- 「書く」とは、「考える」こと
- 「考える」とは、「自分に正直になる」こと。
- 「書く」とは、「自分の正直な意見で人と関わる」こと。
人と関わり、社会と関わる、とても能動的な作業。
それが書くこと!
「伝わる!揺さぶる!文章を書く」by 山田ズーニー
なぜ書くのか?という観点が、重要。
書く理由は、「人に伝えるため」。
そもそも言葉は、自分の意見を他者に伝えるために発達したものです。
泣き声や合図、シグナルなどの原始的な方法だけでは、足りなくなったからでしょう。
もっと高度なことを伝える必要が出てきたのです。
それなのに、言葉を使いこなせていない。伝わっていない。
「伝える」という目的を忘れてしまっているのです。
「伝える」とは、「人と関わる」こと。
きっと誰もが、自分の思いをお母さんに伝えたくて、自分の気持ちをわかってほしくて、言葉をおぼえたはずです。
「人と関わる」という積極的な姿勢こそが、「書く」作業なのです。
Contents
文章はすべて、「問い」(論点)から始まる
良い意見は、良い問いから
「この文章の論点は何か?」とよくいいますが、「論点」とは「問い」のことです。
「論点=問い」がなければ、書き始めることはできません。
だから、意見を出すためには、まずは問いを発見しなければならないのです。
自分の問いを理解しないことには、何も書けないし、自分の意見を主張することもできません。
すべてのことに、「問い」を持ちましょう。
「問い」を持とう。それが論点になる。
問い(論点)を制する者は、文章を制する
常に自分のなかに、「問い」を持っておくこと。
「問い」こそが、「論点」です。
自分の持つ「問い」に、自分の「意見の種」があります。
特に、次の3点を意識してみましょう。
- 言葉にならないモヤモヤ感・違和感
- 目がとまるところは心がとまるところ
- 共感、驚き、違和感、反発
- 時間軸と空間軸(遠回りの法則)
意見の種1.言葉にならないモヤモヤ感・違和感を放置しない
問いを発見するためには、日常のモヤモヤ・違和感を放置しないこと。
すべてに丁寧に、「なぜ?」と繰り返してみましょう。
そこから問いが始まるのです。
モヤモヤと違和感は、自分にとっての切実な問いを教えてくれるよ
意見の種2.目がとまるところが心がとまるところ
普段、自分が何に目がいくのか、自分の目の動きに敏感になってみましょう。
何かに目が向いているはずなのです。
何も考えずに通り過ぎてしまうことが多いのですが、ひとつひとつ自分の注意に注意を向けてみるのです。
遠回りの法則~時間軸と空間軸を広げる
- 時間軸を広げる:過去と未来を照らすと、今を照らせる
- 空間軸を広げる:他者や社会を照らすと、自分を照らせる
今だけ、自分だけを考えるのではなく、広げるのがコツ。
過去・未来という時間軸。
他者・社会という空間軸。
その中で、今の自分の意見が見えてくるということです。
- 過去や未来の自分は、どうだったか?
- 相手にとって自分は、どう見られているのか?
- 社会の中での自分は、どういう存在なのか?
このような視点で、自分の違和感やモヤモヤに自問自答を繰り返してみる。
最終的に、文章のタイトルになる「問い」をしぼりこむ。
「問い」を、タイトルや見出しにする
「問い」を見つけたら、それをタイトルや見出しにします。
どういう問いに基づいて書こうとしているのか。
問いを意識して読む・書く習慣を身につけると、考えやすくなります。
論点(問い)を考えるコツ
- モヤモヤ・違和感を感じたとき → なぜ? 何?と考える
- 目がとまったものに、なぜ目が止まったかを考える
- 時間軸・空間軸を広げて考える
- 問いを見つけたら、タイトル・見出しにするつもりで考える
自分で問いを立て、自分で答えを探す
問いを立てるとは、とても骨の折れる作業です。
だから、「どうしたらいいですか?」と、答えを相手まかせにするような質問を繰り返してしまいがち。
それは、骨の折れる作業を放棄し、相手に丸投げしてしまうこと。
それでは、コミュニケーションが成立しないどころか、自分にとっての価値も生み出せません。
実は、もったいないことなのです。
自分の考え、自分の意見にこそ価値がある。
自信をもって、自分で考えていきましょう。
書くために:ゴールを意識する
望む結果を明確に!
書くことのゴールを考えよう
書くことのゴール
- 読み手の心を動かす
- 状況を切り開く
- 望む結果を出す
伝言メモや報告書なども、相手に伝わらなければ意味がない
「文章」といっても、小説やエッセイのような、美しい文章だけを指すのではありません。
ちょっとした伝言メモや報告書など、日常のあらゆる場面で、書くことが求められますね。
そして、ちょっとしたメモであっても、相手に伝わらなければ意味がないのです。
文章の目的は、相手に「自分の意志が伝わる」こと
相手に自分の意志を伝えるために、ゴールを意識して書くことです。
自分だけの覚え書きであっても、「未来の自分に伝わる」ことが必要です。
「伝わる」とは、「相手の心が動く」こと
人は、心が動かないと行動しませんよね。
相手の心が動いてこそ、状況が変わり、望む結果が得られます。
「相手の心が動く」とは、「共感・納得・発見」が引き出されること
つまり、読者の「共感」「納得」「発見」を引き出すことが、書くコツであり、書く目的です。
そのために、どうしたらいいのか?
- 目的は、相手に自分の意志が伝わること
- 自分の意志が伝わるとは、相手の心が動くこと
- 相手の心が動くとは、共感・納得・発見が引き出されること
- 相手の共感・納得・発見が書くゴール
共感・納得・発見をどう引き出すか、自分で考えねばならない
書くからには、自分で考えなければなりませんね。
「書けない」のは、「考えられない」からです。
そして、「どう考えたらいいか?」がわからないのです。
考え方を教わったことがない
子どもの頃は、「詰め込み」「暗記」がメインで、「言われたとおりにやりなさい」と強要されてきました。
誰も、「考え方」を教わったことがないのです。
「書く」ためには、「考える方法」を学ばなければならないのです。
自分の言葉で考える。
考える力をつける。
それが、書くための基本。
メモ書きで、考える力をつけることができます。

言葉にすることについては、こちらも。

書く順序は、問い→理由→答え
文章の基本は、問い&答え。
「○○について、どう思うか?」
「自分は△△だと思う」
「なぜなら~」
「よって、自分の意見は△△である」
問い(論点) → 理由 → 答え(意見)
答えが、問いに対する自分の意見です。
「自分の答え」を探すためには、自問自答を繰り返すことです。
問いの中に、意見の種があります。
謝罪文はどう書く?
説得は論拠、依頼は依頼される側の感覚を想像、議事録は議題を疑問形に
この本では、説得文、依頼文、議事録などの作成例が載っています。
- 説得は、論拠が肝心
- 依頼は、依頼される側の感覚を想像すること
- 議事録は、議題を疑問形にすること
とても役立つ情報ばかりですが、なかでも強く心に残ったのは、謝罪文の書き方でした。
心のない謝罪文から卒業しよう
謝罪文こそ、相手の気持ちを変える、最も重要で最も難しいもの。
そして、一番、心のない文章になるものですよね。
それを、どう書くか?
とても大事なことだと思いました。
- 心から罪を認める
- 相手に謝る
- 相手が受けたダメージをつぐなう
相手が受けたダメージを考え抜いてから書く
正直なところ、なぜ自分が悪いのか?
これからどうするべきか?
考えても考えてもわかりません。
だから、形式的な、心のない文章になってしまうのです。
そこを、自分の何が悪かったかを、「なるほど、そういうことか!」という気持ちになるまで考え抜くこと。
だから相手は怒っているんだということを、腑に落ちてから書き始めると結果が出るのではないでしょうか。
特に、「相手が受けたダメージ」を想像することが、謝罪の意義だと感じました。
言い訳では響かない
たいていは、「そんなつもりはなかった」「悪気はなかった」「自分もいっぱいいっぱいだった」という言い訳を聞かされます。
そうすると、どうなるか?
- 謝られた側が、謝る人の気持ちを配慮しなければならない
- 「この人も大変だったんだろうな」と考えざるを得ない
- 結局、モヤモヤは解消しないまま、泣き寝入りをする
そんな結果になります。
謝られた側のモヤモヤは解消しないので、謝るという目的が達成されません。
きっと、時がたてば、同じことを繰り返すはずです。
相手は、落ち込んだ心を理解してほしいと思っている
怒っている側は、解決策よりも何よりも、「自分の受けたダメージ」に対してつぐなってほしいのです。
自分の落ち込んだ心を理解してほしい、と。
「相手の受けたダメージ」を想像する
それこそ、共感力であり、相手を理解することですよね。
それができたとき、謝罪文に大きな意義が出てくるのでしょう。
自分の考えで人と関わりたい、それが書く理由
自分を偽ることなく、自分の想いを書く
次の著者の言葉に、とても感銘を受けました。
自分の想いを語れば、孤立する。自分の考えで行動すれば、打たれる。そのどこが自由なのか、と言う人がいるかもしれない。でもそれは、他ならぬ自分の内面を偽りなく表し、自分として人に関わって、得た結果である。自分を偽ることなく外界と関わっていけるということは、極めて自由なことだと私は思う。
表現力を磨き、成功体験を重ね、熟練して、自分の意志で人と関わっていけるようにしていくのだ。そういう自由を私は欲しい。そのための思考力・表現力の鍛錬なのだ。
「書き方」というと、どう書けばいいかという方法論にとらわれ、「こういうときはこう」「この次はこれ」と、典型的に考えてしまいがちです。
けれども、書くうえで重要なのは、自分の想いを表現すること。
そしてそれが、とっても怖い。
無難な文章を書いていては、自由になれない
多数意見に合わせ、空気を読み、無難な文章を書いているほうがラクです。
だから、自分で考えることを放棄してしまう。
素直な表現なんてしないほうが要領よく生きていけるから。
でもそれでは、本当の満足は得られない。
自分の頭で、必死になって自問自答を繰り返し、自分の答えを出すこと。
それを表現すること。
それこそが、生きている価値になるのではないでしょうか。
書くことをとおして、人との関わりまで考える
とっても難しく、だからこそ、意義のあること。
書くことをとおして、人との関わりまで考える。
書くということが、思っていた以上に能動的な作業なのだと、改めて感じます。
正直という戦略で、人と関わる
正直という戦略をとる。つまり、自分に忠実でありつつ、かつ人と関わることを目指す。
そのためには、厳しい文章術の鍛錬が必要だ。なぜなら、自分の正直な姿を表すところは、自分の中ではないからだ。自分の中ではない。紙の上でも、パソコン上でもない。「相手の中」だ。
正直に書くことがなぜ難しいかというと、読者を意識しなければならないからですね。
自分だけで解決するものではない。
「相手の中」に、自分の正直な想いを表現していく。
難しくて怖いけれど、鍛錬していきたいですね。
まとめ
書く作業は孤独ですが、かといって、独りよがりでいいのではなく、読み手を意識しないと書けません。
山田ズーニーさんは、「結果を出すための文章」ということを一貫して主張していて、とても考えさせられました。
職場で、報告書や指示書を書いても、誰の心にも届かないのでは、せっかくの作業がむなしい。
相手の心に届き、状況が動くような文章を目指したいですね。
「人や社会と関わる」という視点が、書くためには必要だったのです。
文章に対する意識を変えていきましょう。
ということで。
そのために、自分の頭で考え、自分で問いと答えを見つけ出そう。
常にゴールを意識しよう。
関連記事


1947
コメントを残す