ムダに他人をうらやんでないか?
背負っているものが違うのだ。
他人と比較して、落ち込んだり、嫉妬したり。
そして、必死に他人の真似をする。
同じことをしようとする。
「海綿を背負ったロバと塩を背負ったロバ」by イソップ物語
Contents
海綿を背負ったロバと塩を背負ったロバ
人間にムチ打たれ、苦しい思いをしながら歩く、二頭のロバ。
川を渡っていた途中、塩を背負ったロバが、川の深みにはまってしまった。
おぼれそうなほどの大ピンチ。
でも、そのおかげで、塩がすっかり溶けて身軽に。
それを見た、海綿を背負ったロバが、わざと川の深みへ。
しかし、背負っていたものは塩ではなく海綿だったため……
海綿は水を吸って重くなり、ロバは、さらに苦しくなった。
自分の背負っているものを理解しているか?
他人と同じことをしても、同じ結果は出ない
どれだけ、他人をうらやんでも。
どれだけ、他人にあこがれても。
他人と同じことをしたって、同じ結果が出るとは限りません。
他人の背負っているものと、自分の背負っているものとは違うから。
心が重たくなるなら、海綿を背負っているのでは?
頑張れば頑張るほど、心が重たくなっているならば、「海綿」を背負っているのかもしれません。
頑張っても意味がないのでは、ない
自分の背負っているものを、自覚できてないだけ。
自己分析を怠ると、そこがわからなくなりますね。
自己卑下は、ただの「怠け心」ともいえる
すぐに「自分なんて」と言う。
すぐに「努力は報われない」と言う。
でも本当は、自分の背負っているものがわかっていない、だけではないでしょうか?
他人の背負っているものを理解しているか?
逆に、人に、「もっと◯◯しなよ」って言いたくなったときも。
その人の背負っているものを、ちゃんと見ているかどうか。
考えなきゃいけませんね。
塩を背負ったロバが川にはまったのはピンチだった
意図的に川にはまったわけではない
もう一つ重要なこと。
塩を背負ったロバは、意図的にやったわけではないという部分です。
ピンチをチャンスに変えたのが、塩を背負ったロバ
「川の深みにはまる」というのは、状況的には、不運な出来事。
命にかかわる大ピンチ。
ピンチをチャンスに変えた話、ともいえますね。
海綿を背負ったロバは、ラクをしようとしただけ
その反対に、海綿を背負ったロバには、好転させてみせるという心意気がない。
ピンチをチャンスに変えた話を鵜呑みにして、ラクして得をしたいと思っただけです。
他人のやっていることを、そっくり真似たところで、うまくいくとは限りません。
うまくいっている人の真似をしようとはいうけれど。
やはり不純な動機では、うまくいかないのかもしれません。
また、理想像が違ったともいえますね。

人は皆、何かを背負って歩いている
自分の背負っているものを受け入れよう
「背負って歩いている」という童話の表現が、抜群すぎます。
人はみんな、何かを背負って歩いている。
軽くできるなら、したい。
でも、背負い続けながら、歩かねばならないこともありますよね。
どんなにイヤだと思っても、自分からは逃げられないからです。
「背負って歩く」覚悟で、体力をつけよう
「背負って歩く」という覚悟で体力をつけていくのが、いいのではないでしょうか。
世の中では、「心を軽く」とか、「身軽に生きる」ということもいわれますが。
逆に、重い荷物も背負えるようになってしまえば、いいのです。
まとめ~個人的な話
私は、昔からずっと、妹に嫉妬していました。
妹は、私が持ってないものを、すべて持っていて。
私ができないことを、サクッとやってのけて。
ずーっと、憧れてました。
ずーっと、うらやんでました。
でも不思議なことに最近、妹と私が、まったく同じようなことを経験していたことがわかりました。
それは、とある人間関係の悩みで。
妹が言ったこと。
今まで、なんとか、(ある人と)うまくやろうと思って笑顔で接してたけれど、もうやめた。
私は私のやりかたを崩せないし。
相手が大変なのもわかる。
ただ、私だって努力して築いてきたものがあるし。
もう私は、私でいく。
最近の私も、ちょうど同じようなことを考えていたので、ビックリ。
妹のことは、嫉妬しつつも、ずっと大好きで、ずっと尊敬しているのですが。
心から「共感」ができたのは、初めてでした。
そして、妹の言ったセリフは、私自身のことでもあると感じました。
妹に憧れる気持ちは、たぶん、ずっと消えないけれど。
自分が背負っているものを認めようと思いました。
私の背負っているものと、妹の背負っているものとは違う。
自分の嫉妬心と、少しだけ和解しました。
だから、「背負っているものが違う」という考え方は、とても大事。
言われたとおりにやったけど、どうにもならなかったと不満を言いたくなったときは、海綿を背負ったロバを思い出そう。
ただし!
本当の理想像ならば、徹底して真似してみることですよね。


ということで。
人をうらやんでもいいけれど、「人と同じ」であることは不可能。
そもそも、背負っているものが違うのだ。
相手は「塩」かもしれないけれど、自分は「海綿」かもしれない。