言葉を変えると、人生が変わる。
これは、やはり真実。
では、言葉を変えるって、どういうことだろう?
そもそも、言葉って何なのだろう?
私たちが普段、使っている言葉。
よくよく考えてみると、不思議なことがいっぱい。
「哲学」を学ぶと、どれだけ「言葉」に関して鈍感だったかに気づかされる。
私たちが、どれだけ言葉に影響を受けているか。
そして、言葉を変えるとはどういうことか、どうすれば人生が変わるのか、考えてみよう。
「美しい」って何?
「美しい」を想像することは、できるか?
次の言葉を聞いて、何を想像する?
- 美しい花
- 美しい女性
- 美しい景色
何を想像するかは人によって、違うだろう。
けれども、誰もが、何かしら想像できるはず。
では、次のものは、どう?
- 美しい
想像することは、できるだろうか?
きっと、できないはず。
私たちは、「美しい」を想像することは、できないんだ。
必ず、「美しい何か」でしか、考えられない。
なぜならば。
「美しい」には形がないから。
形がないのに、私たちは「美しい」を理解している。
よく考えたら、不思議なことじゃないか?
目に見えないけれど、ちゃんと理解できている
目に見えないものは理解できない?
人はたいてい、「目に見えないものは理解できない」と思っている。
神様やオバケなど、「目に見えないから信じない」という人もいる。
目に見えるモノしか信じたくない、という人も多いだろう。
大切なものは、目に見えない?
有名な星の王子さまのセリフ。
「大切なものは目に見えない」
このセリフ、どう感じていただろうか?
私自身としては、正直、サッパリわからなかった。
目に見えないものって何?
結局、大切なものって何なの? と。
では、なぜ「美しい」は理解できるのだろう?
「美しい」は、目に見えないはずなのに。
私たちは、「美しい」を理解している。
やっぱり、不思議なことじゃないか?
「大切なものは目に見えない」ってことを、実は、深く理解しているのではないだろうか。
本当に美しいかどうかを知らないのに、美しいという意味はわかっている
「美しい花」が、どんな花なのかは、人それぞれ違う。
自分が「美しい花」だと思うことと、
本当に「美しい花」かどうかは、別問題。
「美しい」を、正確に把握することは、できないのではないだろうか。
それでも。
「美しい」という概念は、やっぱり、わかっている。
正しいかどうかは、わからないのに、「美しい」という概念・意味は、わかってるんだ。
これは、とても重要なところだ。
概念がなければ、存在しない
仮に、私たちが「美しい」という概念を持っていないとしたら……?
「美しい世界」も「美しい人」も、どこにも存在しない。
だって、「美しい」と感じることは、ないのだから。
概念のないものは、存在はしない。
つまり。
すべてのことは、私たちの概念から生みだされている。
では、概念を、私たちはどう理解するのだろうか?
「概念」と「言葉」の関係
「言葉」がなければ、「概念」もない
私たちは、概念をどのように、とらえるだろう?
そうだ、「言葉」によって、「概念」をとらえる。
「言葉」がなければ、理解もできないだろう。
たとえば。
誰かに何かを説明してもらうとして。
「言葉」がなくて、理解することはできるだろうか?
難しいはずだ。
私たちは概念を、「言葉」でしか理解できない。
だから、「言葉」がなければ、そもそも概念は存在しないことになる。
「美しい」という「言葉」がなければ、やっぱり「美しい」は存在しないんだ。
「言葉」がなければ、「現実」もない
「現実」は、「概念」によって生み出されている。
「概念」は必ず、「言葉」で表現される。
ということは、次のことが言える。
- 概念がなければ、現実は存在しない
- 言葉がなければ、概念は存在しない
- 言葉がなければ、現実は存在しない
この現実は、「言葉(で表現される概念)」によって、できているんだ。
「言葉」にできないことは、「思う」ことも「考える」ことも、できないから。
言葉が、現実を作っている
「言葉」がなければ、現実は存在しない。
ということは……
「言葉が現実を作っている」としか、言えなくなる
言葉がなければ、そして、その言葉を使う自分が存在しなければ、現実も存在しない。
ということは、現実を変えたいなら、自分の使う「言葉」を、変えることである。
「言葉」ならば、コントロール可能だと思えるだろう。
では、どうすれば、「言葉」を変えることができるのだろうか?
目に見えないものを見る力は、もともと持っている
言葉の「意味」「概念」は、目には見えない。
それなのに、私たちは理解できている。
「目に見えないものを見る力」を、本来、持っているんだ。
だから、言葉を研ぎすましていけば、必ず変えることができる。
「思い込み」や「トラウマ」も、目に見えない
「思い込み」や「トラウマ」も、目に見えない「意味」「概念」である。
それを、「言葉」で表現することによって、そういうものだと思っている。
だからこそ……
「思い込み」も、「トラウマ」も、やっぱり変えることができるんだ。
言葉の力で。
これが、哲学の第一歩目。
「言葉」を磨け
「言葉」を大事にしよう。
「自分」を大事にしたいなら。
「言葉」が、現実を作っている。
「言葉」が、自分を作っている。
すべては、「言葉」にすぎない。
言葉が変われば、自分が変わり、世界が変わる!
[余談]
プラトンは、概念を「イデア」と名付け、
究極のイデアを知る人が、王になるべきだと説いた。
それが、プラトンの国家論である。
まとめ
「他人を変えるよりも自分を変えよう」とは、よく言うけれど。
「概念」から考えてみると、それしか方法がないことが、よくわかってくる。
自分の「言葉(=概念)」を変えることでしか、世界は変わらない。
「美しい」世界も、「つらい」現実も、自分が作っているもの。
私たちは、ちゃんと、目に見えないものを理解する力を備えているから!
概念を変えることも、絶対にできる。
意味を作っているのは、自分。
今の言葉を選んでいるのは、自分。
さて、どんな言葉で、どんな現実を作りたい?
ということで。
現実は、言葉(=概念)で作られている!
「どんな現実を作りたいか?」を考えて、「どんな言葉を使うか」を選ぼう。
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