人生の意味に悩んだら【意味を問うのは】やめてしまおう

人生の意味

絶望している人間に伝えねばならない。

もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている

(by ヴィクトール・フランクル)

 

フランクル

人生の意味

フレディ・マーキュリー

人生の意味

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人生の意味

山田ズーニー

人生の意味

人生の意味

 

作品があれば、作者の意図を追いたくなる

歌詞はリスナーのもの(by フレディ・マーキュリー)

映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観たあと、もどかしい気分になった。

歌詞の意味が、はっきりと描かれていなかったから。

ロックバンド・クイーンは、曲の意味を絶対に語らない。

 

自分の作品を分析しろだなんて言われたら、まともな詩人ならこうとしか言わない。

『君がそう思うなら、ディア、そうなんだろうね』 

僕の答えも同じだよ(フレディ・マーキュリー)

 

歌詞はリスナーのもの。

好きに解釈してほしい、と。

 

作家もよく言う。

解釈は、読者の自由だ、と。

どうしても、作者の意図を追いたくなる

それでもやはり、作者の意図を追いたくなる。

 

どういう意味なのかがわからないと、なぜか落ち着かない。

なぜなら、国語の授業では正解を求められたから。

作者は必ず、一つの意図(正解)を明確に持っているものだ、と。

意図を持った作者が、必ず存在している

どういう意味なのか?

どういう意図で、作ったのか?

知りたくなるもの。

 

つまり、意図を持った作者がいるからこそ、意味や答えを追いたくなるのだ。

 

はて、ここで疑問が生じる。

 

では、自分の人生の作者はいったい、誰なのか?

 

意図を持った作者が、自分以外にいると思っているのではないか?

人生に意味を求めてしまうと、矛盾に陥ることになる。

自分の人生の作者は、自分である

意志のある選択こそが、自分の人生を創る

山田ズーニーさんが言っていた。

 

選んだ先が、結果的に、すごくいいところだったとか、よくなかったとか、自分の選択が、あとあと、まちがっていたとか、いなかったとか、そんなことはどうでもいい。

意志のある選択こそが、自分の人生を創っていくんだ。

 

自分が人生に、意味を問われている

7つの習慣には書かれていた。

 

人生の意味は何であるかを問うべきではない。

むしろ、自分が人生に問われていると理解すべきである

 

問うものではなく、問われている。

つまり、問いに答えるのは、自分のほう。

 

それが結構、しんどい。

 

しんどいから、正解があると思いたいし、誰かに与えてほしいと望みたくなる。

しんどさは、自分が引き受けるしか、ないんだろう。

この出来事に、自分はどんな意味を与えたいか?

意味は創るもの。

問われているもの。

 

「この出来事には、どんな意味があるのだろう?」とは考えても。

「この出来事に、自分はどんな意味を与えたいか?」と考える人は少ないのではないか。

意味の創造・目標設定は、作詞・作曲の気持ちで

サビでどう盛り上げ、どうクライマックスをもっていくか。

作詞・作曲だと考えると、わかりやすいかもしれない。

「目標設定」とかたく考えるより、芸術を生み出す感覚で、楽しく。

 

ただ結局は、意味なんて過ぎてみないと、わからないもの。

意味は、過ぎてみないとわからない

宮崎駿は言った「作っている最中には、わからない」

この映画で言いたいことは何?

宮崎駿は言ったらしい。

 

そんなこと、作っている最中にわかるわけがない!

できあがってみて初めて、あぁ、自分はこういうことを言いたかったのだと
気づく。

意味なんて、途中段階では、まったくわかんない、と。

 

ただ、ひらめいたとおりに描いていく。

なぜか、わからないけれど、こういうふうに描いてみたい、と思う。

だいたい出来上がってから、あぁそうかと気づく。

だから、途中でコンセプトを激変させたくなることも、しょっちゅう。

発表しちゃったから無理ってこともあるらしい。

 

なにごとも、そういうものなのだろう。

自分の行動も、途中では、よくわからない

自分の行動も、自分の考えも、なぜなのかは、よくわかんないけど。

 

なぜか、「こうだ」と思う。

やったあとに、あぁ、そうかと気づく。

 

考えすぎないで行動しなよって意見が多いのは、そういうことなのだろう。

ただ、心が向いたほうへ、行く

途中段階では、あれこれ悩まずに、ただただ、心が向いたほうにいけばいいんじゃないか。

意味なんて、あとから気づくもの。

 

ただ、「何だっけ?」と考え続けることは、とても重要。

つまり、答え(=意味)を「見つける」ことではなく、「見つけようとする」姿勢が大事なのだ。

こんなことをやっても意味がない?

何をやっても続かない理由

何をやっても続かないのは、「こんなことをやっても意味がない」と思ってしまうから。

「これをやったところでどうなる?」って思ってしまえば、そこから先へは進まない。

答え(=意味)を出すことがゴールではない

思考停止する理由:「こんな答えを出しても意味がない」

「こんな答えを出しても意味がない」

「自分なんかが考えても……」

 

自分で考えようと思ったときに、ぶつかる壁。

なぜか人は、自分で考えることを避けてしまう。

「意味がない」と思ってしまうから。

考えるとは、「答え」を出そうとするプロセスのこと

考えるとは、「答え」を出すことではない。

「答え」を出そうとするプロセスに意義がある。

 

「どんな意味を与えたいだろう?」と考え続けることが重要。

「意味がわかる」こと自体は、ゴールではないのだ。

今やってることに意味があるかどうかは、関係ない

自分には価値があるのか?

今やってることに意味はあるのか?

 

そこは、まったく関係ない。

「何だろう?」「なぜだろう?」と考えるほうが、大事。

 

「なぜそうなのか?」

「どういう意味を与えたいか?」

「何がわからないのか?」

「何をすれば近づくのか?」

「正解がある」という価値観をリセットする

自ら考えるためには、「唯一絶対の正解がない」ことを認識すること。

唯一絶対の正解を求める価値観をリセットする。

 

正解なんて、ない。

考え続けるしか、ないんだ。

つまりは、「仮説思考」で動くこと。

「仮説思考」の最大の敵とは?

「仮説思考」の最大の敵は、次のような気持ち。

 

  • 情報が少なすぎる
  • 知識がなくて、わからない
  • 経験がなくて、わからない
  • そもそも、わかるわけがない
  • 中途半端な答えなんて、出してもしょうがない

 

たとえ、情報が少なくても。

知識や経験がなくても。

自分で考えて、自分で動いていく。

「どんな意味を創りたいか?」というのも、自分の頭で必死に考える。

常に仮説でしかないから。

まとめ

  • 人生の意味は、自分で創るもの。
  • なぜなら、自分の人生の作者は、自分だから。
  • どこかに正解があるのではなく、自分にしかわからない。
  • そして、意味は過ぎてみなければわからない。
  • だから、常に仮説で動く

 

「こういう意味です」という正解を求めるのではなく。

自分で「こうかな?」を繰り返す。

考え続けることが大事。

 

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