自由を求めても不自由になるだけ【自分を嫌いになる前に】選択の方法を変えてみよう

日記

たとえば、文章を書くってことも、自由に表現すればいい……はずなのに。

いつのまにか、人の目を気にしすぎて、自由に書けなくなる。

むしろ、どんどん不自由になる。

文句を言われて落ち込んでは、やっぱり隠れたくなるし。書けなくなるときもあるし。

こんなことを書いてはいけないのではないかと、いちいち気にしてしまって、結局は不自由な考え方におちいっていく。

自由になりたかったのでは、なかったのか?

自由を求めていたのでは、なかったのか?

自分を不自由にさせているのは、自分でしかない

要するに、自由・不自由っていうのは、自分が創っているもの。

他者から束縛されて不自由、なのではなく。

自分が自分を束縛しているから不自由なんだ。

そしてそれは、何をやったとしても続いていく。

きっと、会社を辞めたいとか、組織が嫌いって思うときも同じこと。

環境から逃れたい、とか。

誰かから離れたい、とか。

積極的に選択したならいいんだけれど。

「自由になりたいんだぁ~!」っていう動機なら、ちょっと立ち止まってみよう。

今の不自由さは、いったい何?

自由を求めて、また違う不自由を手に入れる。

真剣に考えていかないと、本末転倒。

単なる不自由の連鎖。

何をやっても、どこにいっても、やっぱり自分はダメじゃ~!という結果になるだけ。

自分をますます、嫌いになっちゃうよね?

だから、正しいかどうかよりも、自分を好きになるための選択は、どれなのか?っていう視点を。

これを選ぶことで、自分を嫌いになってしまわないか?っていう視点を。

自分を好きでいるために、自由を選ぶ

恐怖心から目を背けないで

私自身も、よく言われる。

「他人は何も気にしてないよ?」と。

そう、ただの自意識過剰。

妄想、思い込み、思い上がり。

 

わかっちゃいるけど、気になりすぎて怖くなる。

「なぜ、こんなにも怖いのかな?」と、しっかり見つめてみないと。

行動を変え、場所を変えても、「人の言葉をスルーできない」という自分が変わらなければ、やっぱりまた恐怖心にとりつかれていくんだ。

嫌われることもあるけれど、好かれることもあるかもしれない。

逆に逆に考えて、自意識過剰な部分は疑って。

隠れることで、自分を好きでいられるのか?

やりたいことを放棄して、自分を嫌いにならないか?

こそこそ隠れて、やりたいことも我慢して、そんな生き方は本望ではないはず。

 

  • 自分を好きでいるために、恐怖心と向き合う。
  • 自分を好きでいるために、心にもないセリフはやめる。
  • 自分を好きでいるために、やりたいことは思いっきりやる。

 

怖いけど、やりたいんだから、しょうがないんだ。

  • やりたいことをやろうよっていうのは、自分を好きでいるため。
  • やりたくないことはやめようよっていうのも、自分を好きでいるため。
    • やっている自分のほうが好きなら、やる。
    • やらない自分のほうが好きなら、やらない。

 

選択はいつも、そこを。

他者の目では、決めない。

他者の目で決めたら、自分を嫌いになっちゃうから。

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