「自己肯定感が低ければ低いほど、攻撃される」という構造があります。
そして、攻撃してくる相手に、共依存してしまうのです。
でも。
あなたはそんなに、人からナメられるような存在ではない。
そんな存在に、甘んじていてもいけない。
もっと尊重され、もっと幸せになっていい人です。
もっともっと強気でいきましょう。
自己肯定感を上げて、何ごともスルーするのです。
攻撃とは、実は、嫉妬。
嫉妬攻撃をかわすスルースキルを身につければ、なくなります。
Contents
嫉妬されるのは、見下されている証拠
嫉妬は常に、「上から目線」
- 「自分よりも下」の立場の人が、
- 自分に得られないものを得ているとき
嫉妬は、自分よりも「下」だと思っている人に抱くもの。
なぜなら。
自分よりも「上」の人には、嫉妬したくても、できないから。
「上」の人には、2つに1つです。
- 純粋に尊敬する
- 雲の上の人として仰ぐ
ということは。
真実は逆です。
「デキる人」が、「デキない人」に嫉妬する
こういう人ほど、実は嫉妬している
- エリートコースを順調に歩んでいる人
- 誰もが認める美男美女
- いわゆる「成功者」と見なされている人
こんなにスゴい人が、誰にどう嫉妬するのだろう? と思いますよね。
意外と、嫉妬に苦しむ人は多いのです。
なぜでしょう?
「私が得られないものを得ていてズルい」と思うから
デキる人が得ていなくて、デキない人が得ているものとは?
- 泣いて、同情・あわれみを受けること
- 弱さをアピールすること
- 周囲から助けてもらうこと
わかりやすい例では、親が子どもに嫉妬するとき
自分は、助けてほしくても我慢しているのに。
子どもは無邪気に助けを求めて、みんなから守られる。
弱い姿を見せても、「かわいい」と言われてチヤホヤされている。
自分が得られないものを、相手は得ていると思うとき。
どうしようもなく「嫉妬」が発動してしまうのです。
その他の例では。
- 上司が、部下に嫉妬する
- 先輩が、後輩に嫉妬する
- 親友に、嫉妬する(実は見下してる)
すべては、上から目線です。
「弱い者を淘汰(とうた)する」のが、本能
- 「弱い者は淘汰する」という本能
- なくすことは、できない
- 愛しているかどうかも、関係ない
- むしろ、「相手のため」と思っている
- だから、愛している人にこそ嫉妬する
- 「善意」という正義をふりかざす
わかりやすい例では、芸能人へのバッシング
- 今までは憧れの存在であって、嫉妬の対象ではなかった
- 人間らしい弱さ・醜さが見えた途端、自分より「下」の人になる
- 「嫉妬」が発動する
- 正義をふりかざして、攻撃する
「弱さ」が見えた瞬間、「憧れ」から「嫉妬」に変わります。
急に、自分よりも「下」の人だと認識してしまうからですね。
理性は、善意でやっていると判断する
たいていは本気で、次のように思っています。
- 言ってあげなきゃ
- 注意してあげなきゃ
- 正してあげなきゃ
- 自分は正義なんだ
- 自分は善意なんだ
これは、善意ではなく、「思い込み」であり、「勘違い」。
本人は、気づいてません。
だから、親子関係でも、親友関係でも、嫉妬はするものなんです。
ただし、「間違った愛情」です。
「嫉妬するデキる人」とは、「向上心のない人」
- 本当にデキる人
- 自分が「上」へ行こうと努力する
- 本当の意味での、向上心
- 自信がないからこそ、自分が向上し続ける
- 他人には、「愛」を向ける
- 自分の善意を信じてない
- 常に自分を疑う
- 自分が「上」へ行こうと努力する
- 嫉妬するデキる人
- 相手を「下」にすることで、「上」を保とうとする
- 努力から逃げて、向上心を放棄する
- 自信がないからこそ、他人を攻撃し続ける
- 他人には、「間違った正義」をふりかざす
- 自分の善意を信じている
- 常に自分を正当化する
- 相手を「下」にすることで、「上」を保とうとする
やはり。
「嫉妬するデキる人」は、本当の意味での「デキる人」ではない。
だから。
「この人が言ってるから正しいはず」とは、思わなくていい。
「向上心のない人だな」と見きわめていいのです。
嫉妬は、スルーしないと終わらない
- 嫉妬する側は、正義心をふりかざす
- 「お前のために言ってるんだ!」
- 嫉妬される側は、「いい人」になりたくて、真に受ける
- 「私のために言ってくれてるんだ」
両者とも、本心で思っていますが。
この2人が理解し合うことは、永遠にありません。
嫉妬は、スルーしないと終わらないのです。
- 「自分よりも下」の立場の人が、
- 「自分には得られないもの」を得ているとき、
- 「あいつだけ、ズルい」と思う
向上心のない、見せかけの「デキる人」が、人を見下す。
だから、嫉妬はスルーしないと終わらない。
嫉妬をやめさせる方法
ナメられてはいけない
嫉妬は、あくまでも「見下す」感情。
今まで「上」だと思っていた人が、何かのきっかけで「下」に下がると、嫉妬攻撃に変わります。
ということは。
わざわざ自分を下げないこと
- やみくもに弱さを見せない
- 「下」の立場に成り下がらない
下に出れば出るほどイジメられるという構図、思い当たりませんか。
だから。
「ナメられちゃいけない」というのは、真実なんです。
嫉妬から解放されるために、「弱者」をやめる
嫉妬は、「下」の人に発動するもの。
だから、自分が「上」でいればいい。
もちろん、「上から目線」という意味の「上」ではありません。
「自己肯定感」を「上」げることです。
かわいらしく弱みを見せるのはいいのです。
でも、「自己肯定感」を「下」げては、いけない。
自己肯定感を下げると、攻撃される
- 上から目線で見られる
- 余計なアドバイスをされる
- 「人の不幸は蜜の味」で、もてあそばれる
- バッシング、攻撃される
すべて、自分が、自分の肯定感を「下」にしてしまったことが原因。
相手の「嫉妬」を発動させ、「攻撃」されてしまいます。
「弱者でいること」をやめる
弱者をやめる方法
- 「はあ?」と「露骨にイヤな顔」をする
- 毅然と「無視」する
- 相手の気持ちは考えない
- 「あなたのためを思って」は、ウソだから
- 「善意は受け取っていますよ」というフリをする
- 「フリ」だけでいい
- 相手の気持ちに意味はないから
- 自分中心に生きる
- 「ここが悪い」と言われても、真に受けない
- ただの嫉妬だから
- 自分を傷つけなくていい
「あなたは間違っている」と誰かに言わせてはならない
「史上最強の人生戦略」にはこうあります。
これからの人生、あなたがどんな感情を抱いているとか、あなたのものの見方は間違っているといったことを、他の誰かに言わせてはいけない。他の人には、我慢するか黙るかしてもらわなければならない。
「他の誰かに言わせてはいけない」とは、つまり。
「自分が弱者になってはいけない」という意味です。
相手には黙ってもらう必要がある。
相手は、「自信がない人」。
だから他人を、「下」にしようとする。
ということは。
「下」だと思わせなければ嫉妬されない。
どんなときも、強気に出るのです。
理想の人と、付き合う
「かわいそう」と感じる相手からは、離れる
付き合うかどうかは、「自分が、相手に対してどう感じるか」で判断してください。
こんなふうに感じる相手とは、付き合わない
- 「怒り」を感じる相手
- 自分が「上から目線」になっている
- 相手を見下している証拠
- 対等ではないから、うまくいかない
- 「面倒くさい」と感じる相手
- 自分が酔っ払っているような状態
- シラフに戻るまで、無視する
見きわめは。
「かわいそう」と思ったらアウト
- 「かわいそう」と思った瞬間に、アウト!
- 即効で、スルー
- 「ダメ人間」と感じたら、自分の直観を信じる
- 「ダメと思ったらかわいそう」は、不要
- 「ダメと思うのが申し訳ない」は、不要
- 「何とかしてあげなきゃ」は、何ともできない
- 自分が不幸をスルーしてあげれば、幸せになる
- 何とかしないほうが、うまくいく
自分が「上から目線」になる相手とは、うまくいかない
怒りが出た場合は、心の中で「このダメな人を守ってあげなければ」と上から目線で見ていて「対等」ではありません。
対等じゃない相手には、感情が引っ張られるだけで、コミュニケーションはうまくいかないのです。
ムダな努力は、やめましょう。
- 相手に対して「怒り」と「面倒くささ」が出てくる
- 「ダメ人間」「かわいそう」「何とかしてあげなきゃ」と感じる
その瞬間に、もうアウト!
その相手と付き合うのは、やめましょう。
「こんな人になってみたい」と感じる人と、付き合う
「かわいそう」と思ったらアウトですから、距離を置いて、自分が理想とする人と付き合うようにします。
- 「かわいそう」と思ったら、離れる
- 理想の人に近づく
- 理想の人と付き合う
「理想に近づく」のは、「不幸をスルーするため」だったんですね。
「あんな人になってみたい!」という人と付き合うことで、不幸はどんどんスルーできます。
「上」の人と付き合えば、自己肯定感は上がる
実は。
自己肯定感が低いから、「低い人としか付き合えない」のではない。
「低い人と付き合っているから」、自分の自己肯定感が下がっている。
わざわざ、「かわいそう」と思う人を選んでしまうことで、自分を下げているんです。
「ナメられちゃいけない」というのは、「わざわざ自己肯定感を下げてはいけない」という意味。
常に上げていきましょう。
自分のために。
好きな人である場合は、どうするの?
自分にキャパがあるなら、相手が変わるようなコミュニケーションをとってみましょう。
相手を変える方法
相手の怒りは、たんなる「八つ当たり」
真摯に謝罪しても相手の怒りが収まらない場合は、怒っているポイントはそこではないと、視点を変えてみます。
「八つ当たり」をされているだけ。
だから、真に受けないこと。
「本当は何に怒っているんだろう?」と、視点を変えてみることです。
嫉妬する側は、本当の気持ちに気づいていない
自分の気持ちをわかっている、と思い込んでいながらも本当はわかっていなくて、それを聞き出してくれたら「この人は本当に信頼できる人」に変わります。
相手の正義感は、思い込みであり、勘違い。
だけど、思い込みであることには、本人も気づいてないんですよね。
だから。
表面的な怒りをスルーして、その奥を見る
表面的な怒りをスルーして、その奥の本質的な怒りに到達した時に、お客様の大切な信頼感を得ることができたという、面白い現象が起きるんです。
「風の谷のナウシカ」で、ナウシカが、クシャナの王女に言うセリフが、わかりやすいです。
「あなたは、何を怖がっているの?」と。
自分を攻撃してくる人に、そんなふうに言えたら痛快ですね。
本心を引き出してあげると、解決する
スルーするコツは簡単です。誰も自分の気持ちすらわかっていないんです。だから、それを引き出してあげればいいだけなんです。
スルーできないとは、自分自身も、「本質を見る力が弱い」こと。
だから、「本質を見る力」を鍛えねばなりません。
相手の本心を引き出してあげることです。
話の要点がない人には、「ハッキリ言っていいですよ」と言う
会話の内容がない人がいたら、「なにが言いたいのかはっきり言っていいですよ」と相手から本音をひっぱり出して発作の原因となっているストレスを溜めさせない、というのが近年のスルーする方法の一つになります。
こういう人は、ストレスがある人
- 何を言っているのか、わからない
- ダラダラと話していて、要点がつかめない
そんなときは、「ハッキリ言っていいですよ」と言ってみましょう。
「話の要点がない」ということは、頭が子供状態になっていて、不安で自分の思っていることをはっきり言えないんだな、と相手を深く理解して、それをちゃんと聞きだしてあげよう、というやり方です。
結論:スルーとは、「表面」をスルーすること
まとめると。
- 自分が「弱者でいること」をやめる
- 自己肯定感を、常に「上」に向ける
- 「表面的なもの」をスルーし、「本質」を見る力を磨く
弱者をやめるために。
- 「はあ?」と「露骨にイヤな顔」をする
- 毅然と「無視」する
- 相手の気持ちは考えない
- 「あなたのためを思って」は、ウソだから
- 「善意は受け取っていますよ」というフリをする
- 「フリ」だけでいい
- 相手の気持ちに意味はないから
- 自分中心に生きる
- 「ここが悪い」と言われても、真に受けない
- ただの嫉妬だから
- 自分を傷つけなくていい
つまり。
スルーできない人とは、表面に振り回され、本質を考えられない人なんです。
自分が弱者をやめれば、嫉妬は消えます。
本質が見えれば、むしろ仲を深めることもできます。
ただし、面倒な場合は、付き合わないのが得策。
どうしてもスルーできないのであれば、「障害」かもしれません。
自己敗北性パーソナリティ障害
幸せを拒否し、不幸を選ぶクセがある
- 他の選択があるのに、失望、失敗、冷遇を味わう人物や状況を選ぶ
- 他者からの助けを拒否し、効果がないと判断する
- いいことが起きたとき、ウツや罪悪感を抱く
- 相手をからかい、それに対して言い返された後、傷ついたりする
- 楽しみの機会を拒絶、または楽しんでいることを認めない
- 能力があるのに、自分の目標を達成するための課題をこなさない
- いつも自分によくしてくれる人に興味がない、または拒絶する
- 過度の自己犠牲に没頭する
この場合の特徴は、「誰かの優しさ」に拒否反応を起こすことです。
自覚していれば、だんだんとスルーできる
- 誰かに優しくされると、人格が変わる
- 「優しさ」が引き金だと自覚する
「優しさ」に拒否反応を起こしているだけ。
「症状」が出たなと思ったら、薬を飲むようなもの。
ちょっと自覚して、スルーしてみることを試みてみましょう。
あまりにひどい場合は、専門家の力を頼ることをオススメします。
まとめ
嫉妬とは、常に「上から目線」
- 「自分よりも下」の立場の人が、
- 「自分には得られないもの」を得ているとき、
- 「あいつだけ、ズルい」と思う
嫉妬している本人は、善意だと思い込んでいる
- 「弱い者は淘汰する」という本能
- なくすことは、できない
- 愛しているかどうかも、関係ない
- むしろ、「相手のため」と思っている
- だから、愛している人にこそ嫉妬する
- 「善意」という正義をふりかざす
- 「言ってあげなきゃ」「正してあげなきゃ」
嫉妬するデキる人は、向上心のない人
- 本当にデキる人
- 自分が「上」へいこうと努力する
- 本当の意味での、向上心
- 自信がないからこそ、自分が向上し続ける
- 他人には、「愛」を向ける
- 自分の善意を信じてない
- 常に自分を疑う
- 自分が「上」へいこうと努力する
- 嫉妬するデキる人
- 相手を「下」にすることで、「上」を保とうとする
- 努力から逃げて、向上心を放棄する
- 自信がないからこそ、他人を攻撃し続ける
- 他人には、「間違った正義」をふりかざす
- 自分の善意を信じている
- 常に自分を正当化する
- 相手を「下」にすることで、「上」を保とうとする
嫉妬する人・される人は、共依存になる。
- 嫉妬する側は、正義心をふりかざす
- 「お前のために言ってるんだ!」
- 嫉妬される側は、「いい人」になりたくて、真に受ける
- 「私のために言ってくれてるんだ」
だからこそ、自分が弱者をやめて、嫉妬をスルーしないと終わらない。
ナメられてはいけない!
- 「はあ?」と「露骨にイヤな顔」をする
- 毅然と「無視」する
- 相手の気持ちは考えない
- 「あなたのためを思って」は、ウソだから
- 「善意は受け取っていますよ」というフリをする
- 「フリ」だけでいい
- 相手の気持ちに意味はないから
- 自分中心に生きる
- 「ここが悪い」と言われても、真に受けない
- ただの嫉妬だから
- 自分を傷つけなくていい
他人には、我慢するか黙るか、してもらう。
それくらいの強気で、いこう。
こんなふうに感じる相手とは、そもそも付き合わない。
- 「怒り」を感じる相手
- 相手を見下している証拠
- 自分が「上から目線」になっている
- 対等ではないから、うまくいかない
- 「面倒くさい」と感じる相手
- 自分が、酔っ払っている状態
- シラフに戻るまで、無視する
見きわめは、「かわいそう」と思ったらアウト。
- 「かわいそう」と思った瞬間に、アウト!
- 即効で、スルー
- 「ダメ人間」と感じたら、自分の直観を信じる
- 「ダメと思ったらかわいそう」は、不要
- 「ダメと思うのが申し訳ない」は、不要
- 「何とかしてあげなきゃ」は、何ともできない
- 自分が不幸をスルーしてあげれば、幸せになる
- 何とかしないほうが、うまくいく
「表面の姿」に本質はないから。
「表面的な怒り」をスルーし、本質を見抜くこと。
「あなたは、何を怖がっているの?」と聞いてあげる。
相手の本心を引き出せれば、関係は改善される。
- 自分が「弱者でいること」をやめる
- 自己肯定感を、常に「上」に向ける
- 「表面的なもの」をスルーし、「本質」を見る力を磨く
「嫉妬」と「上から目線」の関係は、なかなか奥深いですね。
そして、嫉妬する人は、「表面的な、上下」を気にしているんです。
たとえ嫉妬をやめられたとしても、「表面的な生き方」は続いていくでしょう。
だから、なるべく、「奥へ奥へ」さぐっていくこと。
本質を見る習慣をつけるのです。
そして、弱者をやめましょう。
あなたはそんなに、ナメられる存在ではない。
自己肯定を上げていくのです。
嫉妬から解放されて、自由になります。
これはもちろん、自分が嫉妬する側になったときも、心に刻まねばならないですね。
相手を見下しているのか、と。
ということで。
- 相手に「怒り」を感じていないだろうか?
- 自分を「下」に下げているのではないか?
- 「はぁ?」と、露骨にイヤな顔ができるか?
- もっと、いい人と付き合うようにしてみは、どうか?
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