幸せは「つまらないこと」の中にある【マインドフルネス】の先駆け・ラッセルの幸福論

ラッセル

退屈な幸せ

7つの習慣

人生はつまらない

人生はつまらない

ラッセル

人生はつまらない

人生はつまらない

ラッセル

人生はつまらない

人生はつまらない

 

 

毎日がつまらないのは、なぜ?

 

  • 刺激が足りない
  • マンネリにおちいってる
  • 非日常感を味わってない
  • 旅行や趣味などを楽しめてない

 

新しい刺激は、たしかにいいです。

新たな視点も生まれます。

 

しかし。

 

あまりに多く旅行する、あまりにさまざまな印象を持つ、これは若い人々にとってはいいことではない。

(ラッセルの幸福論)

 

たくさん旅行したり、さまざまな経験をしたりすることは、実は、いいことではないと、ラッセルは言います。

 

なぜなら。

 

興奮によって満たされた生活は、疲労困憊の生活である。そこではスリルを与えるために、絶えずいっそう強い刺激が必要になり、スリルは快楽の一つの本質的な部分として考えられるようになってしまう。

(同上)

 

刺激や興奮を求めると、疲労困憊の生活になる。

だからこそ、多くの旅行や経験は必要ないのだ、というのがラッセルの幸福論です。

 

さて、どういうことでしょうか。

つまらない毎日は、どうすれば楽しくなるのでしょうか。

 

幸福論」by ラッセル

退屈を回避しようとすると、空虚感が生まれる

比較が、退屈を生む

他人との比較が、不幸の連鎖を生みます。

  1. 今の生活とは別の、快適な生活があることを知ってしまった
  2. 快適な生活と比較することで、退屈への不満が生まれる
  3. 退屈への不満を、「興奮」状態によって解消しようとする
  4. 興奮からは、空虚感しか生まれない

 

知ってしまったときが、苦悩の始まり

今まで疑いもせず、それなりに平穏に過ごしていた。

それなのに、あるとき、知ってしまったのです。

自分よりも快適な生活を、している人がいるということを。

「知らぬが仏」というように、私たちは、知りさえしなければ、比較もしないし悩みもしない。

 

「自信のなさ」や「劣等感」も、誰かとの比較によって生じた苦しみです。

 

退屈に堪えられない人は、「興奮」を求める

退屈への不満を、一時的に解消しようとする。

それが「興奮」の追求。

 

(退屈は)興奮を充分勢いよく追求することによって避けられるものだということを知るようになったし、あるいはそう思い込むようになっている。

(ラッセルの幸福論)

 

戦争や虐殺さえも、退屈からの逃避、興奮の追求であると、ラッセルは言いいます。

要するに、「悪事」も、退屈から生まれるもの。

私たちは、退屈さえしなければ、悩みもしなければ、悪いこともしないのかもしれません。

 

興奮は、空虚感を生む

あまりに多くの興奮に馴(な)れてしまった人は、たとえばおそろしく胡椒(こしょう)の好きな人に似ている。彼は他の人だったら息の詰まりそうになるほどの胡椒の分量でなければ、最後にはこれを味わうことができなくなる。

(ラッセルの幸福論)

 

多量の胡椒(こしょう)で味覚を失うようなもの

個人的には、胡椒よりも唐辛子が好きなのですが、今はたしかに、少量の唐辛子では辛さを感じなくなっています。

興奮を求めるのも、それと同じ。

感覚がマヒしてしまうのです。

 

興奮には、疲労・嫌悪・空虚感がつきまとう

どれだけ好きなことをしていても、楽しい時間は、つかの間。

終わった瞬間から、また次を、求め始めますよね。

だから、興奮を求める人は同時に、疲労・嫌悪・空虚感にさいなまれることになります。

そして、次の興奮を得るためにまた、お金を稼ぐわけです。

 

これでは、何のためにお金を稼いでいるのか、わからなくなります。

わざわざ空虚感を得るためのお金なのでしょうか。

 

興奮を提供してくれる連中は、永久に一つの場所から他の場所へ、彼らの行くところに、陽気とおどりと飲酒をふりまきながら動きまわっている。ただし、どういうわけか、彼らはいつもこうした楽しみを新しい場所でたのしもうと期待しているのだが。

(ラッセルの幸福論)

 

退屈から完全に解放されるのは、難しい

働く必要から解放されるに足るだけの金を持っている連中は、退屈から完全に解放された人生を、彼らの理想として描いている。

(中略)

この理想もまた、他のいろいろな理想と同じように、理想家たちが想像するほど実現が容易でないことを、私は恐れるものだ。とにかく前の晩が楽しかったその割合で、あくる朝は退屈なものである。

(ラッセルの幸福論)

 

楽しい夜を過ごすと、朝目覚めたときに、ドッと疲れていたり。

なぜか空虚感でいっぱいになったり。

やはり、そういうものですよね。

退屈から完全に解放されるというのは、たしかに、夢物語なのかもしれません。

 

他人との比較から、退屈が生まれる。

退屈を回避しようとすると、空虚感が生まれる。

いったい、どうしたらいいんだ?

 

静かな生活こそ幸せだと、ラッセルは言っています。

 

本当の幸福は、静かな生活の中にある

幸福な生活とは、だいたいにおいて静かな生活でなければならない。なぜなら、静けさという雰囲気のなかでのみ、真の歓喜は生きることができるからだ。

(ラッセルの幸福論)

 

「静けさ」とは、「単調」ということです。

「マンネリ」です。

 

単調・マンネリ・退屈

実は、そうした日々の中でこそ、偉大なものが生まれるのだといいます。

これらは避けるものではなく、そこに堪える力を養うことで幸福が実現するのです。

 

幸福には、「退屈に堪える力」が必要

幸福な生活にとって必要なことは退屈に堪えるというある程度の力である。そしてこういう能力こそ青年たちに教えられねばならぬものの一つである。
すべて偉大な書物というものは、退屈な部分を持っている。そしていかなる偉大な生涯もすべて大しておもしろくもない部分を含むものであった。

(ラッセルの幸福論)

 

幸福とは、「退屈に堪える力」なのだと、ラッセルはいいます。

なぜなら、偉大な書物も、偉大な人物の生涯も、その大部分は、退屈な部分で占められているから。

退屈な部分がなければ、偉大なものは得られないんですね。

 

気晴らしや道楽などの興奮は、長期的な視野をさまたげる

気晴らしや道楽にハマってしまうと、長期的に考える能力がどんどん弱くなります。

なぜなら、遠い未来のことよりも、目の前の快楽に、強く心を持っていかれてしまうから。

 

スティーブン・R・コヴィー 著「7つの習慣」にも、こうあります。

遊び中心の人はすぐ今味わっている楽しさのレベルに飽きてしまい、常に「もっと欲しい! もっと欲しい!」と叫び出す。だから次の楽しみがもっと大きく、もっと強烈で、もっとエキサイティングで、もっと興奮させてくれるものでなければ、満足できなくなる。こうした人たちは完全に自己陶酔状態に陥っており、今すぐここで楽しくなるかどうかで人生のすべてを解釈し評価してしまうのである。

(7つの習慣)

 

つまり。

今が、楽しいかどうか。

それが解釈の基準になるから、長期的な展望が持てなくなるわけです。

 

建設的な目的があれば、退屈にもみずから堪える

なにかまじめな建設的な目的をもっている少年や青年は、その目的を達成するために途中で必要だということを悟るならば、進んで相当の退屈にもみずから堪えるだろう。

(ラッセルの幸福論)

 

私たちは、「目的」をもつことによって、退屈に堪える力をつけることができます。

夢や目的がなければ、やはり、暇をもて遊んでしまいますし。

興奮を求めすぎると、目的を見失ってしまう。

 

やりたいことがない人は、「退屈に堪える力」をつけることを目標に、夢や目的を掲げてみるのもいいかもしれませんね。

 

不安を取り除く努力よりも、意義の達成に喜びを感じよう

精神科医のヴィクトール・フランクルも、次のように述べています。

 

人間が本当に必要としているのは不安のない状態ではなく、価値ある目標のために努力することである。人間に必要なのは何としてでも不安を取り除くことではなく、意義の達成に使命を感じることである。

(ラッセルの幸福論)

 

だから、目先の興奮に流される人は、結果的に、つまらない人生を送ってしまうことになるのです。

 

日々はエキサイティングだとしても、総合的には、つまらない人生。

日々はつまらなく見えたとしても、総合的には、エキサイティングな人生。

どちらを選びたいか、が問われます。

 

偉人の人生は、エキサイティングとは無縁

多くの偉人の生涯もまた、若干の偉大な瞬間をのぞけば、エキサイティングなものではなかった。

(中略)

静かな生活が偉大な人々の特質であったということ、そしてまた、彼らの快楽が外ばかり見たがるような眼の持ち主には刺激的と映ずるごとき種類のものではなかったということ、こうしたことがわかるだろう。

(ラッセルの幸福論)

 

偉大な人の特徴とは

  • 静かな生活を送っていた
  • エキサイティングな人生ではない
  • 偉人にとっての快楽は、凡人にとっては刺激的ではない

 

具体的な例。

ソクラテスの場合

彼の一生の過半は妻クサンチッペと静かに送られたものであり、午後には運動をするとか、道ばたで若干の友人に出会ったとかいうことであったろう。

 

カントの場合

カントは彼の一生を通じて、一度もケーニヒスベルクの町から十マイル以上出たことはなかったと伝えられている。

 

ダーウィンの場合

ダーウィンは、世界周航をしてからは、彼の生涯の残りの全部をその自宅で過ごしている。

 

マルクスの場合

マルクスは、二、三の革命運動を煽動してからは、大英博物館で彼の残された年月を過ごそうと決意している。

 

つまり、偉大な人とは、こういう人なのでしょう。

  • つまらないものと比較しない
  • 他人の生活に嫉妬しない
  • 刺激的なものに興味がない
  • けっこう地味に暮らしている
  • 本当に大事な、人生の目的をもっている

 

必ずしも、これがいいとは限りませんが、大きな参考になります。

私たちは、もっと、静かな生活でいいのではないでしょうか。

派手さ・刺激・興奮を追い求めるのは、やはり、他者との比較、他者との競争でしかないようにも思います。

つまりは、「見栄の心」。

承認欲求から脱却するためにも、「静かな生活」を心がけるといいかもしれませんね。

 

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