「社会(国)」って何?【哲学】目に見えないものに向かって文句を言っているのではないか

社会

「社会」は目に見えない。

目に見えないものを、あれこれ議論したり、批判したり。

どういうことなんだろうか。

 

どんな社会にしたいかって、誰が決めてるのだろう?

どうやって決めてるのだろう?

 

目には見えないけれど、私たちが生きる「社会」。

「社会」というものについて、考えてみよう。

 

自分の「内」で生まれるものが、現実の「外」の存在を決定する。

「社会」は、あなたの「内」で、生まれているんですよ。

人間の「概念」が、「現実」を作っている

「概念」とは、「思い込み」である

概念とは

「思い」「感じ」「考え」などから生じる、特徴や意味のこと。

目に見えないもの

 

概念とは、目には見えないもの。

目に見えないのであれば、「思い込み」にすぎないということだ。

その、目に見えない「思い込み」が、「現実」を作っている。

 

どういうことか?

「外」は、「内」で生まれたものでしかない

たとえば、道ばたにいる子猫を見たとして。

 

「かわいい」と思えば、「かわいい子猫」が存在する。

「気持ち悪い」と思えば、「気持ち悪い子猫」が存在する。

「かわいそう」と思えば、「かわいそうな子猫」が存在する。

 

実際にどうであるかは、わからないし、関係ない。

自分の「内」で生まれたものが、「外」なんだ。

「内」で生まれるものを、「観念」と呼ぶ

「内」で生まれるものを、「観念」と呼ぶ。

「外」は、「内」でしか、生まれない。

「内」がなければ、「外」もないんだ。

 

つまり。

 

「外」の世界は、「自分の観念」が作り出している!

 

では、外にある「社会」は、どういう存在なのだろう?

「社会」って、何?

「社会」も、人間の「観念」でしかない

「社会」という物質が、あるわけではない。

「社会」も結局は、人間の「観念」でしかないんだ。


観念として、自分の「内」に存在するもの

 

「社会」は、私たちの「観念」の中で存在していて、「観念」が「現実」を作っている。

この世は、すべて「幻想」?

実際は「ない」のに、「ある」と思い込まれたものは、「ある」ことになる

つきつめると、「すべては幻想」ってことだ。

外に存在しているのではなく、自分が作り出した「幻想」。

 

だから昔の哲学者たちは、「この世は『夢』なのではないか?」という議論を、真剣に繰り返した。

「観念」が変わらなければ、「現実」は変わらない

「幻想かどうか」ってことは、どんなに議論をしたところで、価値は生まないだろう。

それよりも大事なことは。

「観念」が変わらなければ、「現実」は変わらない、という事実。

 

「現実」は「観念」でしかないなら、自分の「観念」を変えれば、すべて変わるってことだよな

 

「社会が悪い」とは、「何が」悪いのか?

「内」で生まれたものが、「外」を作っている。

現実は、「観念」でしかない。

 

だとすれば……

「社会が悪い」と言う場合、いったい、何を責めてるのだろう?

実は、自分の「内」を責めている?

「内」も「外」もないのであれば。

「外」を責めれば、当然、「内」を責めることにもなる。

「社会が悪い」と批判するとき、自分の「内」を責めるのと等しいという矛盾に、気づけるだろうか?

「社会」を変えたいなら、「観念」を変えるしかない

社会を変えたいなら、自分が変わるしかない。

自分の観念を変えるしかない。

 

「社会の動き」とは、「観念の動き」なのだ。

ただし、問題点がひとつ。

共通の概念は、多数決で決まる

「社会」のように、皆で共通して持っている概念は、「多数決」で決まるんだ。

 

たとえば。

「りんご」を指して、「これを今日から『みかん』と呼ぼう」と言ったところで、誰も聞いてくれないだろう。

大多数の人が賛成した観念が、その時代の観念を決める。

 

「もっとも多くの人の思い込む観念」で、社会は作られるんだ。

たくさんの人が、観念を変える必要がある

共通の観念は、多数決で決まるもの。

だから、たくさんの人が、観念を変える必要がある。

マスメディアや権力者は、そこをコントロールするんだ。

どういう観念を持って生きていきたい?

「どういう社会にしたいか?」というテーマは、自分が、「どういう観念を持って生きていきたいか?」ということだ。

だから、皆で議論をするのは、やっぱり大事なこと。

議論をする中で、どの観念にしようかと決めるしかない。

 

「思い込み」なしでは、生きていけない

「思い込みを排除しよう」というのも幻想にすぎない

今の現実が、「観念」で作られているということは……

人は、「思い込み」なしでは生きていけないということなんだ。

 

よく、「それは思い込みだよ」とか。

「思い込みはよくない」とか、言うけれども。

そもそもすべてが、「思い込み」でしかない。

 

だから、「思い込みをなくそう」というのも、「思い込み」であり「幻想」である。

どの「思い込み」を選びたい?

「思い込み」でしか生きていけないのだとしたら。

 

私たちにできることは……

「どの思い込みを選びたいか?」

 

「思い込み」を、主体的に選ぶことでしかない。

もちろん、なるべくなら正しいことのほうがいいに決まっている。

だから、誤った情報は避け、正しいことを追求する姿勢が必要。

 

「思い込み」を徹底的に排除することは、きっと不可能なんだよね。

まとめ:自分の「内」で生まれるものが、現実の「外」の存在を決定する

世の中が激変している今。

私たち人間は、どんな観念を作ろうとしているのか?

ちゃんと自分で見聞きし、自分で考えていかないと、他人の思い込みで生きることになる。

この世はすべて、人間の「思い込み」で、できているから。

どの「思い込み」を選びたいか?ってことなんだ。

 

「『外』にあるものは自分の幸せとは関係ない」とは、言っていられないんだよね。

 

ということで。

 

memo
「社会」は、たしかに目に見えないもの。

人間の「観念」が生み出したもの。

しかし、どの「観念」を選ぶかは、私たちが決めていくしかない。

だから、目に見えないものに向かって、議論を展開しているんだ。

 

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