想像力・誰かに必要とされること・夢、そんなことをこの映画を観て考えさせられました。
映画『Diner ダイナー』を観ました。
物語の是非はともかく、映画から伝わってくるメッセージに心が響きました。
個人的に、特に印象に残ったセリフは3つです。
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「想像力のないヤツは死ね」
このセリフは、いまいちピンときませんでした。
想像力が大事なことは、言うまでもない。
ただ、ほとんどの場合、想像ではなく「妄想」が多いのではないかと思います。
きちんと確かめもせず、勝手に妄想して、勝手に解釈して、それこそが正解だと思って突っ走る。
つまりは「思い込み」です。
殺し屋の人たちも、主人公も、今の現実があるのは、「□□だから、◯◯に違いない」という思い込みのもと、生き続けているような印象を受けました。
その思い込みをはずしてみたとき、「想像」の力が働くものかもしれません。
ちなみに仕事上では、「想像」は禁物です。
「想像力のないヤツは死ね」と言う前に、説明してあげることが必要です。
何も説明せずに「自分で考えろ」式の、日本のやり方っぽいなと感じました。
想像の前に、きちんとリサーチをして、分析して、検証しなければならない。
日本語の「想像」という意味が、少し違うのかもしれません。
英語で「イマジネーション」というと、創造力や構想力まで含まれるようです。
想像力について、いろいろ考えることができたので、そういう意味で、とても刺激になりました。
「要らなくなんてない」
これが、この映画全体に一貫しているテーマのようでした。
「自分の居場所がない」「自分がここにいていいのかわからない」
そんな不毛感・虚脱感を抱えた人間が、どうすれば希望をもって生きていけるのか。
それは、誰かに必要とされること。
「あなたが必要だ」と言ってもらえないと、人は生きていけないものです。
そして、必要とされる人間になるためには、自分で決めて、自分で歩んでいかなければなりません。
両親に愛されなかったことは不幸なことだけれど、親の呪縛からは一刻も早く脱出しなければならない。
悲しみと寂しさを癒しつつ、必要とされる自分に成長する。
そして、誰かに「あなたが必要だ」と言ってあげる。
結局は、人との関わりの中でしか成長できないのです。
殺し屋になった人たちは、人生のどこかで、人との関わりを断ち切ってしまったようでした。
共感できるとともに、やはり、そのような生き方は惜しいものだと感じます。
「望みが叶わないほうが、生きる希望を持てる場合がある」
望みが叶ってしまったから死を選ぶ、そんな場面がありました。
このセリフを聞いて、様々な意味が頭に浮かんできました。
1.「叶わない」と嘆きつつ、本当は叶ってほしくない
望みが叶わない、何もかもうまくいかないと嘆くとき、本当は「嘆きたいだけ」なのかもしれません。
実は、叶えたいとは思っていない。叶ってしまったときのことを考えると怖いのです。
つまり、「悩んでいたい」「悩んでいる自分が好き」ということでしょうか。
こういうことって、意外と多いような気がします。
- 叶ってしまったら、どうすればいいのかわからなくなってしまう
- 叶ってしまったら、次の目標を見つけなければならない
- 叶ってしまったら、同情されなくなる
- 叶ってしまったら、かわいそうな自分でいられなくなる
上記のような理由から、叶わないことを望んでいるという現実はよくありますね。
だから、他人の悩みを聞くときは、話半分で聞いたほうがいいのかもしれません。
叶えることを望んでないかもしれないので。
そして、自分が「叶わない」「思い通りにいかない」と悩んだとき、本当にそうなのか? と疑ってみる余地はありそうです。
2.「見果てぬ夢」を持っていると生きる希望が出てくる
すぐに叶ってしまうような簡単な目標ではなく。
一生をかけて叶えていく「見果てぬ夢」を持つことが、人間にとっては大事なのかもしれません。
常に手が届かない。
常に努力しなければならない。
だからこそ成長できる。
「見果てぬ夢」があることは、幸せなことです。
そのような高い目標・夢を持っていたほうが、イキイキと生きていけるのではないでしょうか。
3.叶わないときこそが、一番キラキラしているとき
「叶ったら幸せになれる」とつい思ってしまいますが。
実は「叶ってない」状態こそが幸せであり、もっともキラキラしているときかもしれません。
だから、「叶わない」と嘆くのではなく、「幸せってことかな?」と考えてみるといいのではないか、と感じました。
とにかく、叶ってしまったらつまらない。
そう思って、常に今の状態を楽しんでいければ、いいですね。
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