自己信頼 by エマーソン【必読】不安になったときの超オススメの一書

自己信頼

自分に不安になったときの、超オススメの一書。

エマーソンの「自己信頼」は、自己を信頼するしかないことを教えてくれます。

 

「自分を信じましょう」という、甘い言葉ではない

 

もっと力強く、「自己信頼せよ!」「しなきゃおかしい!」と言わんばかりに。

 

自己実現でもない。

自己受容でもない。

自己肯定でもない。

 

何より大切なことは……

 

自己信頼

 

自分をどれだけ、信頼できるのか?

すべては、そこしかない。

 

自分の願いを実現するにしても、自分を受け容れるにしても、自分を肯定するにしても。

 

根底は、自己信頼だ

 

この本を読んでいると、自己を信頼しないことのほうがバカバカしく感じてくるほどです。

 

個人的に選ぶ、不安になったとき、自分を信じて進むための超オススメ2冊!

エマーソンの「自己信頼」と、スマイルズの「自助論」。

自助論自助論 by スマイルズ【究極の自己完成】自分を助けられる人は自分しかいない「天は自ら助くる者を助く」

 

この2冊で、前に進む勇気が出てきます。

Contents

自分の考えを信じる

自分にとっての真理は、すべての人にとっての真理

自分の考えを信じること、自分にとっての真理はすべての人にとっての真理だと信じることーそれが天才というものだ。

 

「自分の考えを信じる」って、すごく怖い。

間違ったらどうしよう?と思って、ついつい正解を探したくなる。

人の前で発言するのが怖くなるのも、恥をかいたらイヤだなと思うから。

「自分にとっての真理こそ、真理だ」と思って、堂々と言えるようになりたいですよね。

独善という意味ではなく、それくらい強く、自己を信頼するってことなのでしょう。

 

自分の考えを信じよう

 

他人が考えたことではなく、自分が考えたことを語る

モーセやプラトン、ミルトンが真に偉大なのは、書物や伝統にとらわれず、他人が考えたことではなく、自分が考えたことを語ったからである。

 

これは本当に、心していきたいところ。

どうしても、自分の意見に自信がもてないから。

「誰々が言ってた」とか、「どの本に書いてあった」とか。

ごまかしてしまいがち。

他人の考えの傘に入って、批判という雨を避けたいだけ。

 

勇気を出して、自分の考えを語ろう

 

自分の考えに合ったものが正しい

私にとって、自分の本質に適った法則以外、神聖な法則などない。善だの悪だの言っても、それは単なる名前に過ぎず、「あれ」とか「これ」といっているのと変わりない。正しいものはただひとつ、自分の考えに合ったものだけであり、間違っているものはただひとつ、自分の考えに反するものだけだ。

 

とにもかくにも!

自分に合ってるかどうか。

それだけ!

たとえ自分に合っていなくても、大勢がこっちだと言えば、ついつい流されてしまう。

それは、自己信頼の姿ではないってことですよね。

 

自分の考えに合ったものだけを選ぼう

 

思ったままを口にすればいい

思ったままを口にすればよい。心にもなく歓待したり、心にもなく愛情をかけたりすることをやめるのだ。欺き欺かれながら付き合っている人たちの期待に応えて生きるのをやめるのだ。

 

おかしいなと思いつつも、ニコニコして受け入れてしまったり。

遠慮して何も言えなかったり。

でもそれって、結局は、あざむいているってことにもなりますね。

どうしても、期待に応えたくなるのは、自分がいい人でいたいから

「期待に応えてくれる人だ」って言われたいから。

やっぱり見栄ですね。

 

他人の期待に応えるのは、やめよう

 

正直に伝えれば、「いいことを言う」と評価される

私たちは自分を半分しか表に出しておらず、自分たちが心に抱く貴重な考えを恥じて隠している。正直に伝えさえすれば、何の問題もなく「妥当だ」「いいことを言う」と評価されるだろうに。

 

正直な気持ち、隠してしまいますね。

恥ずかしいし、怖いし、自信がないし。

正直に言うと嫌われると思ってしまう。

でも本当は、正直に伝えるほうが評価される!

習慣にしていきたいほど、大事なところ。

 

正直に伝えよう

 

自分の直観でいく

直観とは、自然とわきあがってくるもの

直観は、自分の気持ち次第でどうにもなるものではなく、自然と湧き上がってくる不可避的なものだ。

 

直観は、おさえようと思っても、おさえられないもの。

やはりそれが、自分にとっての真実なのでしょう。

直観とは、意図的ではないもの

意図的に手に入れようとするものは、ふらついていて腰が定まらない。たわいのない夢想、ほのかで素朴な感情こそが、私の好奇心をかき立て、尊重せずにはいられなくなる。

 

直観とは、ほのかで素朴な感情!

その感情こそ、尊重していくべきもの。

あとから理性で考えるのは、世間体や言い訳が含まれるのではないでしょうか。

最初に浮かんだ自分の考え・感情を尊重できれば、本来の願いに近づくかもしれません。

他人の考えはどうでもいい

偉大な人物は、大勢の中でも自分を保つ

この世界では、周りの意見に従って生きる方がたやすい。しかし偉大な人物というのは、大勢に囲まれている中でも、見事なまでのしなやかさで、自分を保っていられる人間だ。

 

他人の考えはどうでもいいとは言っても、常に独りになるわけではない。

大勢に囲まれていても、自分を保っていられる。

それこそ強い人ですね。

独りになりたくなるのは、大勢の中では自分を保てないから。

それはつまり、真に自己信頼しているとは言えないってことかもしれません。

「見事なしなやかさ」を身につけたら、最強ですね。

共同体の言いなりになることは、不正直な人間になること

ほとんどの人間が目をハンカチで覆い、意見を同じくするどこかの共同体の言いなりになっている。こんなふうに組織に盲従していると、いくらか不誠実だとか、ちょっと嘘をつくどころではなく、あらゆることで不正直な人間になってしまう。

 

自分の考えで組織についていくなら、何も問題はないでしょうけど。

やはりどこかで、自分を殺してしまっているところがある。

ただ単に、違う意見を言うのが怖いだけ。

孤独になるのを避けたいだけ。

そうだとしたら、不正直な人間になってしまうってことです。

言いなりから脱するには、やはり自分への信頼がなければできないことです。

世の中は自分のためにある

人は、自分の価値を知り、何ごとも自分の思うようにすべきだ。世の中は自分のためにあるのだから、まるでチャリティー・スクールの生徒や、私生児や、もぐりの商人のように、覗き見をしたり、盗みを働いたり、こそこそ歩き回ったりしないでほしい。

 

世の中は自分のためにある!

ビクビクしながら、他人の動きをのぞいたり真似したりするよりも。

もっともっと「自分のためなんだ」と思ったほうが、望む結果が得やすくなりそうです。

「私なんかが……」と言ってないで、もっと堂々と。

自力で行動すれば、過去が自分を正当化してくれる

服従していては、何も説明できない。人に頼らず自力で行動するのだ。自力で行えば過去の行動が現在の自分を正当化してくれる。

 

自信が持てなくなると、他人の考えのとおりに動いてしまいます。

そのほうが無難だから。

でもそれでは、いつまでたっても、現在の自分は揺らいだまま。

「過去の行動が、現在の自分を正当化してくれる」とはつまり、自分の考えと自分の選択で動けば、必ず、実りがあるということでしょう。

それを思って、勇気を出していきたいですね。

自己信頼

一貫性は必要ない

今日は、今日の思ったことを口にするのだ

今心の中にあることを、断固として口に出したまえ。そして明日は、明日考えたことを口にするのだ。それがたとえ、今日言ったことと矛盾していても。

 

今の思いを口にするとき、ためらってしまうことがあります。

もう少し、よく考えてみようかな?と。

それもやはり、間違ってたら怖いという気持ちですね。

だけど、明日になって違うことを考えたら、それはそれでいいのだ、と。

ブログを書いてても思うことです。

ちょっと時間が経つと、もう違うことを考えているため、投稿ができなくなってしまうことが多々あります。

今、思ったことは、今書いてしまわないと、どんどん流れていく。

思ったときに、すぐさま口に出す。

これはとっても大切なことだと感じます。

仮に矛盾したからといって、それが何なのだ?

仮に矛盾したからといって、それが何なのだ?

 

とーっても勇気の出る一言!

それくらいの強気で、生きていきましょう!

すべては誤差の範囲

アンデスやヒマラヤの突出が、地球全体の曲率から見ればどうということはないように、自分の考えの凸凹も、その人の存在全体から見れば誤差の範囲だ。それに、他人が自分をどう評価し、どう裁こうが、どうでもいいことではないか。

 

「誤差の範囲」っていう言葉が、元気をくれます。

たしかに、ヒマラヤでさえも高みから見れば平面のように見えてしまう。

たいしたことはない!

すべてに対して、それくらいの大らかな気持ちで構えたいですね。

ちぐはぐな行動に見えても、調和はとれている

どんなにちぐはぐに見える行動であっても、そのときどきに誠実に自然に行われたものならば、そこには何か共通するものがある。ひとつの意志から出たものなら、どんなに違って見えようと、調和が取れているはずだからだ。少し距離を置いて、高い視点で眺めてみれば、その違いなど見えなくなる。

 

たとえ自分の行動が、矛盾しているように思えても。

振り返ってみると、意外とつながっていたことに気づきます。

やはり、ひとつの意志があるものですね。

だから自分の中に、たくさんの「星」をうっていくことです。

 

星とは、今日やりたいこと

星がたくさん集まれば、必ず星座ができあがる

 

何かしらの法則が見つかるはずです。

「やりたいことがわからない」原因は、星が少なすぎるから。

日々、自分の中に、「星」を量産してみましょう。

ジグザグに進んでるようでも、実は真っすぐ進んでいる

どんなによい船でも、何百もの航跡を描いてジグザグに進んでいく。だが、距離を取って眺めてみるといい。船は目的地に向かって真っすぐ進んでいる。

 

たしかに、船はジグザグに進んでるように見えますが。

結局は、目的地に向かって一直線ですよね。

 

だから。

 

ジグザグに思えたとしても、気にしない!

 

これぞ一直線なんだ!ってくらいの、堂々とした気持ちで、進んでいきたいものです。

何がどうあろうと、今すぐ行動せよ。見てくれなんかあざ笑え

何がどうあろうと、今すぐ行動せよ。見てくれなんかあざ笑え。そうすれば、見かけなんて気にならなくなる。

 

見かけなんて気にならないほど、行動する

 

自分の望みを叶える手段は、本当にこれしかないです。

見栄とかプライドとか、気にし始めてしまうと、何もできなくなるから。

気がつくと、人の目を避けようとしてしまう。

見てくれなんかあざ笑う気持ちに、なりたいですね。

他人の機嫌をうかがう必要はない

むしろ彼に私の機嫌をとってもらいたい

もう頭を下げたり、詫びたりするのはやめにしよう。私の家に、ある偉い人物が来て食事をすることになったとしよう。私は彼の機嫌を取るつもりはない。むしろ彼に私の機嫌を取ってもらいたいくらいだ。

 

「むしろ機嫌を取ってもらいたいくらい」

そんな気持ちに、なってみたいですね!

頭を下げたり、詫びたりすると、自分を嫌いになってしまいます。

やはり強く出るほうが、自分を好きでいられるのではないでしょうか。

周りを従えるのだ、子どものように

幼児がただひとりいるだけで、周りの大人がみな4、5歳の子どもに戻って、幼児言葉で話しかけたり、一緒になって遊んだりする。

 

幼児は、周りを振り回しますよね。

大人もそんなふうに、周りを従えるくらいの気持ちになれたら、楽しそうですね。

 

子どものように振る舞いたい

 

愛想笑いは屈辱だ

誰しもが必ず味わう、とりわけ屈辱的な経験がある。何かと言えば、あの「間抜けな愛想笑い」のことだ。つまり、気疲れのする席で面白くもない話を聞きながら、相づちとして無理に浮かべるあの笑顔のことだ。

 

「間抜けな愛想笑い」は屈辱的!

まさに、そのとおり!

「これ以上、愛想笑いはしたくない」と思うこと、たくさんありました。

コビを売ってるようで、気持ち悪くなる。

でも、それがやめられないのは、やはり自分の選択。

自分で自分を下げてしまっているのです。

いい意味での愛想笑いはいいとしても。

自分の価値を下げるような愛想笑いは、本当にやめたいもの。

自分に生きる

自分が本来やるべきことをやれば、強くなれる

自分がやるべきことをやれば、あなたの姿がはっきりと見えてくる。自分が本来やるべきことをやりたまえ。そうすれば、あなたは強くなれる。
世間に合わせてばかりいるのは、「目隠し鬼ごっこ」をしているのと同じだと知るべきだ。

 

世間に合わせず、自分が本来やるべきことをやる

やりたいことができないのは、自分自身が、世間に合わせてしまった結果です。

自分を見失ってしまうのも、世間に合わせた結果。

だとしたら。

世間に合わせるのではなく、自分の考えで、自分のやるべきことを、やっていきたい。

人から立派だと言われる行為は、どうでもいい

人から立派だと言われる行為をするかしないかは、私にはどうでもいいことだ。

 

「立派だと言われるかどうかはどうでもいい」

このことは、定食屋の店主も語ってました。

定食屋他人の評価を気にしないほうがいい理由とは【自己満足して死にたい】定食屋劇場

 

「7つの習慣」では、自分の葬儀の際に、周りからどんな弔辞をもらいたいかを考えよう、とあるのですが。

周りからどう言われるかではなく、自分がどう思うかじゃないの?

そんな店主の話を聞いて、ハッとしました。

どんな弔辞をもらいたいかというのは、他人にどういう影響を与えていきたいかってことですが。

それも確かに大事なのですが。

ちょっとした意識のズレによっては、どう思われるかばかりを気にする人生にもなりかねませんね。

「どうでもいい」と思っていたほうが、結果的には信頼されることにも、なるのかもしれません。

 

「7つの習慣」

7つの習慣7つの習慣【自立と相互依存】一流の人が読んでいる、人格形成のための必読書

理解してもらうために、証拠を提出する必要はない

私は間違いなく私という人間であり、そのことを自分や仲間に理解してもらうために追加の証拠を提出する必要はない。
私がしなければならないのは、自分の関心のあることだけであって、他人が考えていることではない。

 

証拠を提出したい衝動、かられます。

ついつい声高に、自己アピールしたくなったりとか。

自己正当化するための材料を集めようとしていたりとか。

でも、そんなことをするのは、意味がないこと。

自分でも本当はわかっているのです。

自己アピールに精力を出していても仕方がない、と。

でも多くの人は、「わかっていてもやめられない」という状態ではないでしょうか。

 

自分のすべきことは、自分の関心のあることだけ!

他人が考えていることは、どうでもいい

 

やりたいことをやるポイントですね。

偽りのない、まっすぐな人生がいい

私は罪をつぐなうのではなく、生きることを全うしたい。私の人生は生きることそれ自体のためにあるのであって、見せ物にするためにあるのではない。華やかだが、腰の定まらない人生よりも、程度は低くてもいいから、偽りのない、まっすぐな人生の方がいい。

 

「罪をつぐなうのではなく」とは、「罪悪感に生きるのではない」という意味でしょう。

「罪悪感からの行動」は、けっこう多いです。

申し訳なさと不甲斐なさでいっぱいになってしまったり。

でも一番大事なことは、自分を偽らないこと。

華やかであっても自分を偽ってるなら、自己満足はできないでしょうね。

それよりも、自分に正直に、自分を信頼して進むほうが、よっぽど幸福感は高い。

そんな生き方を目指したいですね。

まとめ

以上をまとめると。

  • 自分が考えたことが正しい
  • 思ったとおりに語れ
  • 他人の考えたことはどうでもいい
  • 自分の直観で進め
  • 一貫性は必要ない(どうせ真っすぐになる)
  • 他人の機嫌をとるより、自分の機嫌をとってもらえ
  • 自分に正直に生きろ

 

エマーソンの言葉から感じることは……

 

常に強気で自分を信じること

 

人生、それしかないってほどです。

スカッとしますよね。

だけど、本当に自己信頼がないとできない。

どうしても不安になってしまうし、周りに合わせているほうが楽だから。

 

「自分の考えが一番正しい」と言えるほどの自己信頼感。

 

これは、何をするにも大事なことではないでしょうか。

そして、本当に自己信頼できている人は、その態度はきっと、穏やかなのだと思います。

決して傲慢になるわけでは、ないのですね。

 

ということで。

 

memo
どんなときも強気で!

堂々と、自分の人生を歩んでいきましょう。

自己信頼しながら。

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