人生に因果関係はない【過去はどうでもいい】常に、今という「独立した点」を踊るだけ|アドラー心理学

トラウマ

昨日の自分と、今日の自分は違う人。

そこには、なんの因果関係もない。

 

  • 私が、あんなことを言ってしまったから……
  • 私が、あんな行動をしていなければ……
  • うちの親が、こうだから……

 

過去を思い出してはクヨクヨしてしまう。

 

でも。

 

そんな気持ちは、すべて嘘!

 

……というのが、アドラーの主張。

 

「嘘」というとキツく聞こえるので、「勘違い」だと思っておくほうがいいですね。

私たちはみんな、勘違いしながら生きているのです。

 

トラウマなんて、本当はありません。

都合がいいから使っているだけ。

 

でも、ほんとにツラいんだけど……?

 

さて、どう生きていけばいいのでしょうか。

いまこの瞬間をダンスするように生きる

人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。そしてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。

(中略)

ダンスにおいては、踊ることそれ自体が目的であって、ダンスによってどこかに到達しようとは誰も思わないでしょう。無論、踊った結果としてどこかに到達することはあります。踊っているのですから、その場にとどまることはありません。しかし、目的地は存在しないのです。

(嫌われる勇気)

 

人生は、点でしかない

線にはならない

よく、「点と点」がつながって「線」になるといいますが。

アドラーは、線にはならないと主張します。

あくまでも、点は、点のまま

一瞬一瞬、その刹那を踊っているという感覚。

 

だから、今この瞬間を踊るだけでいい、というのです。

 

点と点は、つながらない

因果はない

「点と点とが線になる」とは、出来事と出来事、過去と現在に因果関係があるということです。

 

たとえば。

  • 私があんなことを言ったから、こうなった
  • この家庭で育ったから、こうなった
  • 私さえ我慢すれば、みんなは幸せになる
  • 今だけ我慢すれば、未来は幸せになれるはず

 

けれども、アドラーの考えでは、2つの出来事には、なんの因果関係も認めない。

だから、トラウマを否定するのです。

 

あくまでも、ひとつひとつは、独立した「点」にすぎない。

 

「点」を踊りきることが、今この瞬間を生きること

 

なんだか、寂しくないか?

 

実は、とっても希望ある生き方なのです。

 

過去も今も、独立した点でしかない

ちょっと長くなってしまいますが、ここの部分が一番わかりやすいと思うので、引用します。

 

フロイト的な原因論に立っていると、人生を因果律に基づく大きな物語としてとらえてしまいます。いつどこで生まれて、どんな幼少時代を過ごし、どんな学校を出て、どんな会社に入ったか。だからいまのわたしがいて、これからのわたしがいるのだと。

たしかに、人生を物語に見立てることはおもしろい作業でしょう。ところが、物語の先には「ぼんやりとしたこれから」が見えてしまいます。しかも、その物語に沿った生を送ろうとするのです。わたしの人生はこうだから、そのとおりに生きる以外にない、悪いのはわたしではなく、過去であり環境なのだと。ここで持ち出される過去は、まさしく免罪符であり、人生の嘘に他なりません。

しかし、人生とは点の連続であり、連続する刹那である。そのことが理解できれば、もはや物語は必要なくなるでしょう

(嫌われる勇気)

 

「わたし」がどんな人間であるのかを考える場合、すべてを「線」でつながっている物語のように見てしまいます。

そのほうが、理解しやすいし、行動しやすいから。

 

自分は、どんな人間?

  • いつ・どこで生まれた
  • だから、こんな幼少時代を過ごした
  • だから、こんな学校を卒業した
  • だから、こんな会社で働いている
  • こういう家庭・環境・経緯があって、今こうなっている
  • だから今後も、こういう人生になりそう

 

これが、「線で考える」生き方。

 

一本の敷かれたレールがあって、そのうえを歩かされているような感覚ですね。

「人生は線である」とは、一本のレールの上を歩いているという生き方です。

 

改めて考えてみると、とても窮屈な感じがするな……

 

だからこそ、「点でしかない」というのは、とても楽しいことなのです。

 

過去にどんなことがあっても、今とは関係ない

過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。「いま、ここ」を真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない。

(中略)

過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスするように生きるのです。誰かと競争する必要もなく、目的地もいりません。踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう。

(嫌われる勇気)

 

「線ではない」とは、なんの関係もないということ。

 

「自分がこうだから、こうなんだ」ということでもなければ。

「あの過去のせいで、今がこうだ」ということでもない。

 

因果関係なんて、何もないのです。

だから、今だけを考えて、今を踊ればいい。

 

関係ないって思ったほうが、今の自分を受け入れやすくなる。

 

今の自分にできることは、ただただ、これ。

 

今を受け入れる。

自分を受け入れる。

自分とダンスする。

今を必死に、でも楽しく生きる。

 

だから、刹那的。

トラウマも、他人からの理解も、どうでもいいことなのです。

 

POINT

人生を因果関係にひもづけるのは、やめてみよう。

今この瞬間にしか、ダンスは踊れない。

まとめ

睡眠は、一種の「死」。

人は、毎日生まれ変わってる。

 

昨日の自分と、今日の自分は違う人。

そして。

昨日のこの人と、今日のこの人も、違う人。

 

毎日会う人であっても、初めて出会う人だと思って。

常に新鮮な気持ちで、笑顔、笑顔。

 

だから、昨日の喧嘩は、もう、ない。

 

過去を引きずるのは、今は、過去の延長だと思っているからであって。

昨日までの自分は、死んじゃったんだから。

「生まれてよかった」って、毎朝、言い聞かせる。

 

すると、新しい発見。

この人って、意外とやさしい人だったんだな、と。

 

普通に笑って話せるようになる。

 

今日は昨日の延長だと思っている人が、死んで生まれ変われるわけがない。

今日は常に生まれ変わり。

 

「生まれてよかったよね」って気持ちで、目覚めてみよう。

今日、目を覚ませない人も、いるんだ。

 

父が亡くなったときは、もういちど目を開けてほしいと願っても、開けてくれなかった。

だから、目覚めて動き出せるのは、奇跡の出来事。

 

いつでもスッキリと、新しく始めよう。

 

それでも過去を振り返ってしまう気持ちは、あるけれど。

過去の執着を断ち切るには、責めたてるよりも思いやりのほうが効果的。

自分にやさしくしながら、今日からまた、新しい出発を。

 

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