【喪失感】失う悲しみほど、つらいものはない

悲しみ

何かを失うって、とても悲しい。

 

若さを失う

時間を失う

お金を失う

大切な人を失う

 

でも、それ以上に打撃的なことは、次のものを失うとき。

 

情熱を失う

希望を失う

生きる気力を失う

 

時間やお金は、いくらでも失える。

でも情熱や希望を失ってしまっては、生きていけない。

 

どのような悲しみも、それに見合う喜びの種子を含んでいる。悲しみを災いとしてではなく、恩恵として受け止めよ。(「思考は現実化する」)

なぜ、「失う」と思っているのか?

「失う」からには、「持っていること」が必要。

今、持っているからこそ、失うのが怖い。

失ったら、悲しい。

ならば、所有感覚を失ったほうが、いいのでは?

持たないほうがいい

手の中に、大事に抱えないほうがいい。

持たないほうがいいんだ。

よどむから。

「持つ」感覚を、捨ててみる。

持っているのではない、流れているもの

水は流れる

水は、上から下へと流れる。

止まってしまったら、よどむ。

にごる。

汚臭も放つ。

 

すべては、流れている。

止まっているものは、何もない。

 

持っているのでも、失うのでもない。

流れているだけ。

空気も流れる

空気も、流れるもの。

風は、吹きつづけるもの。

すべては、同じ場所にとどまらない。

流れていいのだ。

流れたほうが、自然なのだ。

失ったのではなく、流れていったと受け止める

流れていったのだ。

その分、新しいものが、どんどん流れてくるから。

そうやって、すべてをサラ~ッと、流してあげよう。

「流れ」の中にいる自分

すべては、とつぜん、流れてくるものだし。

すべては、とつぜん、流れていくものだし。

自然の流れを受け止める。

流れに身を任せる。

だから、今あるものを、とっても大事にする。

それしか、できない。

悲しいときほど、自分が鍛えられる

悲しみを、「自分を鍛える手段」として歓迎する

他人の気持ちに同情できるようにならなければ、あるいは自分を鍛える手段として歓迎しなければ、悲しみは自分のためにはならないのだ。深い悲しみにあるときほど、無限の英知と密接になることができる。悲しいときの祈りは最も無限の英知の心を動かすので、明白な結果が表れることが多い。

(「思考は現実化する」)

 

悲しみを、自分のためにする。

そのためには、何ができるか?

 

  • 自分を鍛える手段として歓迎する
  • 人の気持ちに同情できるようになる

 

悲しみのあまり、自分をあわれんだままにしていては、いけない。

もちろん、しばらくの間は、どっぷりと悲しみに浸っていい。

だけど、自分を鍛える手段として、とらえなおさなくては、自分のためにならない。

耐えられないときは、人生の十字路に立っていると思え

十字路に立っている。

四方向のうち、一つだけが心の平和へと通じる道。

その道を、必死に探りあてるのだ。

自分の力で。

立ち上がり、前を向いて、道を選ばなければならない。

十字路に立たされた自分は、どちらへ進みたいか?

自分の悲しみ・痛みに寄り添うと、他者とつながることができる

本当に心を開くと、痛みへの反応が実際に変わる。僕は痛みから逃げる必要がなくなった。痛みに寄り添った。痛みに寄り添うことで、自分自身とつながり、本当の意味で他者とつながることができた。

(「スタンフォードの脳外科医が教わった 人生の扉を開く最強のマジック」)

 

悲しみ・痛みから、逃げてはいけない。

目をそらしては、いけない。

きちんと自分の悲しみ・痛みに寄り添わないと、他者へ寄り添うこともできなくなる。

だから、悲しみ・痛みに寄り添うとは、「心を開く」ことなのだ。

悲しみ・痛みの真ん中をいこう。

逃げなくても、いいんだ。

実は、悲しみのほうが幸せ?

1992年のウィンブルドン。

テニスのアンドレ・アガシ選手は、優勝インタビューでこう答えたという。

 

優勝した私は、ごくわずかな人しか知りえないことを知りました。

勝利の喜びは敗北の苦しみにはかなわない。

そして、幸せな気持ちは、悲しい気持ちほど長くは続かない。

似ているとさえ言えません。

 

つまり。

「幸福感」は、一瞬で消える。

むしろすぐに、次の苦しみがやってくる。

そう考えたら、「喪失感」「悲しみ」のほうが、幸せなのではないか?

どん底からは、上へ上がるしかないから。

上から下へ下がるほうが、ツラいのだろう。

まとめ

私自身、いろんなものを失ってきた。

学生時代は、ずっとイジメがあったため、楽しい青春時代を失った。

大切な人を、失った。

父親を、失った。

楽しみにしていたことも、すべて、失った。

 

深い悲しみに、おおわれていたけれど。

今でも思い出すと涙が出ることがあるけれども。

それでいいんだと受け止めよう、と。

悲しみは悲しみのまま、背負っていくこと。

だからこそ、痛みに寄り添って生きていける。

すべては流れているから。

また次の流れがくる。

 

ということで。

 

memo
すべては、流れ去っていくからね。

そしてまた、流れてもくるから。

「悲しみ」で自己を強く鍛えながら、今日も生きていこう。

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