「嫌われる勇気」とは、他者のなかで生きていく勇気

嫌われる勇気

「嫌われる勇気」に書いてある内容は、希望が持てるというよりも、厳しいものです。実践できている人は少ないのではないでしょうか?

 

「嫌われる勇気」は、ロング・ベストセラーですね。

あるブックオフの店舗に行ったら、1位になってました。

なぜ、こんなにも人気なのでしょう?

この本を読んだあと、私は、希望を感じるよりも実践の難しさについて考え込んでしまいました。

この本はアドラー心理学について述べています。

アドラー心理学は、実践できたら素晴らしい。

ただし、希望が持てるというよりも、自分と向き合わなければならないという点で厳しい内容でした。

 

「他者の束縛」から自由になることではなかった

 

POINT
嫌われたらイヤだという「自分への束縛」から自由になること

 

「嫌われる勇気」by 岸見 一郎,古賀 史健

STEP1:人生のタスクを避けてはいけない

人生のタスクとは?

社会的な存在として生きるときに、直面せざるを得ない対人関係のこと

 

人間関係と向き合うことを、「人生のタスク」と言っています。

 

自分の足で立ち、自分の足で対人関係のタスクに踏み出さなければならない。「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人になにを与えられるか?」 を考えなければならない。それが共同体へのコミットです。

 

タスクという言葉通り、「何を与えてもらうか?」ではなく、自分は他者に「何を与えられるか?」を考えることです。

「コミット」という言葉がよく使われますが、人間関係では、「何を与えられるか」が、自分へのコミットになるということですね。

向かい合うべき3つの「人生のタスク」とは?

  1. 仕事
  2. 家庭
  3. 友人

 

向かい合うべき「人間関係」とは、仕事・家庭・友人。

この3つが「人生のタスク」の内容です。

 

仕事そのものが嫌になったのではありません。仕事を通じて他者から批判され、叱責されること、お前には能力がないのだ、この仕事に向いていないのだと無能の烙印を押されること、かけがえのない「わたし」の尊厳を傷つけられることが嫌なのです。

 

「わたし」の尊厳を傷つけられたくない。

これは、仕事・家庭・友人のすべての局面で言えることだと思います。

たとえ尊厳を傷つけられて嫌な思いをしても、やはり逃げてはいけないと言われています。

 

逃げてはならない、ということです。どれほど困難に思える関係であっても、向き合うことを回避し、先延ばしにしてはいけません。たとえ最終的にハサミで断ち切ることになったとしても、まずは向かい合う。いちばんいけないのは、「このまま」の状態で立ち止まることです。

 

勇気を出して「人生のタスク」に踏み出す。

そのためには、「自己受容」がスタートです。

STEP2:自己受容

自己受容と自己肯定との違い

 

自己肯定とは

できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけること

 

 

自己受容とは

「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるために前に進んでいくこと

 

人生のタスク(人間関係)と向き合うためには、まずは自分を愛すること。

 

まず自分→次に他者

常に、この順番が大事ですね。

 

7つの習慣で言われていることも、まずは自立→次に相互依存です。

この順番を無視すると、「自己犠牲」になってしまうからです。

 

「自己肯定」だと、やり方を間違えると苦しくなってしまうのかもしれません。

「できないのにできる」と思い込もうとしてしまうからです。

 

できないのにできるフリをするのではなく、できない自分も認めること。

それが「自己受容」です。

 

そのためには、課題の分離が大事だと言われています。

STEP3:課題の分離

「これだけやったのに……」というのは、相手の課題に介入している証拠

課題を分離するのです。あなたのことをよく思わない人がいても、それはあなたの課題ではない。そしてまた、「自分のことを好きになるべきだ」「これだけ尽くしているのだから、好きにならないのはおかしい」と考えるのも、相手の課題に介入した見返り的な発想です。

 

人間関係の苦しみは、「見返り」を求めてしまうことから生じるのかもしれません。

「これだけやったのに……」と思うのは、自分の課題。

受け取るか受け取らないかは、相手の課題だということです。

課題を分離し、自分自身が乗り越えるべき課題を浮き彫りにすることですね。

自分が解決すべきものは自分の課題であって、他人の課題ではないのです。

 

上司がどれだけ理不尽な怒りをぶつけてこようと、それは「わたし」の課題ではない。理不尽なる感情は、上司自身が始末するべき課題である。すり寄る必要もないし、自分を曲げてまで頭を下げる必要はない。わたしのなすべきことは、自らの人生に嘘をつくことなく、自らの課題に立ち向かうことなのだ――。

 

やるべきことは2つ

  • 自分に嘘をつかず、自己受容する
  • 自分の課題に立ち向かう

 

自己受容をして、課題の分離をしたら……

「他者信頼」ができるようになるようです。

STEP4:他者信頼

深い関係に踏み込む勇気をもつと、対人関係の喜びは増す

浅い関係であれば、破綻したときの痛みは小さい。しかしその関係から生まれる日々の喜びもまた、小さいはずです。「他者信頼」によってもっと深い関係に踏み込む勇気を持ちえてこそ、対人関係の喜びは増し、人生の喜びも増えていくのです。

 

自己受容をして、課題の分離をしたらどうなるのかというと……

 

他者信頼ができるようになる

 

自分を受け入れ、「相手の課題は相手のもの」と思えるようになれば、自然と他者を信頼することができるようになるようです。

そして、他者を信頼できるから、他者が「敵」ではなく「味方」になります。

 

相手が「味方」なら……

 

自然と、「貢献しよう」という気持ちになりますね。

STEP5:他者貢献

仲間に貢献することは、自己犠牲ではない

仲間である他者に対して、なんらかの働きかけをしていくこと。貢献しようとすること。それが「他者貢献」です。

 

他者貢献とは、仲間に貢献すること。

 

相手が仲間なら、「無理をする」ことはなく、自然と貢献したくなるはず。

だから、「自己犠牲」とは違うのです。

 

「自己犠牲」だと感じるときは、他者が「敵」になっているときかもしれません。

それは「貢献」ではなく、敵への恐怖が原動力となっています。

「貢献」かどうかを判断するには、相手が「敵」なのか「味方」なのかを、よくよく考えてみるといいのでしょうね。

 

他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。

 

味方への「他者貢献」をすると、自分がなくなるどころか、自分の価値をどんどん感じられるようになっていくようです。

嫌われないことを目的とするのではなく、自分の価値を実感することを目的としたほうがいいのかもしれません。

他者に貢献してこそ自己受容できる

他者に貢献するからこそ、「わたしは誰かの役に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け入れることができる。

 

何もせずに、「ありのままの自分を受け入れる」ことは、単なるワガママ・自分勝手である可能性もあります。

 

けれども。

 

他者に貢献することによる自己受容には、喜びがついてきます。

「役に立っている」と実感できるからです。

 

自己受容をするから、他者貢献ができるようになり、他者貢献をするから、ますます自己受容ができるようになる。

 

自己受容→他者貢献→自己受容

 

好循環が始まっていくということですね。

 

人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないことです。この現実に対して、アドラーはきわめてシンプルな回答を用意しました。すなわち、「わたしは共同体にとって有益である」「わたしは誰かの役に立っている」という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれるのだ

 

役に立っていると実感できれば、周囲を「味方」だと思えるようになり、「共同体感覚」が育ちます。

STEP6:共同体感覚

共同体感覚とは、仲間にかこまれ、自分の居場所があると感じられること

他者を仲間だとみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚といいます。

 

  • 仲間だとみなしていること
  • 自分の居場所があると感じられること

 

共同体感覚を持つことが、人生のタスクと向き合うときのポイントになるようです。

 

居場所がないと感じてしまうのは、他者を「敵」だと思っているからです。

他者が「敵」になり、居場所がなくなってしまう理由

どうしてあなたが他者を「敵」だとみなし、「仲間」だと思えないのか。それは、勇気をくじかれたあなたが「人生のタスク」から逃げているせいです。

 

他者を「敵」だと感じてしまうのは、勇気を失ってしまったからです。

つまり、「嫌われる勇気」とは、「人生のタスク=人間関係と向き合う勇気」という意味になりますね。

 

POINT
嫌われる勇気とは……

人生のタスク(=仕事・家庭・友人という人間関係)から逃げずに、自分は何を与えられるか?を考えながら、人と向き合う勇気。

勇気を持てば、周囲が「仲間」に見えてきて、「共同体感覚」が持てるようになる。

 

「嫌われる勇気」とは、「嫌われてもいい」という単純なことではなく、「人間関係から逃げずに向き合う」ということなのです。

STEP7:承認欲求の否定

「承認欲求」は受動的~承認されるかどうかで自分の行動が変わる

承認欲求からの行動とは

  • ほめてくれるから、頑張る
  • ほめてくれないなら、頑張らない
  • 怒られるから、やらない
  • 怒られないなら、やる

 

承認欲求を行動の原動力にすると、常に他者からの評価で、自分の行動を変えることになります。

つまり、他者の視線・他者の評価に左右されている。

それでは不自由な生き方ですし、他人軸の人生になりますね。

 

「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」という、誤ったライフスタイルです。ほめてもらいたいという目的が先にあって、ごみを拾う。そして誰からもほめてもらえなければ、憤慨するか、二度とこんなことはするまいと決心する。明らかにおかしな話でしょう。

 

・行動力がない・行動が長続きしない・すぐに飽きてしまう

そんな性格に悩んでいる場合、「承認欲求」に突き動かされているのではないかと疑ってみるのもいいかもしれません。

 

そして、承認を他者に求めるのではなく、自分で承認してしまいましょう。

「貢献できている」ことさえ、自分で決めればいいのです。

「貢献感」は主観的~自分は役に立っていると自分で決める

もし、ほんとうに貢献感が持てているのなら、他者からの承認はいらなくなります。わざわざ他者から認めてもらうまでもなく、「わたしは誰かの役に立っている」と実感できているのですから。つまり、承認欲求にとらわれている人は、いまだ共同体感覚を持てておらず、自己受容や他者信頼、他者貢献ができていないのです。

 

他者に貢献できているかどうかは、誰が決めるのでしょうか。

 

それは……

 

 

自分

 

 

「感謝されたら」「認めてもらえたら」「評価されたら」貢献できていることになる……というわけではなく。

「自分は役に立っている」と、自分で決めてしまえばいい。

それが「貢献感」。

 

貢献感とは

「貢献できているかどうか」ではなく、「貢献できていると自分がじていること」

 

 

承認欲求を手放し、貢献感を持つためのコツは、「見返り」の発想を捨てることだそうです。

 

「見返り」とは

  • 「何かを与えられたら返さなければならない」→他者への義務感
  • 「これだけ与えたんだから返してくれて当然」→他者への期待

 

他者に対しても、義務感に縛られてしまうし、逆に返してもらえなかったときにも失望することになります。

貢献感を自分で持たないと、自由にはなれないのです。

 

POINT
  • 見返り目的を捨てる
  • 自分のやるべきことは自分で決める
  • 「貢献感」を自分で持つ→他者にゆだねない

なぜ「承認欲求」は不自由さを生み出すのか?

承認を求めると、他者の期待を満たすために頑張り続けることになります。

常に他者の視線が必要になるわけです。

 

仕事の主眼が「他者の期待を満たすこと」になってしまったら、その仕事は相当に苦しいものになるでしょう。

なぜなら、いつも他者の視線を気にして、他者からの評価に怯え、自分が「わたし」であることを抑えているわけですから。

 

他者からの承認をもらうために、自分を抑えるようになる。

自分が本当に言いたいこと、本当にやりたいことも否定するようになる。

それでは不自由ですね。

 

たとえ組織を飛び出したところでほんとうの自由は得られません。他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれないのです。

 

承認欲求をエネルギーにしている限りは、どこにいても不自由さは変わらないということです。

「自由な生き方がしたい!」と思って、会社を辞めたところで、結局は同じになってしまいます。

 

実は、上司や同僚に嫌われているから仕事をしたくないのではなく。

仕事をしたくないことの言い訳として、嫌いな上司や同僚を自ら生み出しているのだそうです。

それが「目的論」という考え方です。

アドラー心理学が「トラウマ」を否定する理由です。

STEP8:トラウマの否定

トラウマではなく、「目的」である

人は過去の原因に突き動かされるのではなく、自らの定めた目的に向かって動いているのです。

 

  • 「どうしても許せない」という気持ちは、対人関係を回避するための「言い訳」
  • 「相手の欠点が気になる」というのは「人生の嘘」

 

たとえば、同じことをされても、Aさんにはムカつくけど、Bさんには笑えるということがありますよね。

だから、その欠点自体が嫌いなのではなく、Aさんを嫌いになること自体に目的があるということです。

自分の欠点ばかりを見るのも、自分を嫌いになることが目的

短所ばかりが目についてしまうのは、あなたが「自分を好きにならないでおこう」と、決心しているから です。自分を好きにならないという目的を達成するために、長所を見ないで短所だけに注目している。

 

なぜ、「自分を好きにならないでおこう」と決心したのか?

それは、他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを怖れているから。

 

つまり、自分で固く決心しているのです。

 

他者から嫌われる前に、自分で自分を嫌いになろう

 

自分で解釈をしたわけです。

 

われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。

 

「○○だから○○できない」というのは劣等感ではなく、立派な言い訳だということですね。

 

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。

 

すべては、他者と比べることに問題があります。

自分で自分の目的に気づくこと。

自分で、「いまのライフスタイルをやめる」という決心をもつこと。

そして、他者との比較ではなく、昨日の自分と今日の自分とを比較すること。

それができたら、他者との競争からおりることができるし、変わることができるようです。

まとめ

嫌われる勇気を持たないと、他者と関わることができません。

他者と関わることができないと、他者貢献もできなければ、自己受容もできない。

つまり、本当の人生の喜びを味わうことができなくなるのです。

「嫌われる勇気」とは、「嫌われてもいい」という投げやりな姿勢ではありませんでした。

自分の選択で、自分の主観で、他者と関わり、他者との関わりのなかで喜びを見出そうということです。

 

「嫌われる勇気」の続編は、「幸せになる勇気」です。

そこには、やはり「アドラー心理学」は厳しいと書いてありました。

やはり、簡単なことではないようです。

幸せになる勇気「幸せになる勇気」~なぜアドラー心理学は難しいのか?

 

ということで。

 

memo

「嫌われる勇気」とは、仕事・家庭・友人という、人生のタスク(人間関係)と向き合う勇気。

嫌われる勇気を持って、他者に貢献すること。

ただし、貢献できているかどうかは、自分で決める。

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