「統計リテラシー」がないことは現代を生きる我々にとって思いのほかヤバい状態なのだ。
統計学が最強の学問である
何がヤバいの?
「経験」と「勘」が当てにならないから
統計学が必要な理由
- 「あるある話」は当てにならない
- 歴史的天才が答えを出した
- 不毛な議論に終止符を打つ
どんな分野の議論においても、データを集めて分析することで最速で最善の答えを出すことができるからだ。
統計学が最強の学問である
「経験」と「勘」よりも統計を優先に
1.「あるある」は当てにならない
経験はしばしば間違う。
統計学が最強の学問である
マーフィーの法則は、「先入観」にすぎない
「マーフィーの法則」とは。
- 外出先で傘を買うと、たいていその直後に晴れる
- トーストを落とすと、いつもバターを塗った側が地面につく
- 遅刻しそうなときに限って、いつも電車が遅れる
法則じゃなかったの?
記憶には「偏り」があるから
そもそも人間の記憶は、信用できない
こうした「あるある」の多くが、「記憶の偏り」によって左右されているものだということは、心理学者あるいは認知科学者たちによってすでに実証されている。
統計学が最強の学問である
どっちのほうを、覚えているか
- 傘を買ったら、ずっと雨が降っていた
- 傘を買ったら、すぐ雨がやんだ
- パンが落ちて、バターを塗った面が上になった
- パンが落ちて、バターを塗った面が下になった
- 遅刻しそうなとき、電車がすぐに来た
- 遅刻しそうなとき、電車が遅れた
いつも電車が遅れる
ネガティブな記憶のほうがインパクトがあるから
傘やトーストの事例と同様に、あなたのビジネス上の成功法則も、ほんの数例程度の偏った成功体験を過剰に一般化したものとは言えないだろうか?
統計学が最強の学問である
「経験と勘」を言い換えると、「先入観と偏見」
「経験と勘=記憶」は、「先入観」や「偏見」と言い換えられます。
「私はいつも、こう」「こういうときは、こう」という言葉。
人間誰しも一度先入観を持つと、すべてのことを都合よく解釈してしまうという認知的な性質を持っているのである。
統計学が最強の学問である
本当に信頼していいのでしょうか?
「過度の一般化」という言葉、覚えておくと役立ちますよ。
たとえば、「なんで私はいつもこうなんだろう……」と思ったとき。
「おっと、これは『過度の一般化』だった」と、言い換えてみましょう。
人が、神秘的なものを好む理由とは
占い師や超能力者と称するオカルト関係の仕事を生業とする人、あるいはそうしたものを信じる(そして場合によってはカモられる)人たちは、しばしば「この世には現代科学では割り切れないものだってある」という謎の主張をする。
統計学が最強の学問である
オカルト的な占い師以外にも、次のような例も同じだと言われてます。
- 効果のよくわからない商品を売ってる人
- 従業員のパフォーマンスが上がるという研修
- 業務の効率が上がるというITシステム
- 売上が上がるという広告
- これを食べることが体にいい
もちろん、すべてを批判しているわけではなく、「実証もなく適当なことを言っている」場合のことです。
昔は、「神の啓示」にすがるしかなかった
かつての人類は、正しい(と思われる)答えを知るためには神の啓示にすがるしかなかったし、そうでなくなった後も権威ある人間の見識に従うしかない時代が長年続いた。
統計学が最強の学問である
どんな国にも「神話」があるのは、そうすることでしか、民衆を従わせることができなかったからですよね。
政治の世界も、「占い」や「巫女(みこ)」に頼るのが主流だったことでしょう。
すべて「神の啓示」としたほうが、都合がよかったという面と、それしか信じるものがなかったという面があったのだと思います。
そんな時代が長かったからこそ、急に「データ」というものが出現しても、なかなか頭が追いつかないのかもしれません。
今は違う。最善の答えはすでにみなさんの周りのデータの中に眠っている。
(by 統計学が最強の学問である)
統計リテラシーがなければ、ビジネスの問題と同様に社会や政治に関する問題についても、経験と勘だけの不毛な議論が尽きることはない。
統計学が最強の学問である
2.歴史的天才が答えを出した
統計学:天才フィッシャーの大発見
どのような手順で実験して、10回中何回成功すれば科学的に実証できたと考えられるのか、ということを考えた人間はフィッシャーの前には誰一人としていなかったのだ。そしてそのフィッシャーの考えた「科学的に実証するための手順」のうち最も重要なアイディアが、「ランダム化する」という部分なのである。
統計学が最強の学問である
今も昔も変わらず、イカサマ師は存在しますよね。
しかも昔は、誰も正解を知らなかったのだから、いろんなことが言われていたのかもしれません。
たとえば。
- 科学的実験とはいえ、10回やって10回確実に生じるような現象しか見ない
- 10回中たった1回の成功で、さも成功したかのように言う
このようなことばかりだったそうです。
その方法が、なんと、「ランダム化」というもの。
ランダム化の威力
たとえば、「肥料A」と「肥料B」の違いを試したいとき。
こんなふうに肥料をまいたら……?
肥料の効果よりも、当然、「日当たりのよさ」のほうが影響が大きそうですよね。
これでは、AとBの違いを的確には示せません。
では、このように区分けしたら……?
バランスよく、結果を見ることができそうです。
これが「ランダム化」というもの。
フィッシャーが証明した事実
- 農地を細かく分割し、ランダムに肥料をまき分ける
- ランダムに選んだ地区ばかりに日当たりのよい土地が集中する確率は2分の1の20乗
- =「約100万分の1」という奇跡のような確率でしかない
- ランダム化すれば、ほぼ平均的になる
- その状態で、収穫量に「差」が生じれば、「肥料が原因」という因果関係がほぼ実証できる
なんでもランダムにしてしまえば、条件を平均的にすることができるんです。
ランダムって、すごいことだったんですね。
それにしても、わかってしまえば意外と単純。
「科学的な実証」とは、「ランダム化」のことだったわけです。
でも、実はこの「ランダム化」の発見によって、教育学、政策学、経営学など、ありとあらゆる分野が大きく進展したそうなのです。
ランダムに分けて、「差」を統計学的に分析する
ごちゃごちゃ理屈を唱えるよりもとりあえず研究参加者をランダムに分けて、異なる状況を設定し、その差を統計学的に分析してしまえばいいのだから、これほどわかりやすく強力な研究方法はない。
こうして得られたエビデンスたちがあなたのビジネスで大きな武器となりうる
統計学が最強の学問である
- 理屈を言い合うのは、ただのムダ
- ランダムに分けて実験する
- 結果の「差」を統計学的に分析する
この手法こそが、「最強」なのだそうです。
手法は単純、でも統計学的な分析が難しい
「ランダム化」と聞くと、「なんだ、そんなこと?」って思いますが。
やはり、分析の話は、とても難しいです。
本を読んでても、サッパリとわかりません。
とっつきにくい学問だからこそ、投げ出したくなるし、考えるのがイヤになる。
そうなると人はどうしても、「経験と勘」「神の啓示」にすがりたくなりますね。
でも、「経験と勘」にウンザリしているのならば、サクッとでも知識を仕入れておくと役立つと思います。
まして、しっかり学んでみれば、とても大きな武器になることは間違いないはず。
先人たちの積み重ねた知恵をきちんと学び、その上に立脚することができれば自分だけの頭を絞るよりも遥かに先を見通せるはずである。ニュートンという大天才ですらそうしているのに、なぜ我々がそうせずにいられるのだろう。
統計学が最強の学問である
いま、何かへの自己投資を考えているならば、「統計学」はオススメですよ。
この最強でセクシーな学問の力を手に入れるために必要なのは、IBMが支払った1兆円あまりの資金に比べればごくささやかな、あなたの人生のうちのいくばくかの勉強時間という投資、それだけなのである。
統計学が最強の学問である
余談:フィッシャーって、どんな人?
- 天才的な頭脳を持っていた
- 偏屈で人付き合いが下手だった
- 権力争いに破れた
- 人間関係に疲れ果て、イギリスの片田舎へ引っ込んだ
- しかも20代後半~40代前半までの期間
失意の日々ともとられかねないこの期間に、彼はたった1人で歴史を動かす大発見をいくつもしていたのだから、人生何があるかわからないものだ。フィッシャーのような天才が大発見をするにあたり必要なのは、立派なオフィスでも肩書きでも、優秀な共同研究者でも潤沢な研究費でもなく、ただ自由に使える時間とデータがありさえすればいい、ということなのかもしれない。
統計学が最強の学問である
本当に、人生何があるかわからない。
挫折や屈辱感を抱いて、つらい気持ちになったときは、このフィッシャーの話を思い出したいですね。
たとえ一人であっても、何かに打ち込んでみるといいのではないでしょうか。
適切にランダム化比較実験を扱えるようになれば、そこで実証された結果はもはや科学的に正しいと言っても過言ではない。
(by 統計学が最強の学問である)
「私の経験のほうが正しい」と、言えるだろうか。
3.不毛な議論に終わりを告げる
主観的な「経験と勘」はムダでしかない
おそらくさまざまな部署から、偉いおっさんたちがやってきて、「自分の感覚では……」とか「長年の経験に基づくと……」といった主観的根拠で勝手なことを言い出すだろう。
断言してもいい。もしあなたの会社に十分なデータがあるのであれば、データを分析せずに勘と経験だけに基づく議論を重ねるのは時間のムダだ。
統計学が最強の学問である
「上から目線」になってしまうのは、「自分の経験が正しい」と思ってるからですよね。
他人にとっては、個人的な「経験と勘」は迷惑なんだってことを、肝に銘じなければなりません。
日本の多くの会社は、時給800円でアルバイトする若者が仕事をサボることは叱るくせに、時給換算でその何倍もの人件費を支払われている人間が会議で不毛な時間を過ごすことに対しては思いのほかむとんちゃくである。
統計学が最強の学問である
誰もが「経験と勘」でしか話せない。
「経験と勘」は、恐怖にもなる
たとえばですが。
体調が悪く、不安な気持ちを抱えて病院に行ったとき。
医師から、「私の経験と勘では、◯◯だと思う」と言われたら、どうでしょう?
「たぶん大丈夫」「今までも大丈夫だったから」
こんなこと言われても、不安ですよね。
医師の経験と勘だけでなく、きちんとしたデータとその解析結果、すなわちエビデンスに基づくことで最も適切な判断をすべきだ、というのが現在医学において主流の考え方なのである。
統計学が最強の学問である
教育については、どう?
不思議なもので、教育という分野に関しては、まったくと言っていいほどの素人でも自分の意見を述べたがるという現象がしばしばおこる。
「自分が教育された」あるいは「自分が子どもを教育した」という個人的な経験のみから教育の良し悪しを判断し、意見するということがしばしば見られる。あるいは、ただ大学在学中に弁護士になったとか、子どもを全員東大に進学させたといった人の個人的な経験をありがたがって信頼するという人もいる。
(by 統計学が最強の学問である)
「経験と勘」だけに頼ると危険なのは、医学だけではないんです。
- 教育
- 心理学
- 社会学
- 自然科学
データ・解析結果・エビデンスをもって、判断したい。
仮説を検証しようとすれば、統計学の知識を用いて適切なデータを取り、解析することは避けることができない。
統計学が最強の学問である
「経験と勘」よりも、「統計学」
個人のセンスにまかせない
顧客への対応にしても、社内人事にしても、全社的な正解のない判断を個人のセンスに任せるぐらいなら、とりあえずランダム化して定期的に評価する、というやり方のほうが長期的なメリットは大きいだろう。
統計学が最強の学問である
なぜならば。
統計学的な裏付けもないのに
- 絶対正しいとは決めつけられない
- 絶対誤りだとは決めつけられない
でも皆が皆、決めつけますよね。
まさに「自分の経験と勘」によって。
科学の方法は、観察と実験
科学の方法論の重要な特徴は「観察と実験からなる」
by アンリ・ポアンカレ
- 観察
- 対象を詳しく見て、そこから何かの真実を明らかにする行為
- 実験
- さまざまに条件を変えたうえで、そこから何らかの真実を明らかにする行為
「とにかく、こうなんだ!」は、「明らか」とは違います。
ランダム化したら、運を天にまかせる
いくら考えてもわかるわけがないことに対して、よく考えたり話しあえばわかるようになるだなんて思うこと自体、たいへんバカな思いあがりなのではないだろうか。
私たちにできることは、まずランダムさによって運を天に任すことであり、そして統計解析によってその天の思し召しに耳を傾けることだけなのである。
統計学が最強の学問である
次の点を、意識してみましょう。
- 考えても、わからない
- 自分の経験と勘は、当てにならない
- 他人の経験と勘も、当てにならない
- 理屈ばかり言い合っててもムダ
- じっくりと観察する
- ランダムに分けて実験する
- 結果を分析する
要するに、「まずはランダムに、いろいろ試してみようよ」ってことです。
判断に迷ったときは、ランダム化比較実験ができないかを検討する
ムダな会議を繰り返すよりも、ランダム実験のほうが……
- 早く済む
- 安く済む
- 確実な答えが得られる
- 話し合いよりも合理的
そんな悩みに、この本の著者はバシッと言い切ってくれています。
ランダム化の力を「デタラメに決めるなんて無責任な」、と感じるおっさんたちもあなたの職場にはいるかもしれない。だが、今ではアメリカの政府ですらこうしたランダム化の力を認め取り入れている。
統計学が最強の学問である
まとめ
望むと望まざるとにかかわらず、ほとんどすべての学問に関わる学者は統計学を使わざるを得ない時代がすでに訪れているし、統計リテラシーさえあれば、自分の経験と勘以上の何かを自分の人生に活かすことがずいぶんと簡単になる。
統計リテラシーは、世界トップレベルの学者が長年の研究の結果明らかにした真実に直接アクセスすることを可能にする。この力があるかどうかでみなさんの人生が大きく変わることは間違いない。
(by 統計学が最強の学問である)
私はこの本を読んで、今までの自分がいかに間違ってたかを自覚し、ショックをおぼえました。
もっと早く、こういう事実を知っていればよかった、と。
もちろん、統計や数字が100%ではないと思いますが。
ただ、経験と勘を頼りにするにも、そのプロセスには、統計的な分析は必要ですね。
「いつも、こう」の「いつも」とは、いつ・何回なのか?
きちんと記録して統計をとるほうが、主観よりも適切です。
ネガティブな感情も、きちんと記録をとったほうがいいと言われますよね。
また、不安に思ってることの80%は、実際には起こらない、とか。
「心理統計学」という分野もあるほど、心理学の世界でも統計学は必須となってます。
会議でごちゃごちゃと考えるより、「とりあえず試してダメそうならやめよう」と考えたほうが遥かに合理的である。
統計学が最強の学問である
とりあえず、統計学というものをザックリと知りたい人にも、この本はかなりオススメです。
統計を知るには、数学の知識も必要です。