思い込みをはずす【耳で聴かない音楽会】常識って何だろう?

耳で聴かない音楽会

音楽とは、耳で聴くもの――そう思っていませんか?

本当にそうでしょうか。

 

東京オペラシティで開催された「耳で聴かない音楽会」

本当に不思議な音楽会。

 

この音楽会では、次のような感覚になる。

  • 音楽は「耳で聴くもの」というのは思い込みだった
  • 音楽とは、「目で見るもの」でもある
  • 「耳をすます」のではなく「体をすます」こと
  • 自分の考えはすべて、思い込みかも?

「言語化」って、いったい何?

言語化って言葉が流行ってる。

たしかに言語化なんだけど。

言葉にしなければ、いけないんだけど。

 

ただし、「言葉がなくても伝わる」とも言う。

言葉にならないのに伝わることも、ときには、ある。

 

不思議な音楽会

「耳で聴かない音楽会」

 

音がなくても、伝わってきた。

むしろ涙を流してる人も、たくさん、いた。

言葉も音もなくても、納得してしまったんだ。

思い込みをはずそうってことだな、と。

 

「言語化」とは、つまり、他者に説明する力。

他者に納得してもらう力。

自分の考えていることが、伝わること。

 

「言語化」「論理的」

その言葉を使うのもいいけれど。

客観的に判断してみなければ。

 

自分の言葉は、どれだけ他者に伝わっているのか?

自分の言葉に、どれだけ納得してもらえているか?

 

「伝わっているかどうか?」ってことは。

「伝えたいことがあるかどうか?」ってことで。

「どんな思いをもっているのか?」ってことで。

 

何を言語化したいのだろう?

 

「後世」には、読み方が二通りある。

  • 「ごせ」:死んだ後の自分の世界 = 自分
  • 「こうせい」:自分の次の世代 = 他者

 

通常は、「ごせ」を願う。

賢人は、「こうせい」を願う。

 

今、いろんな情報がとびかっているけれど。

何を願い、何を伝えようとしているのか。

 

「そもそも」を、考えていきたい。

 

そもそも、伝えようとしているか?

そもそも、伝えたいことは、あるか?

 

思い込み

点字ブロックは黄色。でも雨の日には、水色に見えるかも

常識をくつがえしてみよう

2019.8.20記

音楽は、耳で聴くだけではなく、目で見るものでもある。

スタンダードな「カノン」の曲なのに、あちこちから、すすり泣きが聞こえてきました。

 

「△△だから、〇〇のはず」

「〇〇すべき」

 

そんな、あらゆる前提・常識を、くつがえせる気がしてきました。

 

考えてみれば、「音を楽しむ」のが音楽であって、「耳で聴くもの」とは書いてません。

なぜ、音楽=耳で聴く、という常識にとらわれてしまうのでしょう。

すべてのことが、間違った思い込みであるのかもしれません。

体の内側から、音楽があふれてくる気持ちになれました。

 

memo
じっくりと体をすましてみよう。

あらゆるところに、音楽はあふれている。

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