徹底的に真似したほうがいい? 自分で考えたほうがいい?
そんなわけで。
こういうときは、「世阿弥」から学んでみよう。
「風姿花伝」から次の3つをヒントに。
- 写実的に真似る
- 離見の見(客観視)
- 時の運
Contents
1.写実的に真似る
自分なりの解釈は入れずに、そのまま真似する
絵画でも、「写実的な絵」は、まるで写真のようだったりしますよね。
忠実に描くことが「写実的」。
自分なりの解釈は入れずに、そのまんまを真似することです。
スポーツで言えば、野球のバットの振り方、テニスのラケットの振り方、ボーリングのボールの投げ方など。
姿勢に関することは、やはり、自分勝手にやっていては身につかない。
姿勢や表面の技術などは、そのまま取り入れる努力が必要です。
「非写実的真実」で考える
演劇とは、そもそもが「真似」ですよね。
ただし、ありのままを写実すればいいのではなく、独自の「非写実的真実」の考え方が求められる、とあります。
たとえば、「似顔絵」。
写実的ではないけれど、不思議と似ています。
そのような、写実的でありつつも、独自的で非写実的であることが大事だということでしょうか。
「鵜呑みにするな」「自分で考えろ」というのは、独自性を出すということですね。
さて、何を考えたらいいのでしょう?
そのヒントを、「離見の見」と、「時の運」から考えてみます。
2.離見の見(客観視)
自分の姿を、前後左右から、よくよく見なければならない
観客になって、自分を見る
当然のことながら、お客さんは、客席から見ています。
客席から自分を見てみないと、自分がどんな演技をしているかは、わかりません。
自分を「客観視」しなければ、自分の姿は見えないのです。
第三者の意見を聞くというのも、いいですね。
客観的に自分の行動を批判してくれる人を作り、ひとりよがりになることを避ける努力は必要です。
また、観客側からだけではなく、後ろ姿を見なさいとも言われています。
目前心後(もくぜんしんご):心を後ろに置く
目は前、心は後ろにおく。
前を見つつも、意識は後方においておくこと
後ろ姿を覚えねば、姿の俗なるところをわきまえず(後姿を見ていないと、その見えない後姿に卑しさがでていることに気付かない)
「前進」という言葉が指すように、私たちは常に前を見ることを要求されます。
ただし、「背中を見て育つ」という言葉もあるように、人は、自分の後ろ姿を見ていますよね。
自分が卑しい姿になっていないかどうか、意識を後ろにおいて、後ろから眺めるような感覚を持ちながら、前に進まなくてはなりません。
常に、舞台・自分・観客を客観的に見る
幽体離脱のような感覚で、客観的な目で物事を見る。
見た内容を自分にフィードバックし、修正を加えていく。
そうやって、全体観に立っていくことです。
そして、そのうえで、「時の運」を考える。
3.時の運
派手にやるときと、地味にやるときがある
- 時の運が味方するときは、自分の得意な演目を「派手に」披露する
- 時の運が下降している時には、目立たない演目で控えめに見せる
つまり、調子のいいときは、どんどんやれ!
派手に思いっきりやれ! 得意なことでいこう!
だけど、調子が悪くなってきたら?
たとえば、派手だった芸能人も、謝罪会見では控えめな服装で謙虚に話すように。
苦手なことも、がんばってみるとき。
タイミングは自分で見計らう
派手にやるべきか? 地味にやるべきか?
今の自分の状態とタイミングを、しっかりと見計らって、自分で見極める。
成功する人には、成功するだけの自分の状態と、時の運にしたがった行動があったのでしょうね。
それを表面だけなぞっても、同じ結果にはならないということではないでしょうか。
まとめ
今の自分は、どんな状態なのか? どんな時なのか?
自分で考えながらも、写実的に真似をしていくと……
自分だけのオリジナリティに昇華できるといいます。
それに、「写実的に」真似をすること自体、考えなければ、できません。
よーく観察しないと写実的にはならないから。
なお、真似するべき相手は誰なのか?ということも、真剣に考えなければなりません。
そうしないと、思わぬ失敗を呼び寄せます。
そのことは、イソップ童話の「海綿を背負ったロバと塩を背負ったロバ」の話にわかりやすく描写されています。

つまり、こうなります。
- 理想像を明確にする
- 写実的に真似する
- 客観視する
- タイミングを見極める
- 最終的には「自助論」で!
ということで。
すると、オリジナリティに昇華する!
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