アドラー心理学【目的論】トラウマを否定すれば「やりたいこと」が見つかるようになる|負けるが勝ち

トラウマ

アドラー心理学では、トラウマを否定します。

生きていくうえで、私たちが重視しているものは、「過去のトラウマ」よりも、実は「未来への目的」。

 

人は、「未来」に生き、「目的」に生きるもの。

思ったよりも、希望にあふれた自分なのです。

決して、過去の経験やトラウマに左右されるような、無力な存在ではありません。

 

しかも、トラウマではなく目的に生きているということは、今すでに、「主体的な人生」を実現できているということ!

 

すべては、自分で選択し、自分で決めています。

実はとっても、「自分軸のある自分だった」ことに、気づけますか?

 

自分を好きにならないという目的を達成するために、長所を見ないで短所だけに注目している。

 

「自分を好きになれない」という悩みも、「好きにならない」と自分で決めているのです。

そして、「やりたいことが見つからない」のではなく、「やりたいこと」をすでに実現している!

 

あなたは、自分の人生を、堂々と生きているのです。

もしも、今の自分を変えたいと思うなら、今までの自分を「否定する勇気」を持つこと。

 

それが、「嫌われる勇気」からのメッセージです。

 

嫌われる勇気

 

「嫌われる勇気」のポイント

  1. 人生のタスク(人間関係)
  2. 目的論
  3. 自己受容
  4. 課題の分離
  5. 他者信頼と他者貢献
  6. 共同体感覚
  7. 承認欲求ではなく貢献感→見返りを捨てる

 

「嫌われる勇気」by 岸見 一郎,古賀 史健

人はなぜ、トラウマだと思いたいのか?

責任を回避したいから

「生きづらい」という言葉を、よく聞きます。

私自身も、ずっと思っていました。

では、「生きづらい」原因は、いったい何でしょうか?

 

それこそ……

 

トラウマがあるせいで生きづらい

 

……ですよね。

 

誰もが、「自分のせいで生きづらい」とは思いたくないのです。

「トラウマのせい」にすることで、「自分のせい」から脱出できる。

だから、「トラウマ」を持ち出すのです。

自分を責めている人は、実は責めていない

もちろん、トラウマを抱える人は、「自分が悪いんだ」と、自分を責める傾向も強いと思います。

 

でも実は……

 

本当は、自分を責めていない

むしろ愛しすぎている

 

……とは言えないでしょうか。

 

自分を責めつつも、最後は、「トラウマがあるから」という結論に持っていくのです。

自分を責め続けることは、あまりにもツライからですよね。

自分を責めることで、自分を正当化したい

自分を責めることには、とっても大きいメリットがあります。

 

そのメリットは何かというと……

 

自分は本当は「いい人」なのだとアピールできること

 

自分を責めると、「自分を責めなくていい」と言ってもらえる。

同情を集めることができるだけではなく、「自分を責めるくらい、いい人なんだ」とアピールできる。

「自分を責めるほど苦しんでいるのだから、こんな自分を許してほしい」と、望んでいるのです。

だから、自分を責めることを、やめられない。

かといって、「自分のせい」にはしたくないから、最終的には「トラウマのせい」にするのです。

 

さて、「自分を責めているのだから許してほしい」と思い、「自分のせい」にすることから逃げ、「トラウマのせい」にすることによって……

はたして、自分は変われるのでしょうか?

 

絶対に変われない

 

……と、アドラーは断言するのです。

過去の経験は「材料」にすぎず、「料理」をしたのは自分である

アリストテレスの「四原因説」

哲学者・アリストテレスは、物事の「原因」を4つに分けました。

わかりやすく、料理にたとえてみます。

 

原因1
材料
食材、調味料など
原因2
行動
切る、焼く、揚げるなど
原因3
参考レシピや、頭の中のイメージ
原因4
目的
「料理をしたい」という気持ち

 

難しい言葉でいうと、次のようになりますが、言葉を覚える必要はないですね。

  • 質料因(しつりょういん):材料
  • 起動因(きどういん):行動
  • 形相因(けいそういん):形(何であるか)
  • 目的因(もくてきいん):目的(何のためか)

目的こそ、本当の原因

4つの原因のうち、「材料・行動・形」は、きっかけにすぎません。

たしかに、材料がなければ、料理はできないし。

実際に、切る・焼くという行動がなければ、仕上がりません。

どんな料理にしようかと、頭の中にイメージがあるからこそ、それを形にできるわけですよね。

 

とはいえ、結局のところ……

 

人は、「目的」がなければ、決して動かない

 

「料理したい」「料理しなきゃ」という気持ちがなければ、材料があっても料理はしないのです。

材料・行動・形は、「できるかできないか」を決める。目的は、「するかしないか」を決める

4つの原因は、「できない」と「しない」の関係に分類することができます。

  • 「材料・行動・形」がなければ、料理はできない
  • 「目的」がなければ、料理はしない

 

「目的」のみが、「主体的」ですね。

 

「過去の経験」という材料がなければ、トラウマを抱えることは、なかったでしょう。

ただし、そこに目的を与えたのは、あくまでも自分なのです。

「トラウマのせいにしよう」と、決めたのです。

 

アドラーは、「トラウマ論」を否定し、「目的論」をかかげます。

人は、「目的」に向かって動いている

人は過去の原因に突き動かされるのではなく、自らの定めた目的に向かって動いているのです。

「言い訳」と「人生のウソ」

  • 「どうしても許せない」のは、対人関係から逃げるための「言い訳」
  • 「相手の欠点が気になる」のは、「人生のウソ」

 

「許せない」のは、言い訳にすぎない

「相手の欠点が気になる」のは、ウソである

 

……と、アドラーは断言します。

自分を、「言い訳」と「ウソ」で固めているのです。

 

なぜ?

対人関係から逃げたいから

 

人は、「傷つきたくない」「対人関係から逃げたい」と思うとき、「言い訳」と「ウソ」を多用するのです。

「相手の欠点」が嫌いなのではない

たとえば、同じことをされても、Aさんにはムカつくけど、Bさんには笑えるということがありますよね。

だから、欠点自体が嫌いなのではなく、「Aさんを嫌いになること」こそが目的だというのです。

 

では、「自分の欠点」を見ることは、何が目的なのでしょうか?

自分の欠点ばかりを見るのは、自分を嫌いになりたいから

短所ばかりが目についてしまうのは、あなたが「自分を好きにならないでおこう」と、決心しているから です。自分を好きにならないという目的を達成するために、長所を見ないで短所だけに注目している。

 

実は、自分の欠点ばかりを見てしまうのも、「自分を嫌いになるため」。

「自分を嫌いになる」という目的が先にあるということですね。

 

え? 自分を好きになれないから、悩んでるんだよ?

 

私たちは、「自分を好きになれない」と、悩みます。

それなのに、「どうしても自分を嫌いになってしまう」。

 

これも、「自分を責める」のと同じ話で、「好きになれない」というと同情してもらえるからですよね。

メリットが大きいから、やめられないのです。

「自分を嫌いになる」メリット(目的)とは?

なぜ、「自分を好きにならないでおこう」と決心してしまったのか?

 

それは……

他者から嫌われ、否定され、傷つくことが怖いから

 

他者から嫌われる前に、自分で自分を嫌いになろうと、固く決心したわけです。

 

「自分を嫌いになる」ことが目的だったなんて、ちょっと衝撃ですよね。

すでに、自分で決めてしまっているなら、変わるはずがありません。

 

過去に原因を求めることは、仏教の因果論とも似ています。

ただし、仏教も実は、過去の因果を説きたいのではありません。

仏教の因果論と、アドラーの目的論は同じ

人は、前世から「原因」を積んでいる

因果論は、仏教にも説かれています。

仏教の因果論には、2つの意味があります。

 

  1. 「過去」が原因となって、「現在」の結果がある
  2. 「現在」が原因となって、「未来」の結果が変わる

 

現在の自分の姿は、「過去の自分のおこない」によって決定されています。

そうでなければ、生まれながらにして差別があることを、説明できないんですよね。

 

なぜ、貧乏な家に生まれたのか?

なぜ、この容姿で生まれたのか?

 

すべては、過去世に、自分が作った原因がある。

「日頃のおこないが悪かった」という言い方をよくしますが、日頃だけではなく、なんと前世から、永遠と持ち越されるものだというのです。

 

「原因のない結果はありえない」というのが、仏教の立場。

 

ただし、過去に原因を見ることは、「トラウマ論」と同じで、さまざまな弊害をもたらします。

過去に原因があると思うと、あきらめたくなる

過去によって、現在が決定されているのなら、私たちはもう、どうすることもできませんよね。

 

あきらめるしか、ありません。

もしくは、仏や神様に救ってもらうしか、ないのです。

仏教にどこか、「厭世(えんせい)観」がただよっていたり、暗いイメージがあるのは、そのためでしょう。

 

仏教が「おすがり信仰」と思われている理由は、「あきらめ」「救ってもらいたい」という人が多いからです。

 

また、「救われたい」という心を利用して、お金儲けに走るようにもなります。

仏教に限らず、宗教はどんどん形骸化していくものです。

 

しかし!

釈迦が本当に説きたかったのは、「過去の因果」ではありません。

2番目の、「未来に向かう因果」のほうなのです。

釈迦が言いたかったのは、未来に向かう因果論

仏教の因果論には、2つの意味があります。

  1. 「過去」が原因となって、「現在」の結果がある
  2. 「現在」が原因となって、「未来」の結果が変わる

 

2つのうち、本当に釈迦が言いたいのは、未来のほうです。

たしかに、現在は「過去の結果」である

「過去の結果」として現在があることは、まぎれもない事実。

 

「食べすぎたら、太る」ように。

「原因→結果」は、誰も否定できません。

 

だけど、過去の原因を見つめたところで、何も変わらないですよね。

あきらめたくなったり、救われたい気持ちになるのは、当たり前とも言えます。

 

では、どうしたらいいのか?

未来へ向かおう

大事なのは、「未来」をどうしたいのか

いま現在の生活・行動が「原因」となって、「未来」に結果が現れる

 

まさに、アドラーの言う「目的論」と同じ。

「未来」という目的があるからこそ、「今の行動」があるわけです。

 

だから、「今」を変えよう。

「今」、幸せになろう。

 

それが、仏教の「因果」の本質であり、アドラーの「目的論」なのです。

 

今、私たちは、どこへ向かいたいのか?

どういう未来を実現したいのか?

そのために、今できることは何か?

 

常に「今」から「未来」へ。

暗いイメージでしかない仏教が、明るくポジティブに思えてきますよね。

アドラーの「目的論」にも、うなずけます。

 

人はすべて、「目的」で動いている。

であるならば。

悪い「目的」では、悪いまま。

目的を変えればいいんだ!

「性格」ではなく、「目的」を変える

自分の「目的」に気づき、「目的」を変える

今の自分は、「性格」によって決定されているのではありません。

これまでに確認してきたとおり、「目的」によります。

 

ということは……

「性格を変える努力」はしなくてもいい、ということです。

性格ではなく、目的さえ変われば、行動が変わるからです。

経験に意味を与えているのは、自分である

われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。

 

「どんな意味があるのだろう?」ではなく。

「自分は、どんな意味を与えたいか?」を、私たちは常に考えているのです。

 

考えに考えた結果、今の「意味」を選んだのだ、と。

すべては、自分の選択であり、決定。

「トラウマのせいにしよう」と決めたのも、自分なのです。

人生は、自分の「意味づけ」で決まる

アドラーは、「意味づけ」という言い方をします。

すべての経験・現象に、自分が「意味づけ」をしているのです。

経験・現象のほうから、「意味」をさずかっているのではありません。

 

このことを知ったときは、ちょっと暗い気持ちにもなりました。

今までの自分って何だったのだろう……? と。

なぜ、こんな選択をしてしまったのか? と。

自己卑下したくなることも、ありますよね。

 

だけど、不安になることはありません!

発想を変えてみればいいのです。

「自分で決めている」とは、実はすごいことなのですから。

経験に左右されず、自分で決める能力を誰もが持っている

「意味」は自分で決め、「目的」に従って行動しているということは……

 

私たちは、「経験」「出来事」「トラウマ」に左右されるような人間ではないのです。

すべては自分が決めていたからです。

 

無力な自分では、なかったんだ

 

「主体的に生きる能力」を、すでに行使しているということですよね。

 

目的が先だったとは衝撃ですが、「自分で決める能力がある」と考えれば、突破口が見えてきそうではありませんか?

 

もう一度、再選択・再決断をするだけで、いいからです。

再選択・再決断をすることを、アドラーは、「ライフスタイルを変える」という言い方をします。

 

性格を変える必要はない、ライフスタイル(=視点)を変えるだけ

 

それが、次の話。

 

まとめ:人生、「負けるが勝ち」

自分の人生の目的は、いったい何?

  • トラウマのせいにする目的
  • 自分を責める目的
  • 自分を嫌いになる目的

 

すべて、自分で選び、自分で決めた目的があるのです。

 

  • 「自分のせい」にしたくないから
  • 対人関係で傷つきたくないから
  • 同情されたいから
  • 「自分はいい人」でありたいから
  • 「言い訳」がほしいから

 

「やりたいことが、わからない」

「何のために生きているのか、わからない」

……という迷いを、私たちは持ってしまいますが。

 

実は、それも勘違いですよね。

「やりたいこと」が見つからないのではなく、すでに「やりたいこと」をやっている

「やりたいこと」も、「生きる目的」も、ただひとつ!

 

傷つきたくない

 

……ではないでしょうか。

 

だから、それ以外の目的を見つけることが難しいのです。

自分を責めたり、自分を嫌いになったりしてまで、守りたい目的なのです。

 

そして、「傷つきたくない」という目的は達成しているわけですから、ある意味、目的達成に成功しているのです。

だとしたら、ほかに「やりたいこと」なんて、持とうともしないですよね。

「傷つきたくない」という目的を抱えながら、「やりたいこと探し」は不可能

目的はすでに達成しているのに、「目的を探したい」というのは矛盾。

わかるわけが、ありません。

 

だから、「自分探し」とか「やりたいこと探し」とかする前に、今、自分が大事に抱えている「目的」に気づくほうが、重要です。

「目的」を変えない限り、「やりたいこと」も見つかりませんし、「自分を好きになること」もできません。

 

過去の経験・トラウマは、まったく関係なく、「目的」さえ変えれば、変わるのです。

因果論は真実。けれども暗くなりやすい

アドラーは、「原因論」をスパッと否定しますが、私自身としては、「因果」は真実だと考えています。

「原因のない結果」なんて、SFのようですから。

かならず原因がある。

今の自分は、あくまでも、過去の結果です。

トラウマを否定しないと、過去への執着が断ち切れない

アドラーが「原因論」を否定したのは、それほど、過去に執着する人が多いからだろうと思っています。

「原因」を切り捨てるくらいに考えないと、なかなか、過去の執着を手放せないのです。

「原因」を見つめ始めると、人は必ず、ネガティブなほうへと考えてしまうのです。

だから、「因果」は事実だけれども、「目的」を考えたほうが変わりやすい、ということではないか、と。

 

「目的」を考えるだけで「未来」に目がいきます。

だから、なんだか明るい感覚になってきますよね。

「原因」を考えると、「過去」に目がいき、ネガティブになりがち。

ならば、どっちを選びたいか? ということです。

「トラウマ」より、「目的」を扱ったほうが変われる

トラウマの否定は、とても勇気がいることです。

なぜなら、「今までの自分が間違っていた」ことを認めなければならないから。

今までの自分を否定するのは、とても怖いですよね。

費やしてきた時間とエネルギーを考えてしまうと、なかなか変われないのです。

大人になると変わりづらくなるのは、「自分を否定する勇気」がなくなるからでしょう。

私自身、「トラウマの否定」を受け入れるまでに、ずいぶんと時間がかかりました。

受け入れるだけで、一苦労です(笑)。

 

どうしても、次のようなセリフが出てくるからです。

「だって……」

「やっぱりトラウマが怖いし……」

「やっぱり自分は間違ってないし……」

 

でも、「嫌われる勇気」の著者、岸見一郎氏は、次のように述べています。

 

素直になれないというよりは、素直にならないでおこうと決心しているのです。なぜそんな決心をするかというと、負けたように感じるからです。

自分に非があるのは明らかなのに素直に謝れないという時、その人は謝れば負けたことになると考えているのです。ですが、負けてもいいではありませんか。

 

「負けを認めずに自分を変えない」ことと、「負けを認めて変わってしまう」のと、どっちがいいか?

人生とは、「負ける」こと

幸福になることとは、「勝ち」に執着することではないのです。

むしろ、「負け」を認めたほうが幸福。

だからこそ、「人生は負けること」なのかもしれません。

 

トラウマを否定できないのは、負けたくないからですよね。

どうしても、「自分の勝ち」にこだわってしまうのです。

 

だけど、「白旗」を上げることでしか、新しい時代は開けません。

もう降参するしか、ないのです。

 

「なぜ、ムダな戦争がなくならないのだろう?」と思いませんか?

誰も降参したくないからです。

世界での戦争をなくしたいのであれば、まずは、自分の中での戦争に、白旗を上げる必要があります。

 

もう「トラウマ」は必要ありません。

自分の過去に、白旗を上げましょう。

必ず、新しい自分が生まれてきます。

 

きっと、「負けるが勝ち」なのです。

 

その他の記事はコチラ。

  1. 人生のタスク(人間関係)
  2. 目的論
  3. 自己受容
  4. 課題の分離
  5. 他者信頼と他者貢献
  6. 共同体感覚
  7. 承認欲求ではなく貢献感→見返りを捨てる

 

ということで。

 

memo
私たちは、すでに、主体的な人生を歩んでいる。

変えたいなら、今までの自分を「否定する勇気」を持つこと。

「目的」を変えること。

未来を見つめ、未来に生きよう。

 

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