「自分で考えろ」
でも、「素直にマネをしろ」
さて、私たちは、とても困難な要求をつきつけられます。
自分で考えるべきなのか。
素直にマネをするべきなのか。
どうしたらいいのでしょう。
その答えこそが、「類推力」だったのです。
「類推」という技術を身につければ、何を自分で考えればいいかが、わかるようになります。
さて、「類推」とは、どんな力なのでしょうか。
Contents
「類推」する(アナロジー力)
まったく関係のない話なのに、同じに見える
- まったく別の物事の中に、自分と似ている点を見つける力
- 関係のない分野から、役立つものを見つけ出す力
簡単に言えば。
「イソップ童話」のようなもの。
「アリ」と「キリギリス」と「人間」は、まったく別の世界で生きる生き物。
それなのに、「アリとキリギリス」の話を聞いて、自分の生活に当てはめることができますよね。
まったく違う物事の中に、共通点を見つけて、活かす力。
それが類推(アナロジー)です。
ここでのポイントは、「まったく違う物事」という点
似たような話から、似たようなアイデアを考えたって、それは「思いついた」とは言えない。
それは、「パクる」という行為であり、「類推」ではありません。
パクリとアイデアは違う
「成功したいなら、成功している人をマネしよう」と言われますね。
「徹底的にパクる」ことが推奨されます。
かといって、論文を「コピペ」するのは違反。
お店のロゴも、文字を変えただけでデザインがまったく一緒なら、「パクリ」でしかありません。
何も考えないでマネすると、「鵜呑みにするな」と言われる。
マネをする部分は、表面ではなく「本質」だからです。
本質=マネる、表面=パクる
- 抽象
- 本質を見て、本質をマネる
- アイデアになる
- 具体
- 表面を見て、そのままパクる
- たんなるモノマネ
要するに。
「マネをしろ」「でも鵜呑みにするな」とは、「類推力を使え」という意味
「類推」という概念を知って、やっと納得しました。
なんだ、そういうことだったのか、と。
「マネをしろ」と言われるよりも、「類推しよう」と言ってくれたほうが、わかりやすかったのになと思いました。
「腑に落ちるポイント」は、人それぞれ違うものです。
「なんとなく、わかる」は、「わかってない」
多くの場合、「なんとなく腑に落ちてない」ってことを、自覚できていないのです。
「言ってることは、わかる。でもな……」というとき、「言ってることは」わかってない。
「わかってないこと」が、わかってないので、悩みの論点を間違えています。
つまり。
「わかってるのに、できてない自分」を責めてしまう。
自分を責めやすい人は、考えるポイントを間違えているのですね。
「できない自分」を責めるのではない。
「何がわからないんだろう?」を考えるべき。
私の場合は、「マネをしろ」がわからなかったんです。
それなのに、マネできない自分を、ムダに責めていました。
自分にとっての「腑に落ちるポイント」を探してみよう
「なんとなくは、わかるんだけど」というのが積もり積もっていくと、どんどんモヤモヤしていきます。
モヤモヤは、自責と自己否定になります。
だから、自分で、「腑に落ちるポイント」を探さねばなりません。
「頭が悪い」のでは、ないのです。
腑に落ちてないだけ。
「なんとなくは、わかってる」を放置しないほうが、人生がスッキリしますね。
腑に落ちるまで、考えてみよう。
さて、「類推力」の一番の本領発揮は、「たとえ話」です。
類推力で、うまい「たとえ話」を考える
抽象化できないと、「たとえ話」は作れない
「具体的にたとえると……」と言うように、たとえ話には「具体的」というイメージがあります。
でも実は。
抽象化が苦手な人には、うまい「たとえ話」を作ることはできないのです。
「たとえ話」には、「相違点」と「共通点」を見つけ出すという、抽象化能力が必要だから。
「たとえ話」の特徴:相違点と共通点
たとえ話には、次のような特徴がある。
たとえ話の特徴
- 共通点
- 2つの事象に納得できるような共通点があること
- 相違点
- 2つの事象が、まったく関係ないものであること
たとえば、「犬猿の仲」という言葉。
「仲の悪い2人の人間」と「犬」「猿」は、個別に見るとまったく関係ありません。
でも、「仲が悪い」という共通点があるので、なるほどと思いますね。
相違しているものから、共通点を見つけ出す
似たようなものでなければ、たとえ話にはなりません。
つまり、似ている点・共通点を見つけ出す能力が必要になるのです。
しかも。
まったく違う2つの物事から。
同じようなものから、同じものを取り出したところで、「共通点を見つける力」とは言い難いですよね。
それは、「たとえ話」ではなく、「当たり前の話」。
面白い昔ばなしや神話、風刺話など、昔から人間は、類推力を使った話が大好きなのです。
でも、自分で発想するのは、なかなか難しいですね。
とてもじゃないけれど思いつかないような共通点を見つけるからこそ、納得と共感が深まるのです。
「ありそうで、なかった」と。
日常会話に取り入れてみよう
この類推力、日常会話でも、とっても役立ちます。
なかなか相手に、自分の主張がわかってもらえなかったとき。
イライラして、「なんで、わからないんだ!」と怒るのは、自分の能力不足を証明するだけです。
そこでちょっと、機転をきかしてみる。
「たとえばさ、こういうことがあったとして、こうだったら不快な気分になるもんじゃない?」
うまい話を見つけてくることができれば、一気に解決します。
「あぁ、たしかに不快だな。そうか、そういう意味だったのか。理解できなくてごめん」と。
だから、「わからない相手」が悪いんじゃない。
「自分の伝え方」が悪い。
類推力が足りないのです。
そう思ったほうが、自分のスキルアップにつながります。
自分の抽象化能力も上がる。
一石二鳥でしかないのだと、とらえよう。
リベラルアーツでマイストーリーを語る
- 中世ヨーロッパで、「人が持つ必要がある知識・学問」と見なされた、文法学・修辞学・論理学・算術・幾何学・天文学・音楽のこと
- 現代では、人文科学・社会科学・自然科学の基礎分野を指す
どんなことも、自分に結びつけて考える
たとえば。
歴史から、ビジネス戦略やコミュニケーションについて、考える。
ドラマを見ても、映画を見ても。
あるいは日常のささいなことからも。
「自分には関係ない」と思えることほど、類推の宝庫
まったく関係ないことを、自分に結びつけていく。
それが類推力です。
似たような話ばかりを見ていても、類推力は鍛えられません。
そういう意味では。
- 自分とは違う業界・違う人と会う
- 違う分野のことをしてみる
- 「自分には関係ない」ようなことを大切にしてみる
それが、抽象化レベルを高めるコツでしょうか。
いつもいつも、自分と似た人と一緒にいたら、アイデアの刺激が枯渇するかもしれませんよ。
魅力的な語り方を考える
「自分を語る」というのも、「類推力」を発揮してみると、やりやすくなります。
マイストーリーを語るために必要なこと
- 自分の核となる信念、信条
- 自分とはまったく関係ない分野の知識
自分が、どんなことに興味を持っているか、どのような信条か。
そのことを、まったく関係ない分野から語れるようになると、面白い自己紹介ができるのではないでしょうか。
まとめ
「たとえ話」や「昔話」は、たんなる昔の娯楽なのではなく。
類推力を駆使した、ものすごい高度な話だったのです。
ヒットする映画や小説も、みんな同じ。
なにげなく見て、感動したり笑ったりしていますが、作者は、私たちには想像もつかないような抽象化の世界にいるわけです。
つまり、抽象化能力とは、人に影響を与える力でもあります。
自分だけではなく、人に伝える力になるんですね。
たとえば、個人的な話になりますが。
私は以前、「都会に降り積もる雪」と、「何度言われてもわからない自分」を結びつけてエッセイを書きました。
そのときは、「抽象化」という言葉を知らなかったのですが。
これは「雪」と「自分」を結びつけた「類推」だったのかと、今になって思います。
人が変わる極意は、圧倒的な「量」と「時間」!~「励まし」という大雪を降らせよう
とにかく、なんでも自分と結びつけて考えると、なぜか腑に落ちやすくなります。
人にも伝わりやすい。
うまくいけば、面白い話になる。
お笑い芸人は、この類推力が上手なんですね。
だから、笑わせることができるのです。
類推力を磨くと、人との会話や、書く文章が、きっと変わります。
ぜひ鍛え続けていきたい能力ですね。
ということで。
- この出来事と、自分との共通点は何だろう?
- まったく別の分野や、別の人と接したほうがいいのではないだろうか?
- 自分のやっていることはパクリなのか? マネなのか?
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