共同体感覚とは、仲間の中で「自分の居場所がある」と感じられること。
アドラー心理学では、「共同体感覚」こそが「人生の目標」であり、自分の居場所さえあれば、自分を好きになることができると、いわれています。
- 人間関係の入り口:課題の分離
- 人間関係のゴール:共同体感覚
いったい、共同体感覚とは何なのでしょう。
本当に必要なのでしょうか。
Contents
共同体感覚とは、「仲間」と「居場所」
他者に関心を持つことから始まる
他者を仲間だとみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚といいます。
(嫌われる勇気)
- 「他者は仲間である」と感じられる
- 「自分の居場所」があると感じられる
「他者は仲間である」とは、「他者に関心がある」状態。
関心がなければ、「仲間」だとも思わないですよね。
つまり。
共同体感覚は、「他者に関心を向ける」ところから始まる。
他者に関心を持てないのは、自分に執着しているからです。
自分のことにしか関心がないのは、自己執着である
自己執着とは何でしょうか?
一番の目安は、これ。
他者が、自分の期待を満たしてくれなければ怒る
こんなふうに思うことは、ありませんか?
- どうして、何もしてくれないの?
- どうして、私の気持ちをわかってくれないの?
- どうして、そんなことを言うの?
- 私だったら、こうするのに!
自分を満たしてくれないから、怒る。
それこそ、自己執着。
自己執着する人は、自分の視点からしか考えない
- 「自分だったら、どう見るか?」という視点しかない
- 自分の見方、感じ方、考え方が、唯一絶対のものである
- 他者のことを、自分のライフスタイルを通してしか見ない
自分に対する執着は、神経症などの「心の病」を引き起こします。
自己執着こそが問題
- 「他者は自分に、何をしてくれるか」ばかりを考える
- 自分の思い通りにならないと、腹を立てる
他者が自分に何をしてくれるかではなく、「自分は他者に何ができるか」に関心を持っている
他者に最も大きな害を与えるのは、「仲間に関心を持っていない人」だそうです。
自分への関心を他者へ向け、共同体感覚を持つことで、神経症が治癒することが多いとのこと。
ドキッとしますよね。
他者に関心を向けているでしょうか?
「他者」というと抽象的なので、具体的な「相手」を思い浮かべてみましょう。
共同体感覚とは、何か大きな関係性ではなく、2人の関係から始まるものなのです。
共同体感覚は、2人から始まる
「相手の関心に関心を持つ」それが共同体感覚
「共同体感覚」を持てているかどうかの尺度は……
相手の存在を認め、相手にどれだけ関心を持っているか。
- 私のことだけではなく、常に、相手のことも考えられる
- 相手は私を支えてくれるし、私も相手を支えたい
- 私と相手とは相互協力関係にある
- 相手に起こることは、私にも関係・関連がある
簡単に言うと……
「相手がどうであろうと、私には関係がない」というのは、関心を持っていない証拠
相手の目で見て、相手の耳で聞き、相手の心で感じる
常に、自分の目線だけで考えていませんか?
自分だけならば、「自己執着」でしかないというのです。
共同体感覚を持てないのは、当たり前ですね。
では、どうすれば、相手の目で見ることができるかといえば……
コミュニケーション
これしかない。
だから、共同体感覚を持っている人は、相手とのコミュニケーションを大事にするのです。
共同体感覚には、コミュニケーションが欠かせない
- 「相手は、どう見ているのだろう?」と、視点を変える
- 相手の見方、感じ方、考え方を想像してみる
- 相手のライフスタイルを理解しようとする
相手の気持ちは、聞いてみないことには、わからない。
だから、共同体感覚には、コミュニケーションが不可欠なのです。
話し合いを避ける人は、自己執着の人。
大切な人と向き合って、きちんとコミュニケーションできていますか?
言葉を交わせないとしたら……
相手をモノ扱いしているのと同じ!
相手を、「あなた(you)」ではなく、「それ(it)」と呼んでるようなもの。
「モノ扱い」は、「箱の法則」でも言われていることです。

「私-それ」の関係から、「私-あなた」の関係へ
- 相手には関心がない
- 私の期待を、きちんと満たしてほしい
- 私だったらこうするのにな……と感じる
こんな関係は、相手を「それ(it)」扱いしている証拠
共同体感覚は、「私とあなた」の関係から始まる
「あなた」に対して、「私の全人格」で向き合うこと。
それがコミュニケーションであり、共同体感覚の基本。
それが、「人生のタスクと向き合う」ことなのです。
「私」は、「あなた」がいてこそ完成する
相手は私のために存在しているのでは、ありません。
むしろ、「あなた」がいてこそ「私」が完成する。
自己完結は、できないのです。
そんな感覚が、共同体感覚。
常に「You & Me」。
そう思えたとき、人間関係はわずらわしいものではなく。
むしろ……
「私」だけが生きていても意味がないことを知るというのです。
共存の関係に入るというよりも、「もともと相手と共にある」という感覚だそうです。
相手が自分を完成させると思えなければ、パートナーシップは築けない
人間関係に問題が出てくる人は……
「相手が自分を完成させる」とは、思えない人
パートナーシップが築けないので、恋愛もうまくできない。
そもそも自己完結型ですから、相手の存在が必要なくなってしまいます。
恋愛やパートナーとの関係がうまくいかないならば、共同体感覚を考えてみるとヒントが見えてきそうです。
自分の居場所がないと、つまらない
自分を好きになるための大切な場所
今、次のような感情がわくのであれば、「自分の居場所がない」からでは、ないでしょうか?
- 自分を好きになれない
- 人生がつまらない
- 喜びや感動がない
- 人が怖い
- 会社を辞めたい
やはり「居場所がない」と、自分を好きになることも、今やっていることに喜びを見いだすことも、難しいですよね。
- 自分がどこかに所属しているという感覚
- ここにいてもいいと思える感覚(居場所がある)
- 私は「全体の一部」という感覚
たしかに、「ここにいてもいい」と思えなければ、信頼も貢献も、しようとは思えないですよね。
なぜ、自分の居場所がないのか?
他者を「敵」だとみなしているから
どうしてあなたが他者を「敵」だとみなし、「仲間」だと思えないのか。それは、勇気をくじかれたあなたが「人生のタスク」から逃げているせいです。
(嫌われる勇気)
人間関係で傷つくことが増えていくと、人間関係に向き合うことが怖くなりますよね。
他者との接触を避けてしまうのです。
それが、「人生のタスクから逃げている」状態。
他者を信じられないのであれば、他者は「味方」ではなく、「敵」ですよね。
人は、「敵」に囲まれれば、「怖い」と感じるし。
「味方」に囲まれれば、安心できるもの。
今、「人が怖い」と感じるなら、周囲の人を「敵」だと思っている証拠。
相手が「敵」ならば、信じようとも、貢献しようとも思えないですよね。
人生のタスクから逃げると、悪循環になる
人生のタスク(人間関係)から逃げる
↓
他者は、「敵」に思える
↓
他者が、怖い
↓
自分の居場所がない
↓
他者に、信頼・貢献したいと思えない
↓
自分が、誰かの役に立っているとは思えない
↓
何の役にも立っていない自分を、受け入れることはできない
↓
自分を好きになれない
すべては、自分が「人生のタスク」から逃げたことから始まる!
自分が逃げているから、「居場所」ができないというのです。
【学びの効果】仲間がいると、視野が広がる
何か新しいことを学ぶときにも、やはり他者からのサポートが必要。
「働く大人のための『学びの教科書』」という本には、学ぶコツとして、次の3点が挙げられています。
- 背伸び
- 振り返り
- 人とのつながり

視野を広げたいなら、仲間の存在 = 「共同体感覚」が必要。
そして。
共同体感覚があれば、他者からの承認は必要なくなり、自分で貢献感を持つことができる。
それが、次の話。
まとめ
「共同体感覚」を持つためには……
- 「他者は仲間である」と感じられる
- 「自分の居場所」があると感じられる
特に難しいのは、このような感情をもったときではないでしょうか。
- どうして、何もしてくれないの?
- どうして、私の気持ちをわかってくれないの?
- どうして、そんなことを言うの?
- 私だったら、こうするのに!
これでは自己執着であり、共同体感覚とはいえないというのです。
そんなときは、視点を変えること。
- 「相手は、どう見ているのだろう?」と、視点を変える
- 相手の見方、感じ方、考え方を想像してみる
- 相手のライフスタイルを理解しようとする
こういうところが、アドラー心理学の難しい側面ですね。
それができたら素晴らしいのはわかるけれども、いざとなると、なかなかできない。
何度読んでも、できてないなぁと思う部分です。
ただ、一人で考えていると、「教科書的な振る舞い」に成り下がってしまうことも多々あります。
「こうせねばならない」と思いすぎても逆効果でしかないので、まずはそのまま話し合ってみる、というのも必要ですよね。
本心でぶつかってみるという葛藤を繰り返すなかで、洗練されていくものなのかもしれません。
- 自分がどこかに所属しているという感覚
- ここにいてもいいと思える感覚(居場所がある)
- 私は、「全体の一部」という感覚
相手を「敵」だと思っている限り、共同体感覚は持てない。
本当の意味で、仲間だと思うためには、「全人格的に関わること」だそうです。
まずは、人とコミュニケーションをとるときに、「これは全人格的だろうか?」と考えてみるとよさそうですね。
ということで。
「私の期待を満たしてほしい」というのは、自己執着。
まずは、「私とあなた」(2人)の関係を見つめてみることから初めてみよう。
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