「火垂るの墓」は人間の弱さを描いた映画【性弱説】環境のせいにしていい、でも後悔のない生き方を選ぼう

火垂るの墓

性悪説ならぬ性弱説という考え方があります。

人は本来、弱いもの。

環境と状況のせいで、弱さが発動してしまっただけ。

 

「環境のせいにしてはいけない」と思いすぎると……

苦しみから抜け出せなくなることがある。

ときには、環境のせいにしてみよう。

 

ただし!

後悔しない生き方をしたい

 

そのことを、「火垂るの墓」から学んでみます。

性弱説:人は本来、弱いもの

人間は弱いのだと自覚しておこう

性弱説とは
人は本来弱いものだという考え方

 

例えば、生活に苦しんでいるとき。

偶然、お店に店員さんがいなかった。

今がチャンス!と、ついつい盗んでしまう。

弱さが発動してしまうときです。

環境と状況が、弱さを発動させた

自分の弱さを発動させてしまった原因は、次の2つ。

  1. お店に店員さんがいないという環境
  2. 生活に苦しんでいるという状況

 

その環境と状況がなければ、その盗むことはしなかったのです。

生まれながらの悪人というわけではない。

本当に環境のせいにしていいのか?

弱くなってしまったときは、環境のせいにしていい。

そう思ってましたが、「火垂るの墓」の監督と原作者の想いを知ったら、身につまされるものがありました。

弱くなってしまったとき、どういう行動をとるべきなのでしょうか?

「火垂るの墓」高畑勲監督の想い

「火垂るの墓」のあらすじ

空襲で母親に死なれ、父親も戦場から帰ってこない。

取り残された14歳の清太と、4歳の節子。

叔母の家でお世話になるが、叔母からは邪険に扱われ、耐えられなくなって家出。

やがて、節子も清太も、死んでしまう。

 

とってもかわいそうで、戦争の悲惨さが胸にせまってくる映画です。

しかし実は、反戦を描くことが目的ではなかったそうです。

反戦ではなく反省を描いた

決して単なる反戦映画ではなく、お涙頂戴のかわいそうな戦争の犠牲者の物語でもなく、戦争の時代に生きた、ごく普通の子供がたどった悲劇の物語を描いた
(高畑勲『スタジオジブリ作品関連資料集II』スタジオジブリ)

 

意外なことに、原作者も、映画製作陣も、反戦のつもりで描いたわけではなかったそうです。

「ごく普通の子供」を描いた、と。

どういうことでしょうか。

頭を下げられずキレてしまう、今の子どもと同じ

日本の観客に関しては、清太について、同情的な人が大多数だったんです。

これはですね、僕としては非常に意外だったんです。

(中略)

お金があれば何とかやっていけるだろうと思って、おばさんに頭を下げたり、おばさんに屈服せずにやっていけると思ったんですね。

こういうあり方っていうのは、今の子どもに非常によく似ていると思うんですね。

人々と何とか折り合いをつけてですね、もしも屈辱的であっても、頭を下げなくちゃいけないとか、頭を下げてですね、なにしろ自分だけじゃなくて、妹と一緒に生活をしていかなくちゃいけないわけですから・・・。

それでやっていくというふうなことができずにですね、すぐキレたりとか。

・・・そういう子どもとよく似てるんじゃないか。

(1999年/高畑監督のインタビュー)

 

たとえ屈辱的であっても、頭を下げて、生きる道を考えねばならなかった。

やがて2人とも死んでしまうことを考えると、たしかに正しい判断ではなかったのかもしれません。

しかも今よりも、地域社会のつながりが濃かった時代です。

大人に反発して、生きていけるわけが、なかったのです。

長期的な展望をもてなかった清太

叔母さんの家を出る直前、清太は節子に、次のように言います。

 

お母ちゃん、銀行に七千円も貯金しとったんや。七千円やで!

あんだけあったら、なんとでもやっていけるわ。もう心配あらへん。

 

亡くなったお母さんの銀行口座に、七千円の残高があった。

それで、やっていけると思ったのでしょう。

でもよく考えれば、働き口がなければ、お金もいつかは尽きるもの。

まして、お金よりも物々交換が主流の時代。

長期的な展望を考えられずに、目の前の楽しさだけを追求してしまった、ともいえます。

大人の助言を無視した清太

困った清太に、農家の人は助言します。

 

やっぱり、あのウチへ置かしてもろうたほうがええ。

だいいち、今は何でもかんでも配給やし。

隣組に入っとらんと暮らしてはいけん。

な? よう謝って、あそこへ置いてもらえ。

 

そのとき清太は、ふてくされた顔をします。

大人に頭を下げるのは、イヤだったのですね。

そんなところが、今の子どもに通じる、と。

 

  • お金さえあればいい
  • 自分一人で、できる
  • 組織に屈服したくない
  • 我慢はしたくない

 

そんなふうに考えている子どもたちに、生き方を考えてほしい。

戦争よりも、むしろ子どもの生き方をメインに描いた映画だったのです。

身につまされる話ですね。

子どもだけではなく、今は大人も、清太のようになっているのではないでしょうか。

もっと耐えなきゃいけない

もっともっとつらい状態なのに、それに歯を食いしばって我慢をしてですね、生き抜いた人はたくさんいるわけです。

もっとつらい、もっとひどくいじめられても、それを耐えて。

ところが、清太っていう子は、それを耐えることができない。

耐えないで何とかやっていけると思った子どもなんですね。

ですから、そこらへんを、あの映画を観ながら、ちゃんと判断して、あぁ自分たちだったらやっぱり清太の側になるけれど、しかし清太の側にいってれば、場合によっては、ああして死んでしまったりすることも、起こっちゃうんだなっていうふうに、見てくれる人がいればよかったんですが。

 

ちょっとしたことでイヤになって逃げ出してしまう。

けれども、そこでグッと耐えなきゃいけない。

ヤケを起こして自分勝手な行動をすると死んでしまうこともあるんだ。

そんなメッセージだったわけです。

とるべき態度ではなかった?

とるべき態度ではなかったんじゃないか、あの時に。

というふうなことを、きっちりと、あの映画の中から見ることができるというのが大事なことなんじゃないかなというふうに、私としては思ってますから。

 

「火垂るの墓」を見て、ただたんに「かわいそう」と思うだけではなく。

どうするべきだったのか。

自分ならどうするか。

そういうことを考えていくことが、大切ですね。

いざというとき、屈辱的であっても頭を下げられる自分なのかどうか?

映画を見て「かわいそう」と言ってる人も、叔母さんの立場になる人が多いのではないか?

社会生活はわずらわしいことばかり、出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい、自分だけの世界に閉じこもりたい、それが現代です。

それがある程度可能なんですね。

(中略)

清太の心情は痛いほどわかるはずだと思います。

(中略)

もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。

全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。

清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、ぼくはおそろしい気がします
(アニメージュ1988年5月号より)

 

清太ではなく、叔母さんの立場になることも、十分に考えられます。

世の中が大変な時期に、「働かざるもの食うべからず」と言わんばかりに、子どもを虐げる。

しかも社会全体がそのような風潮だったら、「かわいそう」とも思わないのではないでしょうか。

そういう意味で、時代や環境も考慮に入れないと、無責任な発言はできないですよね。

「火垂るの墓」原作者・野坂昭如さんの想い

実話をベースに描いた作品

「火垂るの墓」は、作家の野坂昭如さんが、自らの実体験をベースにして書いた小説だそうです。

清太に、自分の想いを託した、と。

清太のような、やさしい兄ではなかった

ぼくはせめて、小説「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。ぼくはあんなにやさしくはなかった(『朝日新聞』1969年2月27日付

 

小説では、やさしい兄を描いたけれど、実際は。

夜泣きする妹を、気を失わせるくらい殴ったりとか。

妹にと思って、盗んできたトマトを、自分が食べてしまうとか。

自分の欲望に勝てなかった現実が、たくさんあったそうです。

 

「ぼくはあんなにやさしくはなかった」

 

その言葉から、後悔とやるせなさが伝わってきます。

けれども現実は、誰もがそうではないでしょうか。

やさしくしなきゃと思いつつも、ついつい自分を優先してしまう。

それが、人間の弱さですよね。

現実から逃げすぎた「やましさ」が、湧き上がる

野坂さんは、どんな想いかというと。

 

逃げすぎたことのやましさが、胸の底に澱(おり)の如くよどみ、おりにふれて湧き上がる

 

妹を死なせてしまった後悔。

やさしくできなかった後悔。

本当に妹の幸せを願うなら、頭を下げなくてはいけなかった。

 

後悔する生き方を、してはいけない。

 

それが、一番言いたかったこと。

反戦でもなければ、かわいそうな兄妹の話でもなかったのです。

「妹への罪悪感」を、ひしひしと感じます。

清太は本当に、正しくなかったのか?

間違った判断で、妹を死なせてしまった

たしかに、清太の決断は、正しいものではない。

間違った判断により、妹を死に追いやってしまったのです。

頭を下げて、叔母さんにお世話になり続けていたら、生き延びたかもしれない。

戦争が終わってから、幸せになれたのかもしれない。

だけど14歳で、正しい判断ができるのか?

戦時中の苦しいさなか、親を失った14歳の子どもが、正しい判断をできるのでしょうか?

まだまだ親が必要な時期。

自分だって甘えたい頃に、ひとりで妹を守らなければならなかったのです。

妹を死なせてしまった悪い兄ではなく。

戦争中の社会という環境と、みなし子という状況が、弱さを引き出してしまったのではないでしょうか。

間違った行動を責めるのは、残酷ではないか?

間違った行動をしてしまったからといって、それを責めるのは、あまりに残酷。

同じように、間違った行動をしてしまった自分を責めるのも、ちょっと残酷ではないの?

自分を責めることを続けてしまえば、他人を責めることも、やめられないですよね。

やはり、14歳の男の子に、正しい判断は難しいのではと感じる。

それくらい、人間は弱いもの。

環境のせいにすることで立ち直れるなら、大いに環境のせいにしよう

「仕方がなかった」では、すまされないことも多い。

それを理解しつつも……

ときには環境のせいにすることで、自分に優しくしてあげていいのではないでしょうか。

環境のせいにすることで立ち直れるなら、大いに環境のせいにしよう。

その環境と状況で、ほかに何ができたというの?

ふと立ち止まって、自分に優しく。

 

memo
環境と状況が、自分を弱くさせた。

ときには環境のせいにして、自分にやさしくすることも大切。

そのうえで、後悔しない生き方をしっかりと考えよう。

(2019310記)

とはいえ、現実は厳しいのだ

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