです。

やはり、他者・社会とつながりたい

人間は社会的な生き物である、と私は思う。無自覚であっても、どんな形でも、人は、社会とつながろうとする。

社会とつながる、というときに、いちばんわかりやすいのが、「仕事」という「へその緒」を通して、自分と社会をダイレクトにつなげる、というやり方だ。仕事をすることで、自分から社会に「貢献」して、その対価である「報酬」を得る。

 

人間はやはり、一人では生きていけない。

どんな人であっても、何らかの形で「他者と関わりたい」と願っているはずです。

それが、イヤな思いをしてきたせいで逃げてるのか、傷つきたくないと思っているのか、原因は人それぞれですが。

本当に独りだけで生きていきたいと思っているわけがないのです。

自分の本来の願いを、素直に掘り下げてみましょう。

お金をいただいてこそ、あらゆるものが入ってくる

お金は、社会と世界を循環するものであり、通用するものだ。仕事を通して、お金だけではない、社会に通用するレベルの情報や、技や、知恵や、時代性や、人の思いや、いろいろなものが入ってくる。

 

「自分の目的はお金ではない」と言いたいときも、何かの言い訳が含まれているはず。

やはりお金をいただいてこそ、たくさんの価値が生み出せるもの。

「ボランティアでいい」というのではなく、お金をいただく「仕事」と、真剣に向き合ってみませんか。

社会を見てこそ、仕事が見えてくる

自分らしい選択をするために、選択肢を広げる

(仕事を)選ぶときに、社会を現実的に、ひろい視野で見て、知っているか、が実は大事だと思う。自分の反省から、世間知らずで、囲いこまれた選択肢では、なかなか自分らしい選択はできていないものだ。

 

やはり、社会のことを知らなければ、「やりたい仕事」は見えてきませんね。

「やりたいことがない」のは、社会を知らなすぎるから、かもしれません。

どんなことでもいいので、社会に対する興味を持ってみましょう。

積極的に社会に関わろうとする姿勢を取り戻すことです。

社会の中にこそ、自分のやるべきことがある

社会を見たら、社会のほうに、切実な問題や要求があり、ささやかでも確実に自分を必要としている。自分がやらずしてだれがやるとまでは言えなくても、自分がやったほうがいい、引き受けるべきこと、そういうこともあるんじゃないかと私は思う。

 

やはり、視野が狭いことが、何も見えてこない原因のひとつ。

視野を広げ、社会に関わろうとしたときに、自分のやるべきことが見えてくる。

「ここは自分が何とかしたい」と思う問題が、出てくるはずです。

社会とどう関わるかを考えるためには、まずは社会を見る・社会を知ることが大事ですよね。

私は今まで、そこがわかっていませんでした。

社会に対する興味が持てず、社会を知ろうともしてなかった。

逆に、知ったとしても、自分にできることは何もないと、絶望した気持ちもありました。

だけど、本当に仕事と向き合おうとしたとき、やはり社会と向き合わざるを得ません。

ずっと逃げてきた社会に、目を向けるのです。

社会に目を向ける

では、今は、どのような社会になっているのでしょうか?

次のページでは、特にAI技術の発展により、今後の10年がどう変化していくのかを考えます。

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