人生あきらめが肝心なの?【自力と他力・主観と客観】の見きわめ方とは

自力と他力

「最悪の事態を受け入れる」

「負けるが勝ち」

「あきらめが肝心」

 

それは、わかるけれど。

 

「夢をあきらめない」

「負けない心でいこう」

「執念をもって追い続ける」

 

それも大事だという。

 

あきらめたほうがいいのか、努力し続けるのか。

どう判断したらいいのでしょう。

 

「自力と他力」「主観と客観」の関係から、考えてみます。

この世は「主観」でしかない

客観での判断は、不可能である

原理的に考えて、「客観で判断」するとは、努力はできても完全には不可能。

私たちはすべて、主観で判断しています。

主観で生きるしかありません。

 

たとえば。

  • 寒がりの人には
    • ちょっと涼しくなっただけでも、寒く感じる
  • 暑がりの人には
    • ちょっと涼しいくらいでは、まだまだ暑い

 

寒いか、暑いかは、やはり「主観」でしかありません。

 

「客観的に考えて『寒い』と感じる温度だから『寒い』」とは、思わないですよね。

客観で判断することは、できないのです。

 

客観で生きていこうとすると、他人軸になる

よく「他人軸」になりすぎて苦しい、という話があります。

他人軸とは。

自分の主観を無視して、「なるべく客観で判断しよう」という姿勢ではないでしょうか。

 

  • 自分は寒いと思っている
  • でも客観的には「暑い」状態だから、暑いことにする

 

主観を無視して、客観に生きようとすると、無理が生じてきます。

だから苦しいのです。

 

でも、自己客観視が重要だというじゃないか。

 

客観的に見て、主観で幸せを感じる

自己客観視は、自己コントロールの能力

「すべて主観」とはいっても、その主観が間違っていることも、多々あるのです。

だから、なるべく客観的に見るようにして、自分をコントロールし、最後は、「自分で納得した主観を選ぶ」という感覚です。

 

客観的に見たからといって、幸せを感じるとは限りません。

あくまでも、幸せは「主観」なのです。

 

幸せは主観で決まる

アドラー心理学でも、すべては「主観でいい」と説いています。

人生の目的も、人生の意味も、トラウマさえも、主観で決めるもの。

「自分は、人の役に立っているかどうか」さえも、主観で決めていいのです。

 

  • 自分は、充実している
  • 自分は、幸せだ

 

感じる心は、やはり主観です。

 

人生、すべては主観?

 

「自力」と「他力」の融合

主観でありつつも、主観では決められないもの

たとえば。

寒がりの人も、「何度になったら、自分は寒いと感じよう」と、自分で決めているわけではないですよね。

主観でありつつも、主観で決めているわけではないのです。

 

どうしても、自分では決められない領域がある。

自分の努力とは関係のないものが、あるのです。

 

だから。

最終的には「あきらめるしかない」

「なすすべがない」ということが、あります。

それが、「最悪の事態」。

そうなったらもう、あきらめるしかありません。

受け入れることです。

 

太古の昔から、人は、そうやって生きてきました。

だから、神に祈ろうとするのです。

 

「祈り」の本質は、「受け入れ」

祈りとは、「すがる」ことではありません。

「受け入れる」という行為が、「祈り」です。

 

受け入れます。

従います。

だから、お守りください。

 

そんな気持ちですね。

 

有名なのが、「ニーバーの祈り」

ニーバーの祈り

神よ、我に与えたまえ、

変えられないことを受け入れる心の平静と、

変えられることを変えていく勇気と、

それらを区別する叡智とを。

 

なお、仏教では、「自力」と「他力」の融合が説かれます。

 

自分で頑張る「自力」、受け入れて従う「他力」

どうしようもない状況を受け入れないと、それは「執着」になり、「苦しみ」になります。

どうしようもないことは、受け入れるしかない。

従うしかないのです。

 

自分の努力ではどうにもならない働きが、自然界にはあるもの。

そこに合わせていこうとすることが、「他力」。

 

「他力」を受け入れつつも、自分でできることは、自分で努力する。

 

自力と他力の融合が、幸せに生きるコツってこと?

 

呼吸も同じ

たとえば。

自分で「頑張って」「努力して」、呼吸をしているわけではないですよね。

自分が呼吸をしているんだけれども、自分の中の細胞たちがやってくれている感覚。

それが、「他力」です。

 

自分で呼吸しようと思ったら、それこそ「人工呼吸器」などを使わざるをえない。

それでは不自由でしょう。

 

「他力に頼る」とは、自由であり、幸せなのです。

 

大事なのは、「見きわめ」と「バランス」

  • どこまでが、自力か
  • どこからが、他力か

 

自分で見きわめるのが、自分の能力。

だから、ニーバーの祈りが生まれるのです。

 

ニーバーの祈り

神よ、我に与えたまえ、

変えられないことを受け入れる心の平静と、

変えられることを変えていく勇気と、

それらを区別する叡智とを。

 

心の不調は、「見きわめ力」が弱いときに起こる

自力と他力の見きわめ能力が弱くなっていると、どうしていいかわからずに、心が折れてしまうのです。

心が不調になったときは、見きわめ能力が弱いというサイン。

折れてしまう前に、他力に頼れなかったんですよね。

しっかりと見きわめる能力をつけることが、心の健康には必要です。

 

「できる・できない」「やりたい・やりたくない」を見きわめよう

  1. できるし、やりたい
  2. できないけど、やりたい
  3. できるけど、やりたくない
  4. できないし、やりたくない

 

見きわめたら、自力と他力のバランスの道をいく

それを仏教では、「中道」と呼びます。

 

  • 「中」とは
    • 中間という意味ではない
    • 2つのものから距離をおき、矛盾対立を超えること
  • 「道」とは
    • 実践・方法

 

ひとことで言うと、「矛盾を超えていく実践」です。

 

矛盾を超える実践

これは、なかなか難しいのです。

私たちは、どちらかに偏っているほうが、生きやすい。

「白か黒か」がハッキリしていたほうが、スッキリする。

 

だから、「あきらめるべきか」「追い求めるべきか」と二者択一で考えてしまう。

 

答えは、あきらめるときもあれば、追い求めるときもある。

自分で見きわめながら、進んでいくしかないんですね。

 

シーソーに乗っているようなもの

シーソーで、バランスをとろうとしたら、とても難しいですよね。

どちらか一方が、ちょっと前にズレたり、後ろにズレたりしながら、ちょうどいい場所をさぐる。

バランスをとったあとも、力を入れ続ける。

 

油断すると、すぐにどちらかに傾いてしまいます。

 

つまり。

自分の「努力」と「工夫」が必要なのです。

 

「自力」と「他力」の融合とは、実は難しいもの。

だから、「祈り」とは、かなり困難な実践なのです。

一般的にイメージされているような、「弱い人がすがっている」とか、「洗脳されている」というものではありません。

 

誰もが、自分で努力と工夫をしないと、幸せには生きていけません。

 

大切にすべきは「自分」なのか、「他人」なのか、という問題も同じことが言えます。

自分を大切にするためには、自分を考えない

自分の人生では、「私」が「主語」

  • 私は、何がやりたいのか?
  • 私はなぜ、やるのか?
  • 私にとっての幸せは何か?

 

「私」を、たくさん考えたほうがいい。

 

ただし。

主語は「私」なんだけれども、重視すべきは「目的語」のほうなのです。

 

重視すべきは、「目的語」

「何」「理由」「幸せ」に焦点を当てる

  • 私のやりたいことは、「何」?
  • 私が、これをやるのは、「なぜ」?
  • 私にとっての「幸せ」とは?

 

「私」のことを考えるんだけれども、「何」「理由」「幸せ」に焦点をあてるのです。

 

いまいち、意味がわからない。

 

「私」に焦点を当てると、どうなるか

  • 「私」なんて……
  • 「私」がやっても……
  • 「私」が言っても……

 

この場合は、「私」がメイン。

そして、その「私」は、根拠のない「私」。

 

「私」に焦点を当てすぎると、妄想に走りやすいのです。

そして、「私」を気にしすぎると、行動できなくなります。

 

なぜなら、「私」を考えているようで、結局は、「他人がどう思うか」を考えているから。

 

  • 「私」なんて、「あの人」に比べたら……
  • 「私」がやっても、「誰も」喜んでくれない
  • 「私」が言っても、「誰も」聞いてくれない

 

「私」ではない、「誰か」を考え続けています。

 

他人がどう思うかは、「私」には関係「無」ない

「私」には関係「無」い、それが「無私」の心。

 

「私」が、「無い」のではなく。

「私」には、関係「無い」のです。

 

大切なのは、「私がどう」とか、「他人がどう思うか」ではなく。

「目的」だから。

 

自分が大切なんだけれども、自分よりも大切な目的がある

その目的のために命がけになることで、結局は自分が幸せになる。

それこそ、「自力」と「他力」の融合です。

 

「自分のため」なんだけど、「自分よりも大きい何か」に突き動かされる感覚。

 

「無私の心」にならないと、行動が続かないんだ

まとめ

「あきらめが肝心」も真実。

「負けない心が大事」なのも真実。

 

そこを見きわめるのが、自分の「努力」と「工夫」です。

 

そして、主観でありつつも、主観では決められない、何か大きな力がある。

自分にはどうしようもない部分がある。

 

だから人間は、祈り続けてきたのです。

 

私たちは、「何か大いなるもの」に突き動かされている存在だから。

そして、「私」を超えて、「大きな目的」に心を合わせたとき、もっとも自分の力が発揮される。

 

抽象的でわかりづらい話かもしれませんが。

とにかく。

「引きぎわ」と「頑張り時」は、自分で見きわめようってことです。

それが、自分の「努力」と「工夫」。

 

ということで。

 

今日の問いかけ
  • 何を、あきらめるべきなのか?
  • 何を、頑張るべきなのか?
  • 私がやりたいことは、「何」か?
  • 自力と他力の融合の道を進めてるだろうか?

 

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